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労働Gメンは突然に season2:第3話「17時までの労働者」〈後編〉

登場人物

時野 龍牙 ときの りゅうが 23歳
新人の労働基準監督官。K労働局・角宇乃かくうの労働基準監督署・第一方面所属。監督官試験をトップの成績で合格。老若男女、誰とでも話すのが得意。

加平 蒼佑 かひら そうすけ 30歳
6年目の労働基準監督官。第一方面所属。時野の直属の先輩。あだ名は「冷徹王子」。同期の麗花にプロポーズするも返事を保留されている(season1・第6話)。

紙地 嵩史 かみじ たかふみ 43歳
20年目の労働基準監督官。第一方面主任。時野と加平の直属の上司。加平の過激な言動に心労が絶えない管理職。

若月 優香 わかつき ゆうか 35歳
厚生労働事務官。労災課・補償係長。加平のことがお気に入り。別居と元さやを繰り返す労災監察官の夫とは大恋愛で結婚(season1・電子書籍版の書き下ろし番外編)。

黒瀬 麗花 くろせ れいか 27歳
元労働基準監督官。加平の同期。監督官OBの父の死の真相を探るべく色々やらかしたことで、謹慎を経て退職(season1・第6話/第7話/第8話)。

石山 花音 いしやま かのん 17歳
麗花のはとこ。父親が心筋梗塞で亡くなった原因は長時間労働にあると考え、麗花に付き添われて角宇乃署に相談に訪れる。

労働基準監督官のお仕事小説、労働ジーメンは突然に、season1を読む
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*ひとつの話は前編・中編・後編で構成されています。

本編:第3話「17時までの労働者」〈後編〉

§1

「おかえり! 結構時間かかったね」

 時刻は18時半。労働基準監督署の閉庁時刻である17時15分はとっくに過ぎている。

 角宇乃労働基準監督署の正面玄関は施錠されているが、戻りが遅くなると連絡をいれていたので、紙地一主任が通用口を開けて待っていてくれた。

「一主任、遅くなってすみません」

「いいよ、元々残業するつもりだったから。それより、どうだった? もしかして、文書交付までいったの?」

 事業場を臨検して調査を行い、法律違反の特定に至れば、その場で文書指導――是正勧告書の交付――を行うこともある。

「いえ、それが……」

 加平は表情を曇らせながら、紙地一主任に状況を説明した。

「17時まで……とは、どういう意味ですか?」

 福田社長の言葉に、加平は即座に聞き返した。

「当社は、従業員と2つの契約を交わしています」

 福田社長が合図をすると、人事担当者の女性が2通の契約書を出した。

「例えばこれは石山くんとの契約書です。こちらは雇用契約で、もう一方は業務委託契約」

(雇用契約と業務委託契約……?)

 加平が手に取った契約書を、時野は横から覗き込んだ。

 雇用契約書の方には、所定労働時間が8時から17時と記載されている。

「基本の終業時刻は17時。それ以降に残るかどうかは本人の自由です。17時以降残った分については、業務委託契約により売上に対する歩合で支払います」

(歩合?)

 福田社長は『業務委託契約書』を示した。『17時以降は売上の28%を業務委託料として支払う』とある。

「本人の自由と言っても、実態として17時以降も残らざるを得ないのではありませんか? 正直言って、この賃金設定では定時内労働だけで家族を養うのは厳しいと思いますが」

 雇用契約書には、時給1162円とある。この時給は、K県の最低賃金と同じ額だ。

 仮に所定労働時間だけ働くとすると、
 1162×8時間×約22日=204,512
となるので、約20万円ほどの月収だ。

(僕の給料と同じぐらいだけど、僕が養っているのは自分だけ。家族も養うとなると、もっとあった方がいいだろうな)

