労働Gメンは突然に season2:第1話「労働大学校・前期研修」〈前編〉
あらすじ
厚生労働省の職員にして、専門職の国家公務員、そして労働法の番人である労働基準監督官――別名「労働Gメン」。
season1で新人の時野は、個性豊かな先輩たちに囲まれながら、「冷徹王子」こと加平と共に次々と事件を解決。一目置かれる存在となっていた。
そんな時野が次に向かうのは、新人労働基準監督官が一堂に集められて集合研修を行う場所――労働大学校。
同期の伍堂から「お前の秘密を知っている」と脅された時野は、伍堂の頼みごとや同期間で起こるトラブル、角宇乃署に持ち込まれる労働問題に取り組むうち、いつしか労働大学校で起こる悪質な事件に巻き込まれ――。
労働Gメンの仕事の日常、巻き起こる様々な事件、時々恋愛(?)を描く、お仕事小説。
season2【労働大学校編】の開幕です!
*ひとつの話は前編・中編・後編で構成されています。
本編:第1話「労働大学校・前期研修」〈前編〉
§1
埼玉県、朝霞市――。
朝霞駅へは、池袋駅から電車で約20分。都心へのアクセスが良く、通勤・通学に便利なことからベッドタウンのイメージもある朝霞市は、陸上自衛隊の朝霞駐屯地があることでも有名だ。
朝霞駅からバスに乗ること約10分。
かつては『税務大学校前』という名称であったバス停で降りるとすぐの場所に、『労働大学校』はある。
隣接する税務大学校が10年ほど前にお隣の和光市に移転した時のこと。
バス停の名称は『労働大学校前』に変わると思いきや、『南大通り(朝霞警察署前)』となってしまった。
マイナー過ぎて、『労働大学校前』では利用者にわかりづらいと判断されたのか……。
役所の上下関係、はたまた知名度のカーストが見えるようで、なんとも物悲しい。
国民からマイナーのレッテルを貼られた労働大学校では現在、労働基準行政の明日を担う新人の労働基準監督官たちが集まり、研修に勤しんでいる。
そんな労働大学校の構内に、秘密を抱えた者がいるとも知らずに……。
*
――――――――――
[設問15]
遠方の取引先と約束した時間に間に合わせるために早朝出発した時間は、労働時間か。出発時刻は朝5時、取引先との約束は10時とする。
――――――――――
「出張の移動時間は使用者の指揮監督下にないから、労働時間じゃないんじゃない?」
「取引先に行くなら、自社の商品かなんか持ってってるかもよ。『物品の監視や運搬を目的とした出張の場合は移動時間も業務だ』って、コンメンタールのどっかになかったっけー?」
「設問にはそこまで書いてなくない? 深読みしすぎじゃね?」
「敢えて人数とか書いてないけど、上司と一緒に取引先に行ったのかも! そうなると、部下の方は上司の指揮監督下にいることになるよね? 隣に上司がいたら、例え移動時間でも労働時間じゃない?」
「1人だとしても、5時間もかけて移動してるのに、労働時間じゃなかったらひどすぎでしょ。そんなブラックな会社、絶対辞める!」
同期たちが口々にしゃべるのを、時野龍牙はメモを取りながら聞いていた。
現在、ここ、労働大学校では、新任労働基準監督官研修――通称『新監研修』が行われている。
新監研修は、5月から6月にかけて行われる前期研修と、9月から10月にかけて行われる後期研修がある。
講義形式、グループ討議、実技演習といったカリキュラムを労働大学校に集合して行い、前・後期研修の前後の期間は、各自が配属署において先輩たちについて実地訓練を行う。
時野たち新人労働基準監督官が前期研修のために労働大学校に集合して、1週間が経過した。
ただし、前期研修の最初の2週間は、各自の配属署からzoomで接続して行うオンライン研修があったので、前期研修が始まってからという意味では、3週間経過したことになる。
(今日で集合研修は折り返し。残り1週間で署に戻ることになる)
全国から研修生が集合する労働大学校での研修は、泊まり込みで行われる。日中は研修棟で学び、寝泊まりするのは隣接する宿泊棟だ。
労働大学校の近隣局の者は自宅から通勤することも可能なのだが、泊まり込みで行うことで研修に集中できるのはもちろん、寝起きを共にした研修生とはやはり仲が深まるもので、全国に人脈ができるという利点もある。
(研修の内容は署に戻ったら秒で忘れるけど、同期のつながりは未来永劫続く……。研修に行く前に一主任から言われたっけ)
確かに時野も、日を追うごとに親しく話せる同期が増えた。
というのも、労働大学校に来てからというもの、『班の懇親会』『関東ブロック飲み会』『〇〇県出身者会』『同い年飲み会』などと、何らかの共通点でくくったメンバーでの飲み会が連日行われているのだ。
