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労働Gメンは突然に season2:第2話「消えた女」〈後編〉

登場人物

時野 龍牙 ときの りゅうが 23歳
新人の労働基準監督官。K労働局角宇乃かくうの労働基準監督署第一方面所属。監督官試験をトップの成績で合格。老若男女、誰とでも話すのが得意。

加平 蒼佑 かひら そうすけ 30歳
6年目の労働基準監督官。第一方面所属。時野の直属の先輩。あだ名は「冷徹王子」。同期の麗花にプロポーズするも返事を保留されている。

紙地 嵩史 かみじ たかふみ 43歳
20年目の労働基準監督官。第一方面主任。時野と加平の直属の上司。加平の過激な言動に心労が絶えない管理職。

高光 漣 たかみつ れん 45歳
22年目の労働基準監督官。安全衛生課長。おしゃべり好き。意外と常識人。美人の先輩を追いかけて監督官に。妻は関西出身。

有働 伊織 うどう いおり 37歳
15年目の労働基準監督官。第三方面主任。労働基準監督官史上最もイケメン。バツイチ。部下の夏沢にほの字。

夏沢 百萌 なつさわ ももえ 29歳
7年目の労働基準監督官。第三方面所属。人からの好意にも悪意にも疎い。加平が苦手だったが、ある事件をきっかけに気になる存在に?

伍堂 快人 ごどう かいと 25歳
新人の労働基準監督官。S労働局所属。時野の同期。「初めて会った気がしない!」という口説き文句が口癖で惚れっぽい性格。

労働基準監督官のお仕事小説、労働ジーメンは突然に、season1を読む
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*ひとつの話は前編・中編・後編で構成されています。

本編:第2話「消えた女」〈後編〉

§1

「あっ、それはナイスガイの阿部くんじゃない?」

(ナイスガイ?)

 昼休み。時野は、高光課長に昨年度の縦浜南署にいた『阿部』について聞き込みをした。

「ナイスガイって……ああ、阿部航基こうきの方ですか」

 自席で弁当を食べていた永渡ながとが、話に入ってきた。

「そーそー。相談員さんたちから『爽やか』だの『好青年』だの言われて、その上美人監督官の林成美はやしなるみちゃんと結婚してさ。最初はいけ好かないやつと思ったんだけど、しゃべってみると確かに好青年で、仕事もテキパキこなしてナイスガイなのよー」

(ということは、一主任の言っていた"夫婦監督官"の夫さんの方か)

「阿部健太郎の方も、いいヤツじゃないですか」

(それがもう1人の男性の阿部さんかな?)

 永渡の発言に、高光課長は同意した。

「確かに、アベケンもいいヤツではあるけどさ。ちょっとオタクっぽいんだよなー。だから監督官代表として受験生の前に出すならアベコーの方だろうな」

「そのアベコーさん……阿部航基さんは今どちらの署にいらっしゃるんですか?」

 高光課長が、おでこを指でトントンしながら考えている。

「えーと、どこだっけ……? あ、いいところに、夏沢ちゃん!」

 高光課長が、安全衛生課の前を通りかかった第三方面の夏沢百萌を呼び止めた。

「時野くんがアベコーに会いたがってんだけどさー。アベコーって今どこにいるんだっけ?」

「航基さんなら、佐賀巳さがみ署の労災課ですよ」

(佐賀巳署か……。さてどうやってアポイントをとるかな)

 時野が考えていると、夏沢が意外なことを言った。

「航基さんに会いたいなら、今週の金曜日にうちの署に来ますけど」

「えぇっ!」

 時野と高光課長は、驚きのあまり声がハモってしまった。

「被災労働者の聴取で場所を借りたいとのことで、私が会議室を取りましたから」

 高光課長が、不思議そうな顔をしている。

「アベコーは今労災課なのに、方面の夏沢ちゃんにそんなこと頼んでくるわけ?」

「あ、それは……『角宇乃署に出張するからお昼一緒に食べない?』っていうお誘いが始めにあって、その話の流れで私が会議室も予約することになったので……」

 高光課長は右の眉を上げた。

「なに? アベコーのやつ、既婚者のくせに隅に置けない! よし、私もそのランチに参加しよう!」

「えっ? あ、はあ……」

(夏沢さんをランチに誘う、ナイスガイで既婚者のアベコーさん……。なんか全然イメージが定まらないな)