「ですから、その選択は本人に任せているということですよ。定時だけ働くもよし、17時以降も残って業務委託で歩合を稼ぐもよし」

「……石山さんの場合、休みもあまりとれていないようですが」

 労働基準法では、労働時間は1日8時間、週40時間と定められている。

 それを超える労働については、36協定で協定した上限時間内に収める必要がある上に、割増賃金の支払いも必要となる。

 石山健三の先月の労働時間の記録を見ると、休みが2日しかない。

 このため、休みがない週では労働時間が
 8時間×7日=56時間
となり、16時間の時間外・休日労働が発生していることになる。

 つまり、福田社長の言う『17時以降は業務委託契約』を肯定するとしても、17時までの労働だけで週40時間を超えているのだ。

「ああ、もちろん週5日を超えて出勤した分は、割増賃金を支払っていますよ」

 該当する月の石山健三の賃金台帳を確認すると、合計で56時間分――時間外労働が32時間分、休日労働が24時間分――の割増賃金が支払われていた。

(合計56時間でも少ないとは言えないけれど、特別条項を発動すれば36協定の上限は超えていないし、割増賃金を支払っているから法律違反はない。その上……)

 石山健三の直近6か月分の労働時間を確認すると、記録上、週40時間を超える労働は月40~60時間程度であり、80時間を超える月はない。

(これだと、労災の認定基準である、単月で100時間超えあるいは2から6か月平均80時間超えに該当しないことになる……)

 時野がチラリと福田社長を見ると、口元にほんのり笑みをたたえているように見えた。

「17時までは労働者、17時からは業務委託か。よく考えたもんだな」

 紙地一主任も感心している様子だ。

「17時以降も労働時間だとすると、たこ焼きの売り上げがあってもなくても多額の割増賃金が発生することになるが、悪く言えば、そこを業務委託による歩合制にすることであくまで売り上げ見合い分しか払わなくていいわけか……。これは慎重な判断が必要だな」

「ええ。それで、一旦持ち帰ることにしました」

「だな。現場で判断できるような事案じゃない。材料を整理できたら、協議しようか」

「はい」

 翌日。時野と加平は、福田社長らから確認した事項を取りまとめ、署内協議にかけた。

 署内協議とは、労働基準監督署の署長以下労働基準監督官が集まって、議題について協議し、労働基準監督署としての判断を出す場だ。

 署長・副署長・方面主任・担当官だけで集まる時もあれば、議題の内容によっては他の方面主任や安全衛生課長が加わることもある。

 今回は、署長・副署長・紙地一主任・加平・時野の5名で協議したのだが――協議の結果、『福田社長の主張を否定し、17時以降も労働基準法上の労働者であると断定することは難しい』という署内判断となった。

(確かに今の状況では、17時以降の作業が労働時間と言えるかどうかは、グレーだ。法律上、グレーを黒と断定することは難しい。17時以降も事業主の指揮監督を受けて業務を行っているという証拠がなければ、これ以上は……)

 FortuneFieldsの業務委託契約書には、労働者側の署名もある。

 もちろん、業務委託契約書だけで判断するわけではなく、実態を見て判断するのだが、残念ながら、業務委託契約書の内容を覆す根拠は今のところないのだ。

 時野が眉間にしわを寄せて考え込んでいると、加平が目の前に立った。

「?」

 加平を見上げた途端、突然おでこに激痛が走った。

 強烈なデコピンをされたのだ。

「いたっ! 急に何するんですか」

 涙目でおでこを押さえながら、時野は加平に抗議した。

「1人で考え込んでんじゃねーよ」

「え?」

「福田の主張を否定できる何かを見つければいいんだろ?」

 加平は口角をニッと上げた。

「加平さん……」

 時野もつられて頬が緩む。

(でも、一体どうやって……?)

