Story: One Team! ~ グローバル経営は幻想じゃない ~
【トニコバのプロローグ】
振り返るともう5年も前になる。その時、僕は10年のアメリカ勤務を終えて家族とともに日本に帰国した。僕はちょうど47回目の誕生日を迎えた直後のことだった。
この5年間は僕にとって大きな試練を経験した時期ともいえるし、人生を豊かにしてくれるための転機となった時期と言えるかもしれない。
この5年間を振り返る物語を今から語ろうと思う。
僕の勤めているクロッカス電機は情報機器産業メーカーで日本では名の通ったグローバルメーカーである。 売上規模で言うと日本の製造業のトップ50に入る。世間的には大企業と言えるだろう。ただ日本的企業風土というか全然グローバルスタンダードになり切れない旧態依然とした典型的な日本企業だと僕は思っている。言い換えれば、クロッカス電機は戦後のベンチャー企業として町工場から身を起こし、所帯が大きくなるにつれて官僚主義が蔓延り、昔の自由闊達な空気は今はなく減点主義で上意下達の企業風土をもつ極めて一般的な日本の大企業と化したと言える。
業界はWISE社とブレイカエー社と我が社の3社でほぼ市場を寡占していると言っても良い。最近成長著しい4番手のツインシティ精密がぐいぐい売り上げを伸ばしてきている状況である。この業界はどこの企業も海外事業が全体の売上比率は50%を超えている。いわゆるグローバルカンパニーである。積極的に海外の会社を買収し、どの企業も海外には幾つか工場をもち、主だった国々に販売会社を設けている。
リーマンショック前まではクロッカス電機は「勝ち組」企業ともてはやされたのだが、ホワイトカラーのいわゆる事務作業の急速なデジタル化によって、業界全体にとっての市場の伸び悩みが生じ、需要は停滞し、今や斜陽の憂き目に遭っている産業と言っても良いだろう。特にクロッカス電機は何年も事業成長の歩みが止まっている。
さて、日本に帰国した当時のことから話は始まる。
僕は帰国後の辞令で本社の経営企画部長というポジションを与えられ、経営の舵取りのための参謀を仰せつかった。僕の新たなミッションは、事業構造の転換を図るキーマンと言っては口幅ったいが、企業活動の再活性化を求められてのアサイメントだった。右肩上がりの成長が望めない事業にすがっていては会社の未来はない、ということで事業構造をどのように変換していくのか、会社として経営資源をどこにどうぶっこむのかの立案をする仕事であった。その時はまだ仕事の難しさ、社内調整や社内政治というものが分かっていない状態であったので、無心に頑張れば会社を変えられると信じていた時期であった。
仕事柄で日々地位の高い人と接する機会が多いのだが、そういう人たちにどのように配慮すべきかいまいちわからなくて、いろいろな場面でどのように振舞えばよいのか躊躇してしまうことが多く、いまだに自分の立ち位置がよくわかっていない。特に「空気を読む」ということができない。そんなこと考えたこともなかったアメリカ社会では仕事内容はともかくとして、人間に気を遣うという点では「今までは気楽だったなぁ~」とため息がでることがしばしばだ。
僕のアメリカでの勤務先では主な仕事が買収した会社を軌道に乗せることだった。 分かりやすく言うと、企業買収を断行した日本本社のメンツを守るために帳尻を合わせて買収自体は成功であったと言えるように取り図れ、というミッションであった。買収当時膨れ上がっていた被買収企業の事業内容を精査し、徐々にリストラを遂行し業績を立て直すことであった。まあ、大変な仕事ではあったが、仕事の中身よりも10年にわたりアメリカ人と一緒に仕事をしてきた経験が僕を成長させてくれたように感じ、特に感性で動いているような僕に合理的な思考回路を与えてくれたことが大きな財産のように思えている。
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