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自戒:停滞を破るべき→性分:グラデーション

 毎日エッセイは4日で途絶えた。4日坊主だ。いや、筆者は今ツーブロックだから4日ツーブロックだ。
 ここから先は飾りつけした言い訳だが、そもそも人生経験の少ない若者にとって毎日1本のエッセイを書けるほどのインプットなどないのである。もちろん、ノイマンのように幼少期から世界史を通読しているというのなら話は別だ。
 エッセイを書こうとした姿勢のまま寝落ちした日もあったが、今週末は奨学生として所属(というより関係?)させてもらっている財団の集まりがあったことがエッセイ中断の理由だろう。

 身元がシックスパックのごとく割れてしまうのを防ぐために詳細は書かないが、興味深い目標を持っている学生や、面白い活動をしている学生等と話すことができた。バチバチに学会発表をしている高校生や、起業に片足を突っ込んで活動している学生などである。
 彼らに会うまでの私といえば、マンネリ化の沼に肩まで浸かっていた。卒業まであと半年ほどとなり、指導教員に言われるがまま卒業研究を普通のペースで進めていくという日々に飽きていたのだ。
 しかし、自分よりも若く、そして先のステージへ行っている人材と実際に話してみることで、自分の怠惰や停滞のまずさに気づくことができた。なんともありがたいものだ。

 日頃から私は物事に飽きやすい。聞き始めた曲は鬼リピートをして数週間後には一切聞かなくなっているし、好きになった作家の本は浴びるように読んだ挙句、拒絶反応が出るようにして読まなくなる。
 そういう移り気な性格なのにもかかわらず、新しいことには踏み出さない。つまり私の精神構造は生卵なのだ。内側には流動的な気持ちを搭載しているが、その外側は頑固で脆弱な殻におおわれている。
 だからこそ自戒しなければならないし、認識しなければならない。自分の外側(フィジカルな部分)がなんとも保守的であることを。
 そして未知の領域に踏み出さなければいけない。まあ、いけないというほど強制的な外力があるわけでもないが、ユニバーサルデザインのスロープのごとき緩やかさの勾配がそこにはある。なんにせよ、若者はいろんな経験をしておいたほうが良いのだろう。
 かといって気を抜くと闇バイトとかでインスタント実行犯として人生を使いつぶされるリスクもあるし、保守的な部分もなかなか捨てたものではない。要するにバランスであり、グラデーションでもあるのだろう。0と1で動くのはコンピュータの性分であって、人間の領分ではない。
 白と黒の二項対立ではなく、その間にあるグレーの濃淡を愛し続けられる人間でありたいと思うのであった。

追伸
 私の散文は毎回といっていいほど変なところに着地する。ちぐはぐもいいところだ。
 

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