§2

 時刻は夕飯時。

 辺りにはソースのいい匂いが漂い、吸い寄せられるように次々と客が屋台の前に列を作る。

「お待たせしました、『うますぎたこ焼き』と『ネギだこ』1つずつですね。まいどありがとうございまーす!」

 青池が、笑顔で客に商品を渡す。

(こんなに繁盛しているのは、たこ焼きの味だけではないのかもしれない)

 仕事に疲れて、勉強に疲れて、おなかがペコペコの人たちに、元気が込められたたこ焼きを売っているようなたこ焼き屋。

 夜の始まりの寂しくて疲れた空気を、陽キャの青池が作り出す元気な屋台が吹き飛ばしているかのようだ。

「すみません、お待たせしちゃって」

 首にかけたタオルで汗を拭きながら、青池は屋台から出てきた。

「こちらこそ、お仕事中に申し訳ありません」

 石山健三の同僚・青池涼太りょうたから話を聞くため、時野と加平は19時半頃アトラス市場にやってきたのだが、客の行列がはけるまで、結局30分ほど待つことになった。

「社長に会ったんスよね? 所長から聞きました。労基に対して、17時以降は労働じゃないと言い張ったって」

 青池はガシガシと頭をかくと、ため息をついた。

「俺……昔は結構やんちゃしてて。いつしかギャンブルにはまって、終いには借金作りました。『学歴不問で歩合で稼げる』っていうフレーズに半ば騙されるように、俺はFortuneFieldsに入社したんス」

 青池は、肩にかけていたタオルを両手で握った。

「そんな俺に教育係でついてくれたのが、石山さんです。飲食も接客も初心者の俺に、石山さんは一から仕事を教えてくれました。遅刻したら叱ってくれて、売り上げが上がったら褒めてくれて、客から怒られたら一緒に謝ってくれて……。出会って3年ですけど、俺にとっては親父のような人でした」

 青池が言葉を切ると、屋台の鉄板のジューという音だけが聞こえてきた。

「昼頃から屋台は出しますけど、17時以降は一番売れ時なんです。それに、出店先――例えばここだったらアトラスとは、本社が契約してるんスけど、基本的には閉店まで屋台を出すって契約らしいです。だから、早じまいするなら出店先の許可を取らないといけなくて。急用で帰ろうとした従業員と出店先がもめた時なんか、石山さんが代わってラストまで屋台を出したりしてました。その日は石山さん、休日だったのにですよ? ……あ、いらっしゃいませ!」

 客が来たので青池は屋台に戻って注文をとると、手際よくたこ焼きにトッピングをした。

 接客を終えた青池が、「すみません」と言いながら戻ってきたので、時野は首を振った。

「石山さんは、角宇乃営業所で一番の古株だったんです。それに、後輩の面倒見もよくて。所長も、そんな石山さんに頼り切っていました。従業員が急に休んだり、出店店や客から怒られたりすると、石山さんが駆けつけてフォローしてたんス。それに、俺たちが週1は休めるように、石山さんが調整してくれて……本人はほとんど休めていなかったのに」

 青池はぎゅっと拳を握りしめると、顔を上げた。

「俺、社長のこと許せません。石山さんは、勤務環境の改善を社長に何度も訴えてきた。だけど、売り上げがなければ給料も払えないんだぞって、半ば脅すようなこと言って、取り合わなかった。石山さんは、会社に殺されたも同然なんです! 俺にできることはありませんか」

「そういうことなら、協力してもらいたいことがあります」

 加平がそう言うと、青池は大きく頷いた。

「もちろんです! 俺は何をすれば……」

 加平の話を聞くと、青池はぱっと表情を明るくした。

「わかりました! 俺、やってやります! ……はーい、いらっしゃいませー!」

 また客が来たので、青池は屋台に戻った。

 元々明るい接客の青池だったが、さっきよりも声にハリがあるような気がした。

「加平さん、あの……」

 時野が何か言いかけると、加平が時野の両頬をつまんでぐいっと引っ張った。

「一主任に余計な事言うなよ」

「ひゃい」

(上に言えないようなやり方だっていう自覚は、一応あるんだ……)

§3

「社長、労基署の方がお見えになりました」

 角宇乃営業所の事務室で営業実績のデータに目を通していると、押元所長が声をかけてきた。

「わかった」

 事務室の一角には簡易なテーブルに椅子が4脚置いてあり、打ち合わせや来客対応はそこで行う。

(文書を持ってくると言うが、どうせ指導票どまりだろう)

