命の呼びかけ~「急いで高台に避難してください」
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東日本大震災での出来事。
宮城県南三陸町の防災対策庁舎で最後まで避難アナウンスを続けた遠藤未希さんをご存知ですか?
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★今日の学び・・・未希さんに祈りを
<虹の向こうの未希へ>
未希の遺品から見つけた娘からの手紙
「苦しいことやつらいことをのりこえてほっとした時 いつも心に浮かぶのはこの一言です 母さん 私を生んでくれてありがとう」
もっと生きたかっただろう娘の思いや、あの震災で起きたこと、そして大きな災害が起きたときにすべきことを、誰かに伝えなきゃ、伝える場を作ろうって思ったんです・・・
震災を語り継ぐ小さな民宿「未希の家」を建てるまでの軌跡
「未希が最後まで放送を続けた防災対策庁舎。 ここに来れば、あなたと語り合える気がしていた。 それが、その前に立つだけで胸が締め付けられ、辛い気持ちになるなんて、思っても見なかった」 そんな思いに駆られたお母さん遠藤美恵子さんが、一日一日を大切に生きようと思えた出会い。。。
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・・・「遠藤未希」の母親だと知って、とても驚いた様子で目を見開いてしやべり始めました。
「私、遠藤未希ちやんにね、実はお世話になったの、役場の窓口で」
なんでもこの女性は、未希が危機管理課に配属される前にいた町民税務課の窓口で、いつも声をかけてもらったり、相談に乗ってもらったりしたといいます。未希が亡くなったことを知り、手を合わせたいと思ってくれていたそうです。本当に偶然でした。
来希は家で仕事のことを滅多に話しませんでしたし、役場での仕事ぶりを他の人から聞いたのも初めてのことでした。
「うちの子は役に立ってたんだ」
そう実感できた出来事でした。
この女性だけではありません。この日は他にも仮設住宅を回ったのですが、もうひとつの仮設住宅でも来希のことを知っている人に出会ったのです。どちらも、初対面の人です。
未希はこんなにも誰かの記憶に残っていて、そして誰かのために役に立っていたのだと知り、とても誇らしく、嬉しく思いました。
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ある人から、こんなことを言われたことかあります。
「未希さんはたぶん、お母さんとお父さんを助けたくて、最期まで放送を頑張ったんじやないの」
もしそうであれば、未希は私がこんなふうに内にこもっていることを望んでいるはずがありません。これでは、未希が命がけで助けた甲斐がないというものです。未希が頑張ってくれたのだから、その思いに応えるためには、1日、1日を一生懸命に生きていかなければならない。そう思えるようになっていきました。
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◎民宿「未希の家」
http://mikinoie.minami3riku.com/
◎NHKオンライン 震災語り継ぐ小さな民宿
https://www3.nhk.or.jp/news/special/mikinoie/#page/1
◎はるかのひまわり絆プロジェクト
https://www.kizuna-project.work/