『えっ! それほんとかよ!』

 業務終了後。時野は自宅までの帰路、歩きながら伍堂に電話をかけた。

 金曜日に『ナイスガイの阿部』ことアベコーに会えそうであること。その時に、例の女性監督官が誰だったのか確認することを、現在の状況として伍堂に説明した。

『やったぜ! さすが時野』

 嫌々始めた人探しのはずだが、電話口から伍堂の喜ぶ声が聞こえると、時野も少しうれしい気持ちになるから不思議だ。

「念のため確認だけど、女性監督官と出会ったっていうのは本当の話なんだろうな?」

『あったりまえだろ、本当の話だよ! 俺が夢でも見たって言うのかよ!』

「だって、昨年度の縦浜南署に女性監督官はいなかったんだぞ」

『えっ! それはおかしいな……。黙ってたけど、実は他にもおかしいことがあったんだよな』

「おかしいこと?」

『うん。いや俺もさ、自分で何もしないで時野に丸投げしたわけじゃなくて、実は……』

(え……?)

 伍堂の話を聞いて、時野はますます混乱したのだった。

§2

 そして、決戦の金曜日(?)がやってきた。

 時野はあれから、念のため昨年度の縦浜南署の副署長について調べた。

 女性監督官を目撃したもう一人の人物が、その副署長だからだ。

 アベコーの時と同じく高光課長に聞き込みをしたところ、副署長が誰なのかはすぐに判明した。

『昨年度の縦浜南署の副署長はねー、そうそう、九条さんだ! だけど、九条さんに会うのは難しいかもね。本省要請でY労働局に行っちゃってるから』

 本省要請とは、人手不足の労働局への異動について、広く全国の職員に募る本省からの要請だ。

 Y労働局では署長級の労働基準監督官が不足しており、本省要請に応じた九条副署長は今年度、Y労働局管内の労働基準監督署で署長をしているらしい。

(副署長ルートで女性監督官を辿るのはちょっと難しいな。やはり、今日アベコーさんから聞き出すしかない)

 夏沢によれば、アベコーは昼前に角宇乃署にやってきて労災課に挨拶をした後昼食をとり、午後1時から会議室で聴取を行う予定らしい。

 アベコーが来署したタイミングで一度時野から挨拶し、聴取が終了した後で話を聞きたいとお願いすることにした。

「時野。航基さん来たみたいよ」

 11時半頃、夏沢が時野に声をかけてくれた。

 夏沢が指さした方を見ると、労災課のフロアで談笑をしている若い男性職員が見えた。

 アベコーは、労災課、安全衛生課、署長室、業務課とあいさつ回りをすると、方面のエリアにやってきた。

「夏沢さん、久しぶり」

 アベコーが爽やかに夏沢に声をかけた。

「航基さん、おつかれさまです」

 夏沢も、少し表情を緩ませて応じた。

「はじめまして! 時野と申します」

 タイミングを逃すまいと、時野はずいっと前に出てアベコーに自己紹介をした。

「?」

「あの、航基さん。うちの新監が航基さんにお聞きしたいことがあるらしくて、聴取が終わった後でいいので、少しお時間をいただけませんか」

「聞きたいこと?」

 その時、受付カウンターから夏沢を呼ぶ声が聞こえた。

 どうやら、夏沢あてにアポなしの来客らしい。

 夏沢がいなくなってしまい少々心細かったが、時野は話を続けた。

「阿部さんは、昨年縦浜南署にいらっしゃった時、受験生の職場見学に対応されましたよね? その時のことでお尋ねしたくて」

「……」

(あれ?)

 アベコーの表情が一瞬冷めたように、時野には見えた。

「ふーん。まあいいよ。じゃあ聴取の後でね」

 アベコーは爽やかな笑顔でそう言うと、方面を後にした。

 時刻は夕方4時。

(もうこんな時間か)

 金曜日は、週末の駆け込み需要か、電話や来客が多めだ。

 前期研修が終わった時野は、一戦力として労働者からの相談や事業場からの問い合わせに対応するようになっていた。

 今日はたまたま出勤している相談員の数も少なく、この3時間程はひっきりなしで電話が鳴り続け、時野はフル回転で対応した。

(アベコーさんの聴取、終わったかな?)