 福田は、FortuneFieldsの運営方法に自信をもっていた。

 これまでにも、営業所に労働基準監督署が調査に入ったことが何度かある。

 最初は毎回肝を冷やしたものだが、結局、一度も法律違反の指摘を受けたことはない。

(どこの労働基準監督署も、細かく調べ上げて法律違反だと断定するだけの根性などないのだ)

 事務室の扉が開いて、押元所長が加平と時野を連れて入ってきた。

(今回は、石山が死んだりしたから大ごとになったが、大事ない。こいつらも、俺のやり方を覆す度胸などないだろう)

「お待ちしていました。どうぞおかけください」

 福田は営業スマイルで2人に椅子を勧め、自らも腰かけた。

「さっそくですが……」

 加平が鞄から書類を取り出すと、福田の前に置いた。

「労働基準法第32条違反、第37条違反の是正勧告書です」

「!」

(違反だと?)

 福田は眼鏡の位置を直しながら、目の前に置かれた『是正勧告書』を手に取った。

「32条違反は、36協定を超える時間外労働をさせたという意味です。37条の方は、時間外労働の割増賃金を支払っていない違反です。36協定を超える時間外労働の速やかな是正と、17時以降の労働に対する割増賃金の支払いをしてもらいます」

「な、何をおっしゃってるんです? 時間外労働は36協定の範囲内だし、割増賃金だってちゃんと……」

「それは、あくまで17時以降は労働時間ではないと仮定した場合ですよね?」

「ええ、そうです。そうご説明してきたはずですが」

(こいつは、何を根拠に、違反だなんて……)

 加平は、福田の前に別の書類を置いた。

「アトラス市場と御社との間の契約書の写しです」

「!」

(な、なんでこれを労基が。まさか……)

 福田が隣を見ると、押元所長が両手を握りしめてうつむいている。

「おい、おしも……」

「この契約書には」

 福田は押元所長を問い詰めようとしたのだが、加平がさえぎった。

「原則としてアトラス市場の閉店時間まで屋台を出すという契約内容になっています」

「!」

「福田さん。あなたは、17時以降屋台を続けるかどうかは従業員の自由だといった。だが、本当に従業員の自由意思で屋台を閉めたら、契約不履行になりますよね?」

「それは……」

「授業員の自由意志と表面上は言いつつも、17時で屋台を閉めることは、実態としてあなたも従業員も想定していない。だから、急な休みや早退が出た時は、リーダー的な存在である石山さんが配置の調整をしたり、自らが代わりに屋台に立ったりした」

 加平は、福田の方をまっすぐに見てきた。

(こ、こいつ……)

「事実上17時以降の屋台作業を義務づけたり、急な休みの代打に入らせるということは、17時以降も事業主の指揮命令の下に労働をしている、労働時間なんですよ!」

 福田は視線を落とし、アトラス市場の契約書の写しを凝視した。

(くそっ! アトラスとの契約内容はバレたのなら仕方ない。ただし、他の出店先のことは把握していないはず……)

 すると突然、大量の書類がバササッと福田の前に落ちてきた。

「!」

「ああ、もちろん、アトラス市場だけの話じゃありません。他の全ての出店先との契約書も同様であると確認しましたから」

 福田の前に落ちてきた書類は、他の出店先とFortuneFieldsとの契約書の写しだったのだ。

(押元のやつ……!)

「他の出店先も全て、17時以降も労働基準法の労働者であって、労働時間であると、労働基準監督署は判断します」

「さっきから黙って聞いてりゃ、何を言ってるんだ! 俺は認めない! 他の営業所でも、労基から指摘されたことなんかないんだ! こんな……」

 その時、福田のスマートフォンが鳴動した。

 画面には、本社の電話番号が表示されている。

(急ぎでなければメッセージを送るはず。わざわざ電話をかけるとは、何かあったのか?)

