Q;3 なぜ佳人は若死にするのか?
一日に玄米4合と味噌と少しの野菜を食い・・・
「過酷な労働を強いられていたとはいえ、4合はちょっと食べ過ぎだろう?」
有名な宮沢賢治の「雨にも負けず・・・」のこの一節に、学生時代からずっと引っ掛かっていた。
白米ならともかく、玄米をそんなに食べられないことは、食べたことがある人ならばお分かりかと思う。
玄米をよく噛んで食べるとなると、一日に1合も食べられなかったりもする。
ではその分お菜は大量に必要かというと、これまたさにあらずで、その点は上にある賢治の詩のごとく少量で確かに事足りる。
だからこその違和感である。
もっともこの詩は「そういうものに私はなりたい」のであって、そこに吐露されているのは敬虔な日蓮の信者であった賢治なりの理想像ともいえる。つまり、実生活はそうではなかった可能性もあるだろう。
はじめ誤植かとも思ったが、詩に誤植はないだろう。
となると、賢治さんは
平素玄米を食べていない=普通一般の食生活をしていた
大食家である
彼の中で、玄米はむしろ農民の暮らしと一体となった貧しさの象徴だった=自らのポジションはそうではないからこその彼らしい願い
くらいのいずれかに当たるかもしれない。
この詩は、賢治一流の鉱物の結晶のような硬質で難解な詩篇と違い、明快でむしろ青臭いほどのメッセージ性が一般に愛されるところとなったのだろう。
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ともあれ、僕の好きな詩人の一人、宮沢賢治さんは若干37歳で亡くなっている。
同じく中学時代に心酔していた中原中也は30歳。
好きついでに作家・中島敦は33歳。
芥川龍之介35歳。
梶井 基次郎31歳。
太宰治38歳。
金子みすゞ26歳。
『肉体の悪魔』レーモン・ラディゲ20歳。
神経に触るかのような痛々しくも美しい画風のエゴン・シーレ28歳。
フィンセント・ファン・ゴッホ37歳。
伝説のギタリスト・ジミ・ヘンドリックス27歳。
「破滅型の女性ロック・シンガー」の呼称も悲しいジャニス・ジョプリン27歳。
ニルバーナのカート・コバーン27歳。
自ら命を絶ったものも多い。
いずれも「夭逝の天才たち」といってもいいかもしれない。
お気づきのように、ここで挙げている人物たちは、いわゆる美貌の「美人薄命」ではない。
美人と短い命
というテーマは、根源的な「神話」的なモチーフのような気がする。
両者はセットになっている。
また、そうなくてはならない宿命めいたものを感じる。
まあ、そんな類型は、「芸能界」や「ハリウッド(映画)界」などでたくさん見つかるものの、くだんの薄命の女優なりを調べてみると、その虚像と実像のギャップのはなはだしさに驚かされる。その私生活や背景には多く「闇」が広がり、「神話」は無残にも崩れ去るという寸法だ。
僕はゴシップには興味ないので、ここでは「佳人=善い人、才能のある人」というくらいの解釈で、書いています。
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では、夭逝とまではいかなくても、仕事まだ半ばで、この世を去ってしまった人物はというと、これは大勢いる。
まだ、存命であればどれほど多くの功績を残してくれたことか・・。
著名人といわずとそれは僕の周囲にもいるし、おそらくあなたの周りにもおられることでしょう。
「いい人ほど早く死んじゃうんだから」
の嘆息の一つや二つ、だれでも漏らした経験がおありだろう。
それは大概、突然の訃報である。
そんな方々で思いつくところを記せば、
東洋精神を世界に知らしめた岡倉天心。
29歳の若さで東京美術学校長に就任するも、嗚呼若干50歳で逝去。
むしろ詩のような言葉たちが、天啓のように刺さる哲学者フリードリッヒ・ニーチェ55歳。
その映像美と東洋哲学的な世界観で観るものをうならせるアンドレイ・タルコフスキー54歳。
いくらでもいる。
一般に言う「善人」がしばしば凡人や俗人、または付和雷同者に多いのと比べれば、彼らに共通なのは早死にだという点。
一様に短い生涯に多くの珠玉の作品を残しているのは、むしろ奇跡に近い。
いずれも、多く人々に様々なインスパイアを与えている点で「天才」あるいは「鬼才」の部類に入るだろう。
佳人薄命である。
いや、佳人は長く生きてはならぬ。
まるで、そんな方程式すらあるように皮肉な天の摂理・・・?
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一方、デイビッド・ロックフェラーは101歳。
エリザベス女王(エリザベス2世)は96歳。
中曾根康弘101歳。
アドルフ・ヒットラー95歳=南米に亡命したよ。
支配者層(とりわけユダヤ系)の方々の食生活が、イーストを入れないパンや、ベジタリアンに近いそれであることは、一部では知られている事実だ。
それは結構なことだが、問題は彼らが食品産業をも牛耳っているということ。
つまり、一般市民にはおおいに「マ〇ド〇〇〇」や「コカ・コーラ」などを広め、砂糖や肉を推奨し、手軽なファストフードチェーンを拡大し、添加物どっぷりのインスタント食品を量産している。さらにまた、遺伝子組み換え食品は覆面化して僕らの周りにはびこっている。
知っているのである。
彼らは長寿な者が多い。
一方、僕らの周りには医者も首をかしげる新種の病が増えている。
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これは、あくまでも僕の推論でしかないが、「天才」というものが、薄命であるのは、その食生活にひどく偏りがあったのでは? という疑問だ。
日々、チーズとレモンを欠かさず摂っている若者が、驚くべき数式の暗算を瞬時にできる「天才」になったという臨床もある。
その方は一方で社会性を全く欠き、家族は懸念していたものの、その食習慣を改めると、次第に笑顔が出、人と接することができるようになった。
同時に、数式の「天才」は無くなった。
自閉症のお子さんで悩むご家庭は多いだろうが、その本人が抱えているトラウマもあることだろうが、おおむねそれは偏った食習慣に起因している点を見逃してはならない。
(余談;スターシードにも多いらしいです。この地球環境じゃねえ・・)
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さて、残念ながらここで挙げた「佳人」たちの食生活を覗くわけにはいかないのだが、おそらくは「中らずと雖も遠からず」ではないでしょうか?
「天才」、あるいはグッとレベルを下げて「タレント」と言われるものは、何かに「特化」しているから、その部分が光るわけです。
しかし、同時に他の部分は後退していることが多い。
いびつということ。
だから不幸になる者が多いとも言えます。
自然にバランスが取れた生命体というものは、何かに「特化」していないですね。それは「平凡」というレッテルでよく言われます。
さあ、どちらを取るかはあなた次第です。
平凡で健やかな人生を送るか、
非凡で波乱に富んだ、時に短い人生を送るか。
それは食生活に秘密があります。
東洋哲学に触れて40余年。すべては同じという価値観で、関心の対象が多岐にわたるため「なんだかよくわからない」人。だから「どこにものアナグラムMonikodo」です。現在、いかなる団体にも所属しない「独立個人」の爺さんです。ユーモアとアイロニーは現実とあの世の虹の架け橋。よろしく。