断る理由もないので、時野は全ての飲み会に参加し、順調に同期との交流を深めていったのである。
中でも、同じ班のメンバーは、日中も行動を共にすることが多く、最も交流を深めた間柄と言えるだろう。
現に今も、班ごとに分かれてグループ討議で設問の解答をまとめるという演習をしているところだ。
例年100名以上はいるという新監だが、時野の同期は例年より少なく、60名。6人ずつで10班が編成され、時野が所属しているのは2班だ。
班員は男女3名ずつで、男はS局の伍堂快人とW局の倉橋蓮哉、女はH局の安川茜、M局の尾形小春、I局の上城乃愛だ。
「オーケー、一旦まとめようか。使用者の指揮監督下になく単に移動するだけなら、出張のため現地に向かっている時間は労働時間ではない。だけど、使用者が同行して移動中も指揮監督下の労働があったり、自社商品を取引先に届ける目的がある場合だと、労働時間となり得る。こんな感じかな?」
とりまとめたのは、伍堂だ。
伍堂は明るい性格でしゃべりもうまい。2班の中心であるのはもちろん、あっという間に同期のリーダー的な存在となった。
伍堂は25歳で、新卒の同期たちより年上であることも理由の一つだろう。
労働基準監督官の採用試験は29歳になる年まで受験することができるので、同期は新卒ばかりではない。割合としては、新卒と既卒で概ね半々だ。
もちろん伍堂より年上の同期もいるが、それでも25歳の伍堂が同期の中心的な立ち位置にいるのは、持ち前のリーダーシップや育ちの良さからくる『陽』の空気感があるからだろう。
「時野も、いいか?」
伍堂が時野に目配せしたので、時野は頷いた。
時野は今回のグループ討議で書記を担当しているので、討議結果の記録が追い付いているのか、伍堂が確認をしてくれたのだ。
(こういう気配りもちゃんとできる奴だから、人気者なんだよな)
「じゃあ、次いこうか。次の設問は――」
時野は、設問を読み上げる伍堂の精悍な横顔を見つめた。
(こういうところだけ見ると、いいヤツなんだけど……)
§2
「59期の初めての集まりを祝して、乾杯!」
かんぱーい! と唱和したのは、新監60名と、准教授を含む労働大学校の関係者、そして本省の監督課からやってきた労働基準監督官の先輩だ。
集合研修の中日である今日、金曜日の夜に、宿泊棟の1階にある食堂を貸し切って懇親会が開かれているのである。
59期――というのは、時野たち今年の新人労働基準監督官のことだ。
入省年次毎に『○期』と呼ばれ、労働基準監督官は横のつながりが強いと言われている。
『監督官人生でピンチになった時、助けてくれるのは同期なんだよな。だから、全員と連絡先の交換をしてくるんだよ、時野くん。特に女の子はもれなくね。その中に将来の伴侶がいるかもしれないんだから!』
研修の送り出しで、高光課長から熱弁されたことを、時野は思い出していた。
監督官の中には、同期と交際したり結婚したりしている人も少なくない。
同じ年代の大人数の男女が一堂に集まり、一定期間共に活動するので、毎年新監同士でカップルが成立するらしい。
(新監研修で仲良くなってつき合うことを『朝霞マジック』と言うとか。あれ? てことは、加平さんも朝霞マジックだ)
時野がビール用の小ぶりのグラスを口に運びながら見回すと、本省から参加している先輩たちが目に入った。
(監督課の監察官、監督係長、係員の3人か……。あの人とはあまり絡みがなさそうなメンツだけど、念のため近づかないでおこう)
時野がそーっと本省の3人から遠ざかろうとしたその時、誰かの腕がドカッと肩にのしかかってきた。
「時野! ちょっとこっちこいよ。2班の交流を深めようぜ」
腕の主を見ると、伍堂だ。有無を言わせず、肩を組んだまま時野を連れて行く。
体格に恵まれている伍堂にがっちり肩を組まれると、背も高くなくやせ型の時野には抗うすべもなく、引きずられるように拉致された。
「おーい、時野も連れてきたぜ。今日はグループ討議おつかれ! 乾杯!」
6人でグラスを合わせると、伍堂と倉橋はぐいっと一気にグラスを空けた。2人ともかなりアルコール好きなのだ。
ビール瓶を手にした上城乃愛が、2人のグラスにビールを注いだ。
「時野くんは?」
「ああ、ありがとう」
時野もビールを飲み干すと、乃愛がグラスにビールを注いでくれた。
「ねえ。時野くんて、監督官試験の成績が1位だったって本当?」
「えっ。うーんと、どうだったかな」
話をはぐらかすと、乃愛が答えを求めるように顔を覗き込んできたので、時野はドキリとした。
乃愛は、ミステリアスな雰囲気の美人だ。
キリリとした目元と太めの眉がクールな印象だが、スッと通った鼻筋の下にある厚めの唇が、なんとも色っぽい。