「ちょっとすみません……。福田だ」

『社長、大変です! 角宇乃営業所エリアの複数の出店先から、屋台の出店時間を短くする内容の契約変更を当社の担当者が申し入れてきたという連絡が入っています! 一方的で勝手だと、いずれの出店先もお怒りで……』

「な、なんだと?」

(屋台の出店時間を短くする申し入れ? バカな。誰がそんなことを勝手に……)

 福田はスマートフォンから耳を離すと、押元所長を睨みつけた。

「おい、押元! お前、勝手に契約変更の申し入れを……」

 その時、事務室のドアが突然開き、青池を先頭に従業員がどやどやと中に入ってきた。

(な、なんでこんな時間に従業員が集まっているんだ)

「お、おい! 来客中だぞ! それに、各自の持ち場はどうしたんだ!」

「社長! 俺達、労働組合を作りました」

「は……?」

「働き方改革について、団体交渉を申し入れます」

(労働組合だと?)

「社長の対応によってはストライキも視野に入れてるんで、そこんところよろしくっス」

「な……に……?」

 思考が追いつかず固まっていると、加平が是正勧告書を福田の面前にずいっと押し出した。

「受領者職氏名欄に、署名を」

「は……」

『社長! 出店先にはどう対応しますか? もしもし、社長!』

「今すぐ、団体交渉お願いします。 今はダメってんなら日程を決めてくれないと、ストライキっス!」

 福田は青い顔で椅子からずるずると落ち、冷たい床に座り込んだのだった……。

§4

「……ええ。はい、わかってます、きつく言って聞かせます。……もちろんです、課長!」

 受話器を耳に当てたまま、紙地一主任は一人で頭を下げ続けていた。

 時野と加平は、そんな紙地一主任を見守っていたが……。

「はあー。やっと終わったー」

 受話器を置くと、椅子の背もたれにもたれかかって紙地一主任は脱力した。

「一主任、おつかれさまです!」

 時野が声をかけながら紙地一主任に駆け寄る。

 電話の相手は、K労働局の監督課長だ。

 労働局の監督課は、K県内の労働基準監督署を管理・指導する役割をもち、トップである監督課長は、本省から来ていることが多い。

 FortuneFieldsを徹底的に叩きのめした加平について、福田社長が労働局に苦情の電話をかけてきたらしい。

 それで、加平の直属の上司である紙地一主任に、監督課長からお叱りの電話がかかってきたのだ。

(まあ、苦情を言われても仕方ないぐらい、加平さんのやり方が強引で常識外れであったことは、否めないな)

 アトラス市場に青池を訪ねて行った日――加平は青池に2つの協力を依頼した。

 1つ目は、押元所長を説得して、出店先とFortuneFieldsの間の契約書を入手すること。

 青池の話から、出店先との契約上、17時以降も屋台を開けざるを得ない状況であることがわかったわけだが、あの福田社長を黙らせるには証拠を突きつける必要がある。

 青池が押元所長を説得したところ、雇用契約と業務委託契約の二重契約について、かねてから実態にそぐわない内容だと感じていたらしい押元所長は、決意を固めて協力してくれた。

『石山さんが亡くなったことについては、私も責任を感じていたんです……。古参の石山さんに、私は頼り過ぎていた。それが石山さんの心身の重い負担になったと思うと、私は……』

 そう言った押元所長は、涙ぐんでいた。

 押元所長経由で入手した出店先とFortuneFieldsの契約書によって、17時以降の屋台の営業は従業員の自由意志で決められるものではなく、仮に17時で屋台を閉めれば出店先との契約不履行になることが明らかになった。

 紙地一主任に報告の上、加平と時野はFortuneFieldsの案件を再度署内会議にかけ、法律違反として是正勧告書を交付するという方向で、署長たちを説得した。

(出店先との契約書という書面の証拠が手に入ったから、署長たちも渋々了承してくれたけど)

 だが加平は、是正勧告書の交付だけでは足りないと考えたようだ。

 2つめの青池への依頼は、労働組合を組織すること。

 青池は、忙しい業務の合間を縫って全営業所の同僚らに話をつけ、労働者の過半数が加盟する労働組合を立ち上げた。

(労働組合としてはまだ不完全なところもあるけど、これまで沈黙していた労働者が立ち上がったということが、福田社長にとって大きな抑止力となるだろう)

