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「乃木坂らしさ」はどこから来たのか -再考-(乃木坂46)

5期生ちゃんの参加直後の色々と揉めてた頃によく言われた「乃木坂らしさ」についてワシなりに考えたことがある。
で、その時の結論は、”グループ全体を俯瞰して自分の役割を果たしつつも個性を発揮し上を目指すメンバーの姿勢は「闘争よりも協調」”こそが乃木坂らしさであると書いた。
それを実現するのは「互いに敬意を持つ」「ほめ合う」「感謝する」「仲が良い」といったことが大きな要素だとも書いた(気がする)。

そんな「乃木坂らしさ」について、フォローしているSophieさんが、下のリンクのような記事を投稿されてたので読んでみたらおもしろい視点だなと思ったわけですね。


もともとが乃木坂ファンだった向井葉月ちゃんのブログから

乃木坂らしさってなんだろう。答えのない問いに悩まされてきました。だけどそれはメンバーだけが創り上げてきたものじゃなくて、何があっても乃木坂を認め続けてくれたファンの方々のことをもいうんだなって思いました。

向井葉月

と引用されていて、「乃木坂らしさ」の源泉としてのファンの存在について指摘されている。たしかにそうかもしれん。
まあ、3,4,5期のもともとファンだったメンバーの存在も、「乃木坂を認め続けてくれた」ファンのなかでも大きな力となってるんだろうな。

かつて楽屋の姿がおばさんぽいって言われてたけれど、最近少し痩せて素材の良さに加えて大人の雰囲気を漂わせてきた全力張り切りガール。

ワシも乃木坂ファンの端くれとして思うのは、まあ年齢的な部分もあるけれどメンバーひとりひとりがなんだか家族というか自分の娘のような気がしてならない。
だから誰かが体調不良で休業と聞けばなにかできなかとそこらじゅうをオロオロ歩き回り、コロナ陽性と聞けば朝昼晩と心配でたまらないし、ライブで元気がないと聞けば「次は大丈夫だ」と念力を送る。心無い人々から罵声を浴びせられたとしても彼女らの努力を信じて応援し続け、メンバーのイチャイチャを見せられて幸せな気持ちになり、素晴らしいパフォーマンスには自分のことのように嬉しくなる。

ファンとして当たり前かもしれないけれど、そういった気持をもって彼女らの姿を見ているってのがワシらであり、それが「何があっても乃木坂を認めている」ファンとというものなんだろう。

それを言語化してみれば「ファン」や「友人」というよりも、「家族」(あえて言えば「恋人」)に近い感覚ではないかと思いました。


これまでたくさんの人たちが考え続けてきた「乃木坂らしさ」を形作っているのはメンバーやスタッフだけではなく、その要素の一つとしてワシらファンもあるわけで、彼女らの頑張りをリスペクトし見守り声援を送り続けることがファン活動であり、そしてそれが「乃木坂らしさ」を継続してゆくことなのかもしれないな、なんて考えました。

乃木坂は変化することを肯定し且つそれを受け入れ挑戦することで成長してきたわけで、それに対してこれからも様々な批判を受けることがあるだろう。だけど、彼女らの成長を願ってワシらファンは「乃木坂らしさを醸し出す」存在として、これからも乃木坂46を認め続けてゆくことをここに誓います。
選手代表!トニーたに!
(BGMは古関裕而氏作曲の「栄冠は君に輝く」で)

若人よ いざ
まなじりは 歓呼にこたえ
いさぎよし 微笑む希望
ああ、栄冠は君に輝く

加賀大介作詞 古関裕而作曲

古臭い言い回しの歌詞だけど、よく読めばその歌詞の意味は「努力、感謝、笑顔」ではないか。

いつもながらまとまりがない書きっぱなしで、まことにすまぬ。

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