記憶のスイッチ
「この道って、こんなに細かったかな……」
平日の午前中、まわりの景色を気にながら、通りをゆっくりとした速度で車を進める。そこは何十年かぶりに通る道。目で入ってくる情報を頭の中の記憶を探り、照らし合わせる。
ここ最近、母親の具合が悪く休みの度に実家に顔を出す機会が多いのだけれど、その時にふと普段通る道を変えて、子供の頃によく使った道を通ってみる。
たいていの道は車一台が通るのがやっとだった。まわりの建物はすっかりと変わってしまっている。それでも何となくは覚えているものだ。記憶の片隅にこんな感じだった。という物が今でも残っている。もちろん変わらない物もあるが、変わらない物の方が少ないのが現実だった。記憶を探り車を進める。
「確かこの先を左に曲がったところに、友達の家があったよな……」
おぼろげな記憶では、その辺りの場所で遊んだ記憶が思い浮かぶのだが、こんどは友達の名前も顔も出てこない。
ガンダムのプラモデルや鉄道模型を買いに行った模型屋さんがコンビニになっていたり。……そういえば、兄弟でNゲージという鉄道模型にハマり、ジオラマを作ってその上に電車の模型を走らせて、何時間も遊んだこともあったっけ。
通りを走ると、心のスイッチが押される。
それこそ卒業式に合わせて練習した言葉ではないのだけれど「雨の日も、風の日も、共に通った六年間」の小学校の通学路を通りかかったときには、胸の奥がほんのり温かく感じた。
偶然に近くを通りかかり今更ながらドキッとしたのは、友達に教えてもらった初恋の女の子の家の付近。
通りを走ると、そこに置いてきた想いが、ほんの少しだけ蘇る。母親の身体の心配をしていると暗い気持ちになることが多いけど、そんな想いを過去の想いが、少しだけ晴らしてくれる。
記憶や想いとは自分の心の中や頭の中にある物だとばかり思っていたが、そうではなかった。その場所、あの場所など様々な場所に潜んでいる。そこを通ると、まるでいたずらっ子のように、ひょっこりと顔を出す。
場所ではなくて、それが曲になっていたり、映像になってふいに現れることもある。
初めて愛した人と観たアクション映画の中から、ひょいと顔を出す。
僕のわがままから失った、大切な人と何度も聴いた曲の中からも現れる。
今日は昨日の積み重ね。昨日、一昨日、十年数前の体験が重なり今となる。今の状況は昨日までの自分が作ってきたものだ。そう考えると、すべての物に感謝をしたくなる。
嫌な人もいた。嫌なこともたくさんあった。大人の癖に、悲しくて前に進めなかったこともある。たくさん泣いた。いろんな人や物に、たくさん助けてもらった。たくさん笑わせてももらった。
ありがとう。
いつかまた前に進めなくなったら、過去を振り返り、心のスイッチを押しに行こう。
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