 夏沢は、アベコーと飛び入りの高光課長と昼食を取った後、午後から監督に出てしまったようだ。

 時野が労災課のエリアに近づいてキョロキョロしていると、若月の姿が目に入った。

「若月さん、おつかれさまです」

「あれ、時野くん。どうしたの?」

 労災係長の若月優香は時野の直属の先輩である加平のことがお気に入りで、一度3人で飲みに行った(season1・第3話)のをきっかけに、労災課の中では一番話かけやすい存在だ。

「佐賀巳署から来られている阿部さんは、まだ聴取中ですよね?」

 すると、若月はキョトンとした顔で答えた。

「え? もう終わって、さっき帰ったけど」

「!」

(そんな……)

 角宇乃駅まで歩きながら、背広の内ポケットから電子タバコのケースを取り出した。

 吸引口を勢いよく吸って口の中に煙が広がると、肩の力がスーッと抜けるような気がする。

(色々と面倒くさいことを言ってくるヤツがいるもんだよな)

 電子タバコを右手の指で挟んだまま、駅までの道を歩いていると――。

「阿部さん!!」

 背後から、男の声がした。

(チッ)

 顔面を整えて振り返ると、そこに立っていたのは時野だ。

「ああ、時野くんだっけ? どうしたの?」

 時野は肩を大きく上下させて息をしている。額からも汗が流れ落ちた。どうやら、全力で走ってきたようだ。

「あ、あの……話があるってお伝えしていましたよね?」

「あそっか、ごめんごめん、聴取が終わったら気が抜けちゃって、忘れてた」

 アベコーは爽やかに微笑む。

「……やっぱり、わざとですよね?」

「は?」

 時野は強いまなざしでアベコーを睨みつけた。

 若月からアベコーが帰ったと聞くや、時野は猛ダッシュで角宇乃駅まで走った。

(運動苦手なのに……! くそー! 伍堂のためになんでここまで……バカヤロー!)

 走り続けると、なんとかアベコーの背中を捉えることができた。

(いた!)

 そして、アベコーを問い詰めながら、胸にうっすら抱いていた疑念が時野の中で確信に変わった。

「伍堂に嘘をつきましたよね?」

「は?」

 昨年度の縦浜南署には女性監督官の配置がなかったことを伝えた時、伍堂はこう言ったのだ。

『えっ! それはおかしいな……。いや俺もさ、何もしないで時野に丸投げしたわけじゃなくて。実は、基準システムでK労働局の3人の阿部さんにメールを送ってみたんだ』

『そしたら、3人が3人とも、その阿部は自分ではありませんって返信してきて……。変だろ? まあ、3人のうち1人は、私は女性ですって返信だったから、残りの2人のうちどっちかだと思ったんだけどなー』

 余計に訳が分からなくなった時野だったが、今日アベコーに会った時、前評判の『ナイスガイ』とは違う雰囲気を感じ取り、ある筋書きが頭に浮かんだのだ。

「S局の伍堂という新監からメールが来ましたよね? 『職場見学の時に会った女性監督官のことを知りたいのですが、あの時対応してくれた阿部さんとはあなたでしょうか』と……」

「……」

「あなたは『自分はその阿部ではない』と嘘をついた。他局の新監なんてそれ以上関わることもないと思ったんでしょうけど、今度は僕が同じ用件で接触してきた……」

 やっと呼吸が整ってきた時野は、姿勢を正してアベコーに疑問をぶつけた。

「僕が伍堂に頼まれたのだろうと察したあなたは、僕のことをすっぽかして帰ろうとした。一体なぜですか?」

「……」

 アベコーが黙っているので、さすがの時野もつい大声を出した。

「答えてください!」

「……きなんだよ」

「え?」

「新監のくせに生意気だって言ってんの!」

 アベコーの方も、大きな声で応戦してきた。

 時野には、カーン、という戦いのゴングの音が聞こえたような気がした。

「お前ら、新監だからって、お願いすれば何でも先輩に教えてもらえると思ってるよな。俺そーいうヤツら大っ嫌いなんだよ! 大体、一目惚れしただと? 他局の女に手を出そうなんて、100年早いんだよ!」