 さらに加平は、各出店先との契約変更――屋台の時間を短くするというもの――を申し出るよう、押元所長に教示した。

『契約変更に至れば一番いいですが、今はそうならなくても構いません。要は、トラブルを起こして、福田にダメージを与えられればいいです』

(ここまでくると、ちょっとやり過ぎのような気もしたけど……結果的に福田社長を多方面から追い込むことができた。だけど、半ばそそのかすように青池さんと押元所長に提案した後の加平さんは……)

『福田みたいな輩は、徹底的に攻撃してメンタルの砦を崩さねーとな』

 そう言った時の加平のガラの悪い表情を思い出して、時野は身震いした。

(加平さんが味方でよかった!)

「加平あー! まったくもおー! マジで俺を禿げさせる気だな?」

 紙地一主任は、加平にガシっと肩を組んでもたれかかった。

「すみませんって……一主任」

 さすがの加平も、居心地が悪そうにしている。

「まあ、FortuneFieldsの社長の苦情は角宇乃署のやり方に対するもので、是正勧告書に対するものではなかったそうだから、法律違反の指摘については一応納得してもらえたみたいだな」

 FortuneFieldsに是正勧告書を交付して一週間ほど経過していた。

 実は、昨日押元所長から時野たちに連絡があり、社会保険労務士と契約をして、労働時間や賃金の支払いの在り方について改善に取り組むことになったとの報告を受けていた。

『さすがの社長も、この実態で業務委託契約として続けることは難しいと観念したようです。社労士さんに入ってもらって、労働基準法を遵守するよう働き方を変えていくことになりました!』

 加えて、押元所長や青池についてもお咎めなしだったということに、時野は胸をなでおろした。

『青池くんは、もはやうちのエースですからね。簡単にクビにするなんてできません。それに、ただでさえ人手不足ですから。私についても、いなくなると業務が回らないと社長は判断したのだと思います』

 初めて角宇乃営業所を臨検した時と違って、押元所長の声は明るかった。

(この調子なら、今いる従業員たちの働き方は改善されるだろう。それと……)

「加平ー! いらっしゃったわよ」

 声をかけてきたのは、労災課の若月だ。

 若月のいる労災課のカウンターに近づくと、花音と麗花が座っているのが見えた。

 花音は立ち上がって、時野と加平に頭を下げた。

「青池さんから全部聞きました。なんとお礼を言っていいか……」

「それで今日は、正式に遺族補償の請求書を提出されるそうよ」

 若月がそう言って、接客カウンターの上にある労災保険の請求書を指さした。

「正式な認定調査はもちろんすることになるけど、加平の言っていた労働時間数なら、まず認定になるでしょうね」

 加平の肩に手を置きながら、ひそひそ声で若月は加平に言った。

 17時までしか石山健三の労働時間が認められないとなると、労災の認定基準には到底届かないので心配だったのだが、今回の是正勧告で17時以降も労働時間と特定したので、認定基準を優に超えることになるだろう。

(よかった。労災認定になれば、花音さんが遺族給付を受けることができる。お父さんを失った悲しみは消えることはないけど、花音さんの今後の生活はひとまず保障される)

 時野は、請求書に記入している花音のことを、ホッとしながら見ていたのだが――。

(ん? どこかから殺気を感じるような……はッ!)

 花音の横にいる麗花が、加平にしなだれかかる若月を凝視している。

「!」

 加平も気がついたようだ。慌てて若月から離れるが、後の祭りだ。

「れい……」

「花音ちゃん! 私、車で待ってるね」

「えっ? あ、はい」

 麗花はずかずかと大股で歩いて事務室を出て行ってしまった。

「麗花! 待てって! いてっ!」

 急いで追いかけようとして、加平は長い脚をどこかにぶつけたようだ。痛みで顔をしかめながら、麗花を追って事務室を出て行った。

(冷徹王子も、麗花さんに振られたら形無しだな)

 珍しく情けない様子の加平を見て、なんだか笑ってしまった時野なのであった。

ー第4話に続くー


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