わたしのこだわり【自分にとって大切なこと】
わたしにとってのこだわりは、「やさしさ」。
やさしい、やさしそう。
人生でけっこう言われてきましたね。
でも嬉しかったことって実はあまりないんです。
なんか、「特徴がない」の代わりの言葉みたいで。
小さい頃から思っていました。
でも、悪口ではないので、嫌な気分になるわけではありません。
良くもなく、悪くもなくって感じがつまらなかったんだと思います。
小学生のころの話です。
お盆におばあちゃんの家に遊びに行くことが恒例行事でした。
そこで、親戚一同集まってお墓参りをして、飲んで食って騒いでみんなでおばあちゃんの家に泊まっていく。
親戚の家にも子どもがいるので、その子たちと一緒に遊べるのが楽しかったことをよく覚えています。
基本的には、みんな良い人ばかりで、楽しかった思い出しかないくらいでしたが、今でも鮮明に覚えていることがあるんです。
みんなで楽しく飲み食いする席で一人のおばちゃんが、
「わたし、あなたより、弟くんのほうが好きだわぁ」
って言うんです。
いきなりなので、わたしは沈黙します。
当時は、意味がわかりませんでした。
みんなで楽しくやっている時に何言い出すんだろう。
不思議でした。
自分も大人になって、こういうことかなと考えました。
私よりも弟のほうが愛想が良かったのかな。
わたしたち兄弟は、子どもの頃はけっこうかわいい顔をしていました。
今ではすっかり面長になり、面影もありませんが。
そのため、けっこう周りからも可愛い可愛いと言ってもらうことが少なくなかったんです。
ただ、私は控えめな性格に比べ、弟はひょうきんで抜群の愛想の良さでした。
今でも変わっていません。
大人がお年玉でも何でもくれると言うと、弟は喜んで受け取ります。
それに比べ、私はまず遠慮してしまうんです。
たしかに可愛い気が全然違いますよね。
でも、わたしがこういう対応するのには理由があるんです。
父親がずっと商売をやっていました。
そのため、接待のような飲み会や、付き合いが多く、家族経営だったこともあって、私もその場に行く機会がけっこうありました。
飲んでテンション上がった人が多いので、結構いろんな人が私に物やお金をくれようとしたんですよね。
父親は、「ダメダメ」と言いながら、受け取らなかったり、拒否することが多かったため、それを見ていた私は、簡単に受け取ってはいけないものなんだと理解していました。
その時、弟は小さすぎて物がわかるくらいではなかったため、そういうやりとりを記憶していなかったのかもしれません。
こういう背景もあり、私と弟で「可愛い気」に差ができたんです。
もともとの性格も十分にあったかもしれませんが。。
中学に入ると、父親の仕事状況も変わり、おばあちゃんの家にも遊びに行かなくなりました。
我慢できないおばあちゃんが遊びにくることはありましたが。
大学生になったある時のことです。
実家に帰り、知り合いの小さい子どもと一緒に遊ぶ機会がありました。
一応、大人な側になっているので、その子どもにおやつをあげようとどうぞと器を差し出しました。
その子は、受け取ってくれませんでした。
単純にお腹がすいていなかっただけのようでしたが、私少しショックでした。
当たり前のように受け取ってくれると思っていましたから。
この時、昔の出来事を鮮明に思い出しました。
子どもに遠慮されることっていうのは、変に気をつかわせてしまうことになるのだと理解しました。
大したことではないのはわかるんです。
喜ばしたいという期待を持って気を使ったくれた人からすると、可愛くうつらないのもよくわかります。
思い出すと自分って可愛くなかったな。
ある時、弟とその話をしたことがあるんです。
弟に対して、「おまえは人に好かれるタイプだよな」
と何気なく話したところ、
「当たり前だろ、気ぃ使ってんだから」
という回答が返ってきました。
思わず「はっ?」と聞き返すと、
「おまえ、可愛い気ないんだよ、もらえば大人が喜ぶんだから、そっちのほうがみんな幸せになれるじゃん。」
衝撃でした。
ただのガキだとバカにするくらい下に見ていた弟が、自分よりも大人に対して気遣いをしていたんです。
「おまえ、すごいな・・」
精いっぱいの返しでした。
私は、誰よりも自分のことしか考えていなかったのに対して、弟は小さいころから大人の顔色を見ていました。
人生で初めて、弟に感心し、リスペクトの気持ちが湧いてきました。
でも、私は未だに気遣いがうまくありません。
今も妻にもよく注意をされます。
弟のほうがよく気が利くと。
正直、気遣いのやり方がよくわかりません。
相手のことを考えて行った気遣いがただの「やさしさ」なんだそうです。
考えれば考えるほど、どう違うのかがわかならくなるときがあります。
そんな私ですが、結婚して子どもも出来ました。
そんな、背景もあるため、子育てに対して、自信を持つことができませんでした。
でも、自信のあるなしに関係なく、子育ての忙しさは襲い掛かってきます。
毎日、毎日、仕事して、子育て手伝って、家事も手伝って、妻のマッサージもたまにやったりしてを繰り返していましたが、ある時妻が言ってくれました。
「本当に気が利かないよね。でもそのやさしさは良いと思う。」
傷つくよりも、なんか救われたような気持ちになりました。
自分の「やさしさ」に対して、心から良いと思って言葉にしてくれたことがとんでもなく嬉しかったんです。
「やさしい」という言葉を何度も言われたなかで、ダントツで一番嬉しいものでした。
気遣いもできない情けない大人ですが、妻と子どもに対しては世界一やさしい人間でいようと心に決めました。
妻と子どもにだけは特別です。
でも、大人ですから、「気遣い」もできるようになるように努力はし続けたいと思っています。
さすがに良い歳の大人ですから・・
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