イタコト君の雑談 vol.5 「アノ日から12年」
はじめまして、おはようございます、こんにちは。
6本目の雑談は"アノ日"のことを真面目に振り返ろうかなーーと。
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2011.3.11 14:46
この数列は多くの方が脳裏に焼き付いているのではないでしょうか?
そう、東日本大震災です。
当時、小学校5年生だった僕は、小学校の体育館で卒業式の予行練習をしていました。異変を感じた瞬間、みんなで避難。校庭に集まりました。
10年以上前なので曖昧な記憶もありますが、その中でも鮮明に覚えている出来事を話します。
校庭で整列して座っている時、自分をはじめ多くの人は何が起こっているかわからないか自分のことで頭がいっぱいでした。そんな中、後ろに座っていた友達が自分の母親や家族の心配をしており、大人な考えだなととても感心していました。その心配の声を聞いてから、僕自身も親の安否が心配になりましたが、根拠はないもののなぜか大丈夫とたかを括っていました。
その後、家族の迎えがある人から適宜帰宅していく流れになり、自分は割と早めに帰宅することができました。その際、家が近かった友達も一緒に帰ることになり、ホッとしていた記憶があります。
一人っ子だった僕は、両親と祖父母と5人で暮らしていました。父は仕事に出ていましたが、母親と祖父母は基本家にいることが多かったです。帰宅すると、年に1回あるかないかの「祖父が外出中」という事実を知りました。
校庭で集まっている時、父親は職場も近かったこともありなんとか大丈夫だろう、他の3人は家で安全だろうと勝手に安心していましたが、祖父がいないことを知った時は焦りました。
旧友と会うか何かで、いつもは行かない場所に出向いており、急いで連絡をしたが繋がらず心配が続きます。
当時のニュースなどで「帰宅難民」という言葉をよく聞いたことを覚えていますでしょうか?
まさにそれです。スマホが普及しはじめていましたが、一家はみんなガラケー。回線が繋がらず、電話もできない。交通手段もストップ。ましてやいつも行かない遠い場所なので歩いて帰ってくることも難しそう。ましてや祖父なので若者よりも体力はない。嫌な予感が頭を巡りました。
何かあった時の準備
結果として、なんとか歩いて帰ってきた祖父と合流でき、一家としては全員無事。親戚一同元気に今でも暮らしています。
防災の重要性や、一家の共通認識をきちんと再確認する出来事になり、何かあったらここに集合、連絡先はこれ、自分の身は自分で守ろう、など家族で話す機会が増えました。
今の仕事にも通じます。
何かあった時の準備。とても大事なことです。
いつ起こるかわからない災害や事故。
自分は大丈夫と思う根拠はどこにあるのでしょうか。
無理にitakotoを使って欲しいとは思いません。
ですが、準備をした方がいいなと少しでも思ったらitakotoをチェックしてみてください。