「隠さなくたっていいじゃない。合格通知に順位が書いてあったんだから、当然本人は知ってるでしょ? 実は私、ブービー賞で入ったの。だから、1位をとる人ってどんな人だろうと思っていたの」
「どんなって……。たまたまヤマが当たっただけだよ。まぐれってやつ」
「ふーん……」
乃愛にさらに見つめられて、時野はドギマギしながら目をそらす。
「なんだよ時野! 同期のマドンナを独り占めなんて、抜け駆けはよくないぞ」
乃愛に注がれたビールもすでに飲み干したらしい伍堂は、徐々に出来上がってきている感じだ。
「乃愛ちゃん、飲んでる?」
「うん、飲んでるよ。伍堂くん、今日のグループ討議を取り仕切ってくれてありがと」
乃愛は口元にかすかに笑みを浮かべた。
時野が見ると、伍堂の視線が乃愛の瞳にくぎ付けになっている。
(あ、ヤバい、これは……)
伍堂は乃愛の手をとって両手で包むと、乃愛をまっすぐに見つめた。
「乃愛ちゃん!」
「えっ?」
「君とは初めて会った気がしないよ! きっと俺たち、出会うべくして出会ったんだね……」
(出たよ、伍堂お得意の口説き文句、『初めて会った気がしない』)
伍堂とは出会ってまだ1週間ほどだが、何度この『初めて会った気がしない』を聞いたかわからない。
伍堂は惚れっぽく、誰彼構わず好意を振りまくタイプで、アルコールが入ると特に、この口説き文句を連発するのだ。
(下手したらセクハラだよ)
伍堂の口説き文句を耳にするたびに時野はハラハラするのだが、そこは伍堂の持ち前のカラッとした陽気な雰囲気で、いつも許されてしまうのだった。
「もう、伍堂くん、おもしろいんだから」
乃愛はさりげなく伍堂の手をほどき、サラリとあしらった。
おそらくモテるだろう乃愛ならば、伍堂のような輩の扱いにも慣れているのだろう。
伍堂の方も、それで気を悪くした様子はない。
「そうそう、さっきあかねっちとこはるんから聞いたんだけどさ。来週、実技演習があるだろ?」
あかねっちとこはるんとは、同じ班の安川茜と尾形小春のことだ。
伍堂はよく同期を名前やニックネームで呼んでいる。親しい呼び方をして距離感をバグらせるのが、伍堂的な他人との距離を縮めるテクニックなのだ。
「ああ、ココベルの工場に行って、重機を見させてもらうってやつ?」
「それそれ!」
時野の答えに頷きながら、伍堂が珍しく眉間にしわを寄せた。
ココベルとは、建設機械を製造販売している国内の大手メーカーだ。
労働基準監督官が担当する労働安全衛生法では、機械の安全な使用に関する規定も多く定められており、実技演習のカリキュラムの中で、ココベルの工場で様々な建設機械の実物を見学することになっているのだ。
「やあ、飲んでるかい?」
そこに、ウーロン茶のグラスを持って近づいてきたのは、准教授の山口貴則だ。
山口は本省回りの労働基準監督官で、現在は労働大学校の准教授を務めており、時野たちの新監研修を担当している教官だ。
40代らしいが、やや童顔なせいか、30代にしか見えない。
優しい顔立ちで人当たりも柔らかく、新監たちからも人気だ。
「あっ、先生! ココベルで高所作業車に乗るって、本当ですか?!」
腕にしがみつくように伍堂に迫られて、山口准教授も驚いている。
「え? うん、そうだよ。高所作業車の作業台に乗せてもらって、高所作業を体験してもらう予定だけど……」
「うわあー、やっぱりかよ……」
伍堂はその場にしゃがみ込んだ。
「はあー。俺、高いところ苦手なんスよ」
しゃがみ込んだまま准教授を上目遣いに見上げて、伍堂は言った。
「昔から、足が震えるほど怖くて。ジャングルジムなんか絶対上らなかったし、組体操は進んで一段目を選ぶぐらいで……」
(器用で何でも卒なくこなす伍堂にも、苦手なことがあったんだな)
山口准教授は、膝をついて伍堂の目線に高さを合わせた。
「大丈夫ですよ、伍堂くん。フルハーネスの安全帯も装着しますし、墜落の心配はありません。怖かったら、外側を見ないことです。作業台の床を見ていてください」
伍堂の肩にポンと手をのせると、さらにこう続けた。
「監督官は、労働者が働く場所ならどこでも行かないといけません。時には、高い場所に上らざるを得ない時もあります。今回少しだけがんばって、徐々に慣れていきましょう。特別に、伍堂くんの時はあまり高くまで作業台を上げないようココベルの人に言いますから。ね?」
山口准教授はそう言って、伍堂に優しく微笑みかけた。
「先生……」
伍堂は、山口准教授を熱い視線で見つめると――。
「俺、先生に初めて会った気がしないです!」
「!」
(上城さんはともかく、山口准教授まで……。見境なさすぎだろー!)
