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【恨】⑤ 考察対象:「サンガプ屋台」

 ドラマ「サンガプ屋台」では、閻魔大王からの「10万人の恨を解け」という命令が物語の軸となっています。

この指示を伝えるシーンで、主人公ウォルジュが「恨(ハン)」について次のように説明します。

恨とは、슬프고 억울하고 답답한 마음(悲しくて憂鬱で重苦しい心)を指し、それを解決(풀이)すること。

 つまり、「恨は解くべきものであり、解こうとすれば解けるもの」という発想が前提にあるようです。登場人物たちが抱える心のしこりが解消され、彼らがハッピーエンドを迎える場面が描かれています。

恨の基準

 ウォルジュは劇中で、恨(ハン)を説明する際に次のような基準を挙げています。

 ①によれば、単なる願望や憧れは恨(ハン)ではない。②によれば、過剰な願望や未練も恨(ハン)ではない。例えば、劇中では「死を前にした家族への秘密」や「亡き妻への未練」といった壮大なエピソードが描かれています。恨(ハン)と呼ぶためには、ある種の強烈さが求められるというのです。

 そこで違和感を覚えるのが、第3話の「就活生の恨」を解くエピソードです。就活生がどれだけ努力しても構造的な理由でうまくいかないという状況を描いたエピソードですが、「恨の基準」に当てはまっているでしょうか。

恨の心理的構造と本質

 崔祥鎮の論文「韓国人の民族的情緒、恨」では、恨の体験は、それを引き起こす客観的な出来事そのものではなく、体験者自身の心理的要素に深く依存していると指摘されています。

苦痛、挫折、悲しみ、悲嘆、憎悪、後悔といった感情は恨を構成する原料となる感情であって、恨そのものではない。また、こうした感情は、同じ状況で外国人も感じ得る。ではどのようにしてこのような原材料としての感情が、恨の経験と恨の感情に再創造されるのか。この解答は恨の漢字が持つ意味、つまり「悔いる(뉘우침)」という言葉に見出すことができる。恨経験の本質に対する理解と絡めて「悔いる」に含まれる二つの重要な意味要素は、「自分を振り返ること」と「悟る」という___自分に対する反省から自分に気付くというものだ。(中略)恨経験は不幸な自分の身の上を悟ることから始まる。(中略)貧しい、無学だ、差別待遇といった不幸が恨に発展するには、自分がこうした不幸を経て「自分の身の上を思うと恨めしい(서럽다)」とか「自分の今の立場を思うと恨めしくなる身の上」といった「悲しい身の上(서러운 신세)」に対する自己認識が必要だ。

崔祥鎭、キム・ギボム,「韓国人の民族的情緒、恨」
文化心理学 現代韓国人の心理分析』
(ソウル:知識産業社,2011)

 崔祥鎭は、恨が韓国人の民族的情緒たらしめている点を指摘する際に、「恨めしく思うこと」「恨めしい身の上だと思うこと」を分けて考えています。「恨めしく思うこと」はどの国の人にでもあることですが、「恨めしい身の上だと思うこと」が韓国人の情緒として特徴的だと指摘しているのです。自分の「身の上」を振り返って抱く心理ですから、ある程度の人生経験が必要です。こうした心理体系が韓国の中高年層は発達しているというのです。
 中高年の人が人生を振り返り、「아이고, 내 팔자야(おお、我が運命よ)」と自分の境遇を嘆くのが、典型的な恨の例です。そこには自己責任だけでなく、運命的な要素が絡み合っています。

 つまり、恨とは「自分の境遇を振り返り、それに気づき、反省する」という過程で形成される感情であるというこの定義に基づくと、就活生の「人生うまくいかない」という感情を恨とするには違和感がある理由です。若い就活生には、これから「人生がうまくいく」かもしれない未来が残されています。「もう取り返しがつかない」と人生を振り返って悔いる状況ではないのです。崔祥鎭が定義する恨を考えると、「人生を振り返り悔いていないとダメ」も、「恨の基準」に含めても良かったかもしれません。

 そもそも、若い就活生が「人生がうまくいかない」という気持ちを「恨」と表現することはないでしょう。若い世代は「恨」という言葉自体を使用することが減っているからです。

まとめ

・恨は、ハッピーエンドの結末を求める(恨が解消されることを求める)
・恨は、単なる悲哀ではなく内省・後悔(뉘우침)から生まれる

 より深くこのテーマを知りたい方は、『韓国人の心』の最後に収録されたエッセイ「解しの文化」をぜひお読みください。





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