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韓国(人)にとって日本(人)とはどういう存在なのか?

韓国(人)にとって日本(人)とはどんな存在なのか?そんなことは、分かりっこないし個性や世代によってことなることは自明なことである。

大変難しい問いであるため、真剣に考えたことが無かった問いであったが、自己紹介がてらここに記しておく。


専門領域や世代、性別、体験などの属性によってもかなり異なる回答が出てきそうであるが、自分と関わりのある2つの射程「韓国宗教研究者」「恨などのナショナルアイデンティティー研究者」から考察する。

韓国宗教研究者からみた韓国

韓国から見た日本は「似て非なるもの」である。そこが面白さであり、惹かれる所以でもある。韓国のアミニズムや巫俗は、除災招福的な民俗宗教という面で、いわゆる日本の神道と似ている。しかし、巫俗と神道では、両国における位相にかなりの隔たり、非なるものがある。韓国ではクリスチャンを中心に巫俗は邪教や迷信だといって遠ざけつつも、中高年女性を中心に困ったときの「巫堂頼み」をこっそり続けている。そんな宗教観から神道を見ると、まじない(おみくじや祈祷)の世界をオフィシャル化(観光地化)した日本の神社の有り様は目からウロコであり、かつ多くの日本人が鳥居を目にすると反射的にお辞儀をしてしまう様を見れば、日本人は信心深いと感じるであろう。


韓国の民間信仰の巫俗の村祭りの風景

ナショナルアイデンティティー・文化論研究者から見た韓国


世界的Kブームの中、日韓の人の往来が活発になり、韓国語理解者は劇的に増え、日本人の韓国理解は格段に向上した。もはや日韓の情報格差はなくなったはず。そう思いたいところだが、一般の日本人の韓国理解は、いまだに一般の韓国人の日本理解に追いついていないと考えている。Namuwikiなど、人々の集合知で書かれていくインターネットオープン辞書の日本関連項の充実度を見れば一目瞭然だ。日本人も知らないような詳細かつ深度のある日本の情報であふれている。

https://namu.wiki/w/%EC%9D%BC%EB%B3%B8


日本の項目のnamuwiki


ナショナルアイデンティティー的な視点で見れば、日韓関係は「合わせ鏡」のように複雑である。そもそも韓国の「民族」「個人」「アイデンティティー」という近代的な視点を日本というフィルターによって与えられた。民族自決権が奪われた植民地期にナショナルアイデンティティーを確立していく韓国において、「日本」は強く拒絶したい存在でありながらも、自分自身が深く内面化した存在であり、見習うべき相手であり、憧れであった。だが、こうしたアンビバレンツな愛憎が強く意識されていたのは2000年頃までだ。2020年代現在、日韓の経済的依存の低下、韓国の世界的地位向上と日本の世界的地位の没落などの理由で、自分を規定することが「日本を否定すること(反日)」ではほぼなくなった。日本はもはや「特別な国」でも何でもなく、その他の国と区別する必要のない、「普通の国」だと答えるだろう。

韓国は日本食も大人気だ


しかし、「普通の国だと思うこと」が、「普通の国であること」を意味するとは限らない。日韓相互の相手に対する知識・理解水準は、いまだ均衡が取れていない。われわれが思っている以上に韓国人は、その他の国とは比較にならないくらいに日本(人)のことをよく知っている。その意味で、いまだ韓国にとって日本は「普通の国」ではないのだと思う。

一昔日韓関係は「望遠鏡論」という言葉で言われることがあった。望遠鏡は見る方向によってものを等身大よりも大きく、もしくは小さく見ることが出来る。韓国は日本を課題評価しすぎ、日本は韓国を過小評価しすぎてきた時代が長かった。他の国の情報に比べて韓国の情報は関心を持つ人が多くなったからか、2000年代以降は大変多くなった。


しかし形がない精神世界や見えないもの、譲れない価値観・ハイカルチャーなどについては日本人は韓国文化や社会について知らないことが多いと思う。このブログではあなたの知らない韓国のそういった世界を紹介したい。



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