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少女はおじさんになりたかった

女の子として生まれて育ってきたけれど、自分自身が女であることに、どうもしっくりこない部分が常にあった。かと言って、男になりたいわけでもない。じゃあなんなのだろう?


女の子って、いつもニコニコゲラゲラ笑っていておしゃべりでみんなと連なって仲良しで、きゃー!って叫んだり、シールペタペタ貼ったり、字が特徴的だったりするのが私の学生時代の女の子だった。

けれどわたしは笑顔の安売りはしないし、面白くもないのにヘラヘラ笑わない。つまらない話をするくらいなら1人で本を読んでいたかったし、きゃーとも叫ばない。字は綺麗に書きたいし、シールペタペタ貼りたくもない声も低い言葉少ない女学生だった。

わたしは社会の認識する女の子になりきれない女の子だったのだ。

それでも周囲の女の子がしてるようなことをマネてみたけど全然しっくりこない。もしかしてわたしって男なのかしら?とも思ったが男は男で大変そうだからそれなら女の子の方がズボンもスカートも履けるしいいかなって。

好きな男の子も全然できないし、どうしてわたしはみんなのように楽しそうにできないのだろうといつも悩んでいた10代。

そんな10代の頃からずっと憧れの存在だったのが、おっさんだった。

おっさんのように1人で公園のベンチで缶コーヒーすすったり、海辺で釣りしたり、自転車でゆっくーりふらふらさまよったり、電車の旅にでたり、酒場で文庫本片手にひとりで酒をなめたりしたかった。おっさんは一瞬にして街の景色に紛れ込んで素晴らしいなと。

それに引き換え若い女はなにかと人目を引く。

あぁおっさんに変身できたらなぁ、、、


男か女。性別は2つしかない。

しかしこの2つは実際はとんでもなく複雑だと思うのにどちらか一つ選ぶのは酷だ。産まれた時の身体の形からわたしは女だけど、脳内はわりと男よりだと思う。でもその男だっていろいろタイプがあって、ジャイアンみたいな屈強な男もいるがのび太みたいな優しい男やノリスケみたいなお調子ものもいる。女だってまる子みたいなズボラな女、しずかちゃんみたいな女、クシャナ殿下みたいな屈強な女もいる。


おっさんに憧れていた少女はおばさんになってきた今は歳をとるって悪くないと感じている。今はおっさんにはなりたくない。いや、結局前述したようなおっさんらしいこと、大人になってからやってきたことだった。性別はあまり関係なくやりたいことはやったらいいんだ。

ただ、10代の頃は自分の視野も生きる世界も狭かった。悩んでいたあの頃のわたしに声をかけてやりたい。

おっさんにならなくたってできるのよ。

好きなことしたらいいのよ。って。


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