スモーキン・ブギ【SMORKERS ONLY】
あなたはタバコを吸われますか?
そうですか、禁煙されましたか。
あなたはどーですか?
もともと吸いませんか。
え? 大嫌いですか、煙が。
ですよね?
ショーワじゃあるまいし、いまどき大っぴらに喫煙なんて恥ずべき悪習ですよね。
副流煙もあることですし。
旦那さんが愛煙家ですと、近くに衣類を置くだけで臭いが移っちゃうし・・・。
いいことないです。
その「いいことない」側の論理です。
独善です。
煙いです。
いやーな気がしますので、申し訳ありませんがここから先は喫煙家のみの閲覧ということで💦
以下は、私の敬愛する文明評論家・林語堂氏の著書『生活の発見(人生をいかに生きるか)』を、私なりに解説したシリーズ中の「煙草と香について」からの抜粋です。古いもので申し訳ございません。
林語堂氏が愛煙家であったことから、百万の見方を得た気分になった当時の私の主張。一部過激な表現がありましたので割愛しました。
《ココから抜粋記事》↓
ニコチン賛歌(愛煙家の弁)
禁煙家諸君、および煙草に不調法な世の善男善女、紳士淑女諸君!
あなたがたは、モラルの面では何もいうことがない。
しかし多くの場合、それは何も言うことすらないというだけにすぎない。
禁煙は立派なことであるが、立派なことですら、他人に強要することはいただけないモラルである。
第一、林語堂氏がここでいみじくも指摘しているように、喫煙は「人生最大の愉楽のひとつ」である。
煙草、すなわち学名「二コチアナ・タバカム」こそ、天が人類に賜りし聖なる草なのだ。まして、パイプによる喫煙は、「第7芸術」とまで呼ばれるように、茶や花と同様、一種の芸術的素材であることをご存じだろうか?
とすれば、禁煙家諸氏は、タバコについて詮議立てをする前に、その人生の愉楽を享受できない自らを憐れむべきではなかろうか?
そのうえ、絵画や音楽と並ぶ「芸術」を味解する機会さえ逸しているのだとすれば、なぜ積極的に、そして謙虚に煙草を嗜んでみようとしないのであろうか?
禁煙とは、喫煙家がタバコをやめることをいう。
煙草嫌い、あるいは一度も煙草を吸ったことのないものは、「喫煙」を、まして「禁煙」を語る資格はない。
だから、本来の、というより字義通りの「禁煙家」というものは、見上げた克己心の持ち主であるし、精進潔斎の坊さんに匹敵する禁欲主義者である。
しかし、それが潔癖を通り越して排他になると手が付けられない。
というより、昨今の喫煙に対する風当たりはまさにそうだと言っていい。
社会人として、他人に迷惑を掛けないのは当然の義務であることは認めるにせよ、それ以前に、私たちはまた社会人として、そして私人として、多くのものや人、環境に「迷惑」を掛けつつ生きているのもまた事実である。
早い話が、単に「こらえ性」がなくなり、少々の不快、あるいは迷惑ですら我慢ならなく感じるものが増えたに過ぎない。
しかも、自らが他人に対して及ぼしている「迷惑」については自覚症状がないのだから困ったものである。
ところが、このごろは、他人から受ける迷惑のみの誹謗が先行して、ゆめゆめ自らが迷惑を掛けつつ生きていることなどと思いさえしない輩が多すぎる。
本当に煙草は健康の敵なのか?
もちろん「健康」という側面からも「喫煙」ははなはだ旗色が悪いのは重々承知である。事実、今日ではそれこそが喫煙者の最大のウィークポイントとなっている。
しかるに、弱者である彼の立場は下手をすると犯罪者並みである。
それでなくても、愛煙家は、一本吸うたびにサブリミナル効果(?)によって、「私の健康を損なうおそれがあります・・・」というお題目を洗脳されている。
次第に喫煙が恐ろしいもののように感じられてきた彼の脳裏には、肺がタールで真っ黒の写真や、その弊害を記載した医学書なるものがオーバーラップされてくる。
筆者(私)は、喫煙と健康について独自の見解を持っているが、大方の現代医学や一般常識と異なるので、ここではニ三のクエスチョンを投げかけるにとどめよう。
1.肺がんの患者の多くが喫煙者であったにせよ、そのデータサンプル自体にすでに喫煙者が多く含まれている
2.何万という人たちが喫煙者であっても、肺がんその他呼吸器系の病に侵されていない事実
3.ゆえに、喫煙=肺がんという因果関係はない
百歩譲って、タバコが引き金となって健康を害したとしても、タバコごときで病にならないような「体質」の獲得のほうがよほど大事だ。
『Bookish Cafe』第7号=2004年4月1日発行より
東洋哲学に触れて40余年。すべては同じという価値観で、関心の対象が多岐にわたるため「なんだかよくわからない」人。だから「どこにものアナグラムMonikodo」です。現在、いかなる団体にも所属しない「独立個人」の爺さんです。ユーモアとアイロニーは現実とあの世の虹の架け橋。よろしく。