穿って 歌って 奪って 足掻いて もがいて 潜って。 そこに木があって 実ができて 気が合って 意味になって 君になって。 幹になって 染みになって 滲みが出来て 。耳があって 笑みがあって 起き上がって ? 今宵 恋を 漕いで 泳いでおいで。 勢いで 付き合いで 向き合って 酔いで 研いで 問いを 削いで。 謳えてる 。迎えてる 。今 向かってる。 そこに 帰化してる 。活かしてる そんな気がしてる 。生かしてる イカしてる 君を 探してる。 着せてる レッテル 。知っ
愛犬と会話をした。 ぼくはだーれだ! と小さい頃のように語りかけると 「当然でしょ、分かるわよ、𓏸𓏸ちゃんでしょ?」 その瞬間ぶわっと込み上げるものがあった。目の前の画面に映る横たわった愛犬の姿。もう見えない、聞こえない。そのくらい頑張って生きてくれている相方なのだ。僕は一人っ子だけど、この子がいてくれたおかげで不思議と寂しくなかった。 いつの間にか歳も大きく越されたんだなと思って、そこに呆れ顔をしている愛犬が見えるようで。 何を当たり前のことを? という風に答えてく
私はわくわくします。 あなたが良いと言っていた犬っぽい何かに近づいています。 そう。好きとは違う何かに。 もちろん子どもごころも忘れてません。童心なんてかっこよくなくて、もっと子どもの頃に近いなにかの感覚を。 しゃぼん玉になれたらいいですね。浮かんで。浮かんで。割れないようにするのが。大事にされますからね。老若男女見守っています。 ナンシー関。岩井俊二。いとうせいこう。銀色夏生。 それはなにかとたずねられたら。僕の中では未確認静物です。動いてるの見た事ありません。だから動物で
つくる。 僕の感性はつくる。のために生きている。
僕は、今日肩から崩れ落ちる経験をした。 尊敬する友達が、ここに来て幼児退行をしていた。 僕の知らない、つまらないMがそこにはいた。 そういうのかっこよくないよって言ってあげようとした。でも言えなかった。 夢で本当によかった。
私が繋がっている糸はこの1本だけ、 たった1本だけなのです。 それが対象にとっては無数にある選択肢の中の1本なのかもしれないけどお願いだから切らないで。切ったら私はどんどん落ちていってしまう。無数に散らばる蜘蛛の巣のような悪に私は捕まっている、分かっているけど私にはこれしかないのだから。
私はこの世界に認知されていない。 いかに派手なことをしようと、関係ない。 私は私であり、この中には存在しているけど居ないのだ。 そんな私に注目したお前らが馬鹿なのだ。
悲劇のヒロイン症候群について 喜びの知らせより、悲しい知らせの方が風化しないですよね。 だからみんなに可哀想な私を見てほしいのです。 もっと注目して欲しいのです。
僕が動いてるんじゃない、そんな車を見て何かをしたくなった。でもどれも酔いつぶれた大人の人たちを運ぶだけのタクシーだらけ。夢を運んでるものがひとつもなくて悲しくも現実だと思う。その中に夢を掴んだあとの世界線があるというのなら見てみたい。タクシーの中の会話はいつもよそから来た人のフリをして。そうすると、みんな優しく自分のおすすめ、好きを素直に教えてくれる。いや、もしかしたら僕を乗せてくれた人達が素敵すぎるのかもしれない。そんな人に出会う運が強く生まれただけで僕は幸せだと思っている
僕が実家に帰ると何かが僕を待っていたかのように命を失っていく。そんな僕のための世界。 小学校の頃はおばあちゃん。中学生の頃は隣の家のおじいちゃん。高校の時はひいおじいちゃん。大学の時は大好きだったおじいちゃん。 実家に帰るのは怖い。何かを失ってしまうから。それが服とかならまだ心は救われる。でも、それが生き物の命であったら。愛犬であったら。さすがに怖い。 でも、僕は実家に帰ってしまう。もう居なくなった鯉が見える池が好きだったから。実家で無理言って自分の部屋にしてもらった場所から
今日は洗濯をした。 干すまで時間をかけてしまった、失態。 正夢だったら難しい。 したい。の強化。 高音での「ふ」 自分自身の卑下。傍から見てもそう。急に分裂するジブリ映画。やっぱり雨。雨降って、次の約束。泡がみえたからナメクジ。やっぱり正夢。だから話があるんだけど。寿限無と法華経。木魚とクリック音。不意の消音。からの「君は誰」。注意を引き寄せる。でも、そこからナメクジの反撃。犯罪を正義と偽った。あたかも悲劇のヒロイン症候群。棒演技。友達じゃない宣言からの「ありがとう」青い光。
2じゃなくて4でゾロ目で、不吉に見えるけどそれは表面上だけで、そこに確かに意味は存在していたし、なんならタイミングが呼んだ有意義な時間でもあり、日常の中の一部分だった。 いつか、たぶん、だいたい、いろいろ不確定な曖昧な表現は普段散らばってるけど、明確な時間を示す数字、44分は聲の形があった。雨男、水、流動的。大事な時間。小雨で口笛吹いて帰り道。コンタクトが乾く間に家に着きました。
視力0.1にも満たない私は、代わりのレンズがないと目の前の人すら捉えることが出来ない。たった1m先、手を伸ばせば触れられるような人でも何かを頼らないといけない。そんなコンプレックスだらけの身体。風呂場のモヤで写した写真が私の目よりも優秀だということを認めたくない。技術に負ける人間にはなりたくない。そんなことを思っていたけど、周りを見ると技術だらけ。自転車、電車、新幹線。人に逢いに行くため、憧れを見に行くため、やりたいことをするため、そのために技術を頼ってしまっているのが真実だ