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【儒教】③ 韓国社会の脱儒教とその後遺症
現代韓国における儒教文化の衰退と、それに伴う社会的変化について考えてみましょう。儒教が国家イデオロギーとしての地位を喪失してから100年以上が経過し、近代化と国際化の中で儒教的儀礼や慣習は急速に衰退してきました。その一方で、儒教の影響が完全に消えることはなく、現在も韓国社会の特徴として残っています。
近代化とともに進む儒教批判
儒教への批判が始まったのは近代に入ってからのことです。日本統治時代には、「儒教の因襲が朝鮮の近代化を妨げている」とされ、儒教文化への否定的な見解が広まりました。植民地支配からの解放後も儒教の解体は進みました。1973年、朴正熙政権は「家庭儀礼準則」と呼ばれる大統領令を施行し、儒教式の家庭儀礼である四礼(冠礼、婚礼、葬礼、祭礼)の簡素化を推進しました。
一方で、朴正熙政権は儒教の一部を国民統合の象徴として利用した面もあります。「孝」とともに「忠」を強調し、儒教関係の建造物を修復して文化財に指定するほか、儒学者を紙幣の肖像画に採用するなどの施策を行いました。また、韓国の急速な経済成長は「儒教資本主義」、教育熱による高学歴化は「崇文主義」として評価されるなど、儒教が全否定されたわけではありませんでした。
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儒教文化の衰退と現代社会の変容
それでも、脱儒教化の流れは着実に進行しました。たとえば、中学校の道徳の教科書における儒教の記述は1990年代から2020年代にかけて大幅に削減されました。また、文化体育観光部の調査によると、「親の奉養を義務と感じる」と答えた人の割合は、2006年の76.5%から2022年には51.2%まで減少しています。このように、儒教的価値観は家庭儀礼の簡素化だけでなく、人々の意識にも影響を与え、社会全体の変化をもたらしています。
脱儒教を加速させた出来事
1997年のアジア通貨危機以降、多国籍企業の進出が進み、韓国社会における年功序列の文化が崩壊しました。それとともに、職場や日常生活において呼称がフラット化し、上下関係を重視する文化が薄れていきました。
また、2013年に発刊され、アジア各国でベストセラーとなった岸見一郎の『嫌われる勇気』は、儒教的な親子関係や人間関係の在り方を見直すきっかけを与えました。アドラー心理学の「課題の分離」やフラットな個を重視する考え方は、韓国社会に新しい価値観を提示しました。
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さらに、2017年に発売されたチョ・ナムジュの小説『82年生まれ、キム・ジヨン』は、韓国社会における女性の生きづらさを描き、大きな反響を呼びました。この作品は映画化され、ジェンダー問題に関する議論を活発化させるとともに、日本にも影響を与えました。
脱儒教の後遺症:新たな社会問題
急速に進んだ脱儒教化は、新たな社会問題も生み出しました。たとえば、「長幼の序」に基づく年長者らしい振る舞いが「コンデ」(時代遅れの説教好きな年配者)として揶揄され、高齢者と若者世代の分断が深まっています。また、家父長制やジェンダーギャップを問題視する動きが活発化する一方で、男性からは「逆差別」とする反発も起きており、男女間の対立が顕著になっています。
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さらに、教師の権威が失墜し、生徒や保護者からの逆ハラスメントが増加するなど、教育現場でも問題が深刻化しています。
儒教文化の回帰とその意義
こうした現象について、中川裕里は「急速な国際化・欧米化が儒教的価値観を薄れさせている一方で、伝統回帰が叫ばれるときには儒教が主軸になる」と指摘しています。つまり、儒教は完全に消え去るのではなく、韓国社会を象徴する重要なシンボルとしての役割を持ち続けているのです。儒教を代表とする男尊女卑や家父長制によって苦しみを叫ぶ一部の層はいても、それを「けしからん」と完全に根絶やしになどできっこありません。
実際、BTSのメンバー間の兄弟のような関係性や、「ヒョン」「オンニ」といった呼称文化は、儒教的価値観を象徴するものとして世界中のファンから支持を受けています。儒教は韓国、ひいては東アジアを特徴づける独自性であり、これからも「有効なシンボル」として機能し続けるといえるでしょう。