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心の中に置いておく物

 先日、押し入れを整理していたら子供の習字の道具が出てきた。

「そういえば、もう何十年も習字なんて書いてないな」

 子供の頃は習字教室にも通ったこともあったのに。小学校低学年の時だったと思う、初めての習い事。先に兄が通っていたのでそこに後から入った。普通の家の畳の部屋で、おじいちゃんの先生に教わった記憶がある。五級くらいですぐに辞めてしまったのだが。なんとなく家の感じは今も覚えている。

 全く関係ないのだが、小学校や中学校の習字の時間では、机が汚れないように家から新聞紙を持って行っていたのだけれど、僕の家では「日本経済新聞」だったので子供の頃は恥ずかしかった。まわりは「毎日新聞」や「読売新聞」、「朝日新聞」と聞いたことがある新聞ばかりで、誰も「日本経済新聞」が居なかった。今思えば「日本経済新聞」は素晴らしい新聞だと思うし、逆に頭が良さそうなイメージの新聞なのだが、当時は恥ずかしくて「習字の墨汁で新聞社が印刷された所を消していた。

 話が逸れたが、習字のセットと普通の半紙と書初め用の半紙もあったのだが習字は敷居が重く、一緒にペン習字用のペンと短冊があったので、休日にペンを使って書初めをしてみた。さて何を書こうか? と思ったときに少し遅くなったが「今年の目標」を書くことにした。

「力のない正義は非力であり、正義のない力は非道」

 これは、有名な格言「人間は考える葦である」で知られる哲学書「ブレーズ・パスカル」の言葉であるが、どちらかに偏ってバランスが良くないと正義は遂行されないのだろう。力だけでは非道な行いに走りがちだし、正義感だけでは何も救えない。希望があっても実行に移さなきゃ前に進めないし、物事を進めてもそこに希望がないと行き詰ってしまう。

「たとえ明日世界が終ろうとも、私は今日リンゴの木を植える」

 これは、神学者の「マルティン・ルター」の言葉だ。明日何があろうとも、今日を精一杯生きようとする前向きで強い意志が感じられる良い言葉だ。明日のことは誰も分からないのだから、希望だけを持って、いまを想い考えて一日一日を暮らしていけば結果的に明日に繋がるのだろう。

「雨にも負けず 風にも負けず 雪にも夏の暑さにも負けぬ……」

 ご存じ宮沢賢治の詩だが、なぜだか読むと毎回、胸が熱くなる。特に最後の

「日照りの時は涙を流し 寒さの夏はおろおろ歩き みんなにでくのぼうと呼ばれ 褒められもせず苦にもされず そういうものに私はなりたい」

 が良い。

 基本、この三つの言葉が好きだ。

 で書いたのが

「昨日までの行いが今の自分 明日の自分は今日作る」

 とても上手に書けた。習字の先生が見たらオレンジ色の墨汁で、はなまるをくれることだろう。そういえばオレンジ色の墨汁は何処で売っているのだろう? あれで習字を書けば、さらに上手に見える気がする。なにしろあれは訂正されて書き直されたときに使う墨汁なのだから。

 半紙に書かれたオレンジ色の文字はいつも上手かった。


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