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韓国のキリスト教① 韓国キリスト教の受容史


日本ではクリスチャンの割合が1%未満であるのに対し、韓国社会におけるキリスト教の存在感は非常に大きいものがあります。ここでは、韓国におけるキリスト教の受容と発展の歴史を振り返ります。

韓国のキリスト教の特徴

韓国では、キリスト教が「カトリック」と「プロテスタント」に明確に分類され、それぞれに固有の呼称が与えられています。カトリックは「天主教」、プロテスタントは「基督教」または「改新教」と呼ばれます。さらにプロテスタント内では、長老派、監理派、純福音派、聖潔派など複数の派閥が存在し、その中でも長老派が最も多く、プロテスタント全体の66%を占めています。長老派の率が異常に高いのは韓国の特徴であり、人数の多さから世界の長老派の半分以上を占めます。


大邱の有名なカトリック聖堂

朝鮮へのキリスト教の伝来と初期の発展

朝鮮半島へのキリスト教の伝来は、自主的な入信が特徴です。1784年、李承薫が北京で洗礼を受け、朝鮮初のカトリック教徒となりました。しかし、カトリック信徒が儒教の先祖祭祀を拒否したことから、朝鮮王朝はキリスト教を反体制的な思想とみなし、多くの殉教者が出ることになりました。

19世紀後半になると、海外留学を経験した朝鮮人がプロテスタントに入信するようになり、1884年にはアメリカ人宣教師による本格的な宣教活動が始まりました。最初に上陸したのは長老派と監理派の宣教師たちで、彼らは教育事業や医療活動を通じて布教を進めました。宣教師たちが設立した学校には、後に梨花女子大学となる梨花学堂、そして延世大学の前身となるセブランス医学校(済衆院医学堂)などがあります。


キリスト教の拡大と平壌大リバイバル

エリート層以外への布教が進んだのは、朝鮮王朝末期(大韓帝国時代)に、人々が精神的安寧を求めて教会に集まるようになったことがきっかけです。宣教師たちは、聖書を学びキリスト教徒としての覚醒を促す「聖書査経会」と呼ばれる集会を各地で開催しました。

中でも1907年に平壌で行われた聖書査経会では、参加者が罪の告白を相次いで行い、大声で泣きながら祈る(通声祈祷)など、熱狂的な雰囲気に包まれました。この出来事は全国に広まり、平壌は「東洋のエルサレム」と称されるほどキリスト教の一大拠点となりました。

植民地時代のキリスト教と独立運動

日本統治時代には、キリスト教徒が独立運動にも関与しました。たとえば、1919年の3・1運動では、梨花学堂に通う高校生・柳寛順らが独立運動を先導しました。しかし、1937年以降の戦時下では、神社参拝の奨励・強要が進み、信教上の理由から参拝を拒否したプロテスタント信徒たちが多数逮捕されました。

解放後のキリスト教とその社会的影響

植民地支配からの解放後、プロテスタント主流派は親米・反共を掲げ、保守的な政党を支持するスタンスを取るようになりました。1966年には、韓国で初めて超教派の「国家朝餐祈祷会」が組織されました。この祈祷会には、毎年現職の大統領が参加する伝統が続いています。


国家朝餐祈祷会を報道する記事

一方で、民主化運動やリベラル政党を支援する「民衆神学」や「民衆教会」も一部存在しましたが、大きな勢力には成長しませんでした。左の勢力とキリスト教が近い日本とは状況が全く異なります。

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