時野は額に手を当てると、ため息をついたのだった……。
§3
「安全帯ヨシ!」
男女の掛け声が、頭上から聞こえた。
今日は、伍堂が恐れていたココベルでの実技演習だ。
新監たちは前半組と後半組に分かれて研修を受ける。前半組は午前中に様々な重機を見て回り、午後から高所作業車に乗る実技を行う。後半組は逆の順路だ。
時野たち2班は前半組だ。午前中は、ドラグショベル、移動式クレーン、解体用機械などを見学しながら、ココベルの担当者から説明を受けた。
近くで見ると重機は想像よりはるかに大きく、それだけでも感動するのだが、メーカーの担当者から説明された改良の歴史などはとても興味深いものだった。
次はいよいよ午後の部――高所作業車の作業台に乗る実技だ。
実技は、1班、2班、3班の順番で行うことになっており、班の中での順番は、あらかじめ各班で決めておくよう指示されていた。
1班から順番に新監が2名ずつ作業台に乗り、最大高さまで上昇して停止した後、地上に下降する。
作業台が何度か上昇と下降を繰り返すと、2班の順番になった。
時野が見上げると、高所作業車の作業台の上に、フルハーネスの安全帯をがっちりつけた乃愛と倉橋の姿が見えた。
事前に決めたペア決めは、茜と小春、乃愛と倉橋、伍堂と時野の順だ。
安川茜と尾形小春のペアの実技は難なく終わり、今は乃愛と倉橋が作業台に乗っている。
乃愛とペアになった倉橋は、大喜びだった。
『一緒に高所作業車に乗ったら、上城さんといい仲になれたりしないかなー。ほら、吊り橋効果ってやつ』
吊り橋効果とは、恐怖や不安で心拍が高くなっているときに、ドキドキの原因が目の前にいる人物への恋心だと勘違いしてしまう心理現象のことだ。
『くっそー! 俺も乃愛ちゃんと恋仲になれるなら、高いところの怖さも紛れるかもしれないのに!』
伍堂はそう言って、くじ運の強い倉橋を羨ましがっていた。
(吊り橋効果なんて、現実にあるのかな? もしあったら、伍堂のヤツ、俺にまで……?)
作業台の上で、伍堂が自分の手を握り、『時野とは初めて会った気がしない!』と叫ぶ姿を想像して、時野は身震いした。
(伍堂は恋愛の守備範囲が広すぎだけど、僕的にはナシ!)
時野はふるふると頭を振って気持ちを切り替えると、再び高所作業車を見上げた。
乃愛と倉橋を乗せた作業台はさっき上って行ったと思ったのに、すでに地上に下りていた。作業台に乗っている時間は、ほんの数分のようだ。
乃愛と倉橋がフルハーネスの安全帯を脱ぐと、時野たちに渡した。
時野は倉橋から受け取って難なく着用したが、乃愛と伍堂は体格差が大きいので、乃愛がベルトを伸ばしてサイズ調整をしながら伍堂に着せてやっている。
乃愛にかいがいしく世話をしてもらって、伍堂の表情は緩み切っていた。
(これだけリラックスできれば、伍堂もなんとかなりそうだな)
ココベルの担当者の案内に従って、先に時野が作業台に乗り込み、伍堂も恐る恐る時野に続く。
ガシャンと入り口の扉が閉められると、時野は安全帯のフックを握り、近くの柵にかけた。
「伍堂」
「ああ」
伍堂がフックを握って柵にかけると、シャキンという高い金属音がした。
「ヨシ!」
2人で指さし呼称したのを合図に、ココベルの担当者が運転者にGOサインを出して、作業台がゆっくりと上昇し始めた。
作業台は、およそ2.5メートル×1.5メートル四方で、高さ約1メートルの柵に周囲を囲まれている。
成人男性が2人で乗っても十分な広さがあるが、伍堂は時野の腕にしがみつくようにして、ピッタリとくっついて立っている。
(やれやれ……。高所恐怖症というのは本当みたいだ)
「時野とペアでよかったよ」
アームが上昇する音に紛れてしまうようなか細い声で伍堂が言った。
「なんだよ。上城さんとペアになった倉橋のこと、さんざん羨ましがってたくせに」
「俺はな、時野と盟友になると決めてるんだ」
「え?」
時野が伍堂を見た。伍堂は作業台の床に視線を固定したままなので、目は合わない。
「今もこれからも、俺のピンチを救ってくれるのは時野しかいないと思ってる」