 アベコーは吐き捨てるように言うと、電子タバコをくわえた。

「それにな。その女のことは、俺もいいなと思ってる。他局の男なんかに渡すかよ」

「いいなって……阿部さんは既婚者なんですよね?」

「あーあーあー。お前みたいなイイ子ちゃん虫唾が走るわ。わかんないなら教えてやるけど、自分は結婚しているくせに、ちょっといいなと思った女の子が既婚者だとがっかりする。独身だとわかると、イケるかもと思う。男の本能ってそーゆーもんなんだよ」

 アベコーは電子タバコをくわえたままで、器用に口を動かしている。

「そんな……そんなの、その女性に対しても、奥様に対しても、ひどいですっ!」

「はあぁ? うるせーんだよ。大体、その伍堂ってヤツだって人のこと言えるのかよ! 俺はな、S局の同期に聞いてみたんだ。伍堂って新監は、誰彼構わず声をかけるとんでもない野郎だって言うじゃないか」

(うぐっ!)

 アベコーの言葉は、時野に会心の一撃を与えた。

(た、確かに伍堂は、惚れっぽくて困った野郎だけど……『並行して複数人愛せる』とか堂々と言っちゃう大馬鹿野郎だけど……)

『もちろん、正式に交際が始まったら、その交際相手一筋だよ? その辺は俺、一途だから』

 そう宣言した時の、伍堂の表情は……。

「でも、伍堂は……僕の大事な同期です」

「あ?」

 時野は、ずいっとアベコーに近づいた。

「だから、僕は……阿部さんのこと大嫌いになりました!」

「!」

 アベコーは電子タバコをケースにしまうと、時野の胸倉をつかんだ。

「なんだと? 新監の分際で、でかい口きいてると……」

(ヤバい、殴られる! 殴り返し方、わかんない! やっぱり格闘技は習っておくべきだったか)

 一発は仕方ないと時野が覚悟した、その時……。

「時野くん? ……と、阿部くん?」

(この声は……)

「!」

 有働三主任だ。監督帰りに通りがかって時野たちを見つけたらしい。

 有働三主任が駆け寄ってくるのを見て、アベコーが急に手を離したので、時野はその場にどさりと座り込んだ。

「え? もしかしてケンカしてたの?」

 有働三主任は、訳が分からない様子だ。

「いやだな、有働さん。なんでもないんですよ。署に戻らないといけないので、俺はこれで……」

 アベコーの姿が遠ざかっても、超緊張状態から急に解放された時野は、なかなか立ち上がれずにいた。

「時野くん、立てる? 本当にどうしちゃったの」

 有働三主任の手につかまりながら、時野は大事なことに気がついた。

(あ、結局女性監督官の名前を確認できなかった……)

§3

「ちょっとちょっとー! ナイスガイの阿部くんが駅前でケンカしてたっていうから一体相手は誰かと思ったら、時野くんだっていうじゃん!」

(もうバレてる!)

 有働三主任と共に署に戻ってやっと落ち着いた時野だったが、さっそく噂を聞きつけた高光課長が一方面に駆けつけた。

(三主任が来てくれなかったら、確実に殴られていたな)

 アベコーは、先輩には頭が上がらないタイプらしい。有働三主任が現れるやすぐさま時野を放し、逃げるように帰って行った。

「えっ? ケンカ?」

 紙地一主任も驚きの声を上げている。

 珍しく自席に座っていた加平も、ぴくりと肩を動かした。

「ナイスガイの阿部って……阿部健太郎?」

「いえ、阿部航基さんの方です……」

「あんな裏表のあるヤツのどこがナイスガイなんだよ」

「!」

(さすが、加平さん)

 加平の的確な指摘に、時野は救われた気がした。

 『ナイスガイにケンカをふっかけた新監』というのはとてつもなく聞こえが悪いが、せめて近しい先輩たちにはそうではないとわかってほしい。

「ちょっと、時野! 航基さんと殴り合いになったって、一体どういうこと?」

 監督から戻ったらしい夏沢も、騒ぎを聞きつけて一方面にやってきた。

(話が大きくなってる!)

「で、ナイスガイのアベコーと揉めたってのは、例の人探しが関係してるわけ?」

 高光に聞かれて、改めて、人探しが頓挫したことを時野は自覚した。

「それが、結局阿部さんには協力していただけなくてですね、その……」

 その時、受付カウンターの向こうから、予想外の声がした。

「おーい、時野ー!」

(えっ)

 時野が振り返ると、そこにはスーツ姿の伍堂が見えた。

(な、なんでここに伍堂が……!)

「アイツ誰?」

 加平に聞かれて、時野は余計に動揺した。

「えっと、S局の同期の伍堂というんですけど……」

 伍堂は、遠慮せず事務室に入ってくると、時野のもとにやってきた。

「今日彼女のことがわかるかもと思ったら、いてもたってもいられなくてさ。午後休とって来ちゃったよ!」

(その人探しは、アベコーさんにたてついたせいで頓挫してしまった! 言い訳を考える間もなく、急に伍堂が押しかけて来るなんて……)

 伍堂の笑顔が期待に満ちているのを見た時野は、背中に変な汗が流れてきた。

(こうなったら、正直に謝るしかない)

「ごめん、実は……」

「さすが、時野だ!」

(えっ?)

「やっぱり、時野なら見つけてくれると信じてたよ!」

 そう言うと、伍堂は時野の横を通り過ぎた。

「昨年の縦浜南署での職場見学では、お世話になりました!」

 伍堂が話しかけた相手に、皆の視線が集中した。その人は――。

「えっ! 夏沢さん?」

 伍堂の正面に立っていたのは、夏沢だ。

「えっと……? ああー! 航基さんに呼ばれて飛び入りで質問コーナーに参加した、あれかー! え、君もあの時いたの?」

「はい!」

「そうだったんだ。そっか、それで今は時野の同期なんだね」

 納得した夏沢は、笑顔を見せた。

 伍堂は、夏沢の笑顔に引き寄せられるように、一歩前に出ると――。

貴女あなたとは、初めて会った気がしません!」

 そう言って、夏沢の手をとったのだった。

(出たよ! ていうか当たり前だろ、実際会うの2回目だし!)

 時野は額に手を当てると、大きくため息をついた。

『え、航基さん? 前に同じ署で勤務したことがあるの。いつも話しかけてくれるし食事や飲みにもよく誘ってくれて、気にかけてくれる先輩かな』

 夏沢は、アベコーの下心には全く気がついていない様子だ。

(夏沢さん、相変わらず人からの好意に疎いな。既婚者的な人に目をつけられがちなのも心配。早く三主任とまとまってくれたら安心なんだけど……)

 その有働三主任は、思い人の手を伍堂が握っているのを見てわなわなと震えていた。

『昨年度は私、局の総務課だったんだけど、その日は総務の用事で縦浜南署の業務課に来ていたの』

 なぜ縦浜南署にいないはずの女性監督官と伍堂が巡り合ったのか……。わかってみれば、理由は単純だ。

 監督署同士でも、業務で人が行き来をすることがあるし、各署を統括している労働局の人間なら、監督署と行き来があってもより一層不思議はない。

(夏沢さんに気があるアベコーさんは、夏沢さんが縦浜南署に来ていることはいち早く気がついていたのだろう。それで、職場見学に借りだしたってとこだな)

 その時、伍堂のスマートフォンの着信音が鳴った。

 時野は伍堂を連れて、自宅に帰っていた。今夜も伍堂は時野の家に泊まることになったのだ。

「あっ、やべ。定時連絡忘れてた」

(定時連絡?)

 伍堂はリビングを出て玄関の方に移動すると、慌てて電話に出ている。

 時野はリビングの扉にそっと近づくと、聞き耳を立てた。

「母さん? うん、無事だよ。ごめん、今日は同期のところに来てて連絡が遅くなって。……うん、わかってるよ。じゃあ」

 電話が終わった様子なので、時野は慌てて扉の前を離れると、リビングのソファに腰かけた。

「悪りぃ、親からだった」

「定時連絡ってのは?」

「ああ……聞こえてたか」

 伍堂は、少し恥ずかしそうに後頭部をかいた。

「毎日夜8時までに無事の連絡をするのが、大学で一人暮らしを始める時の条件でさ。社会人になっても、親の希望で続けてるってわけ」

「ふーん……」

(25歳にもなって、随分心配性な親御さんだな)

「実は俺、子供の頃に誘拐されたらしくて、親がトラウマみたいになっててさ」

(え……誘拐……?)

ー第3話に続くー


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元労働基準監督官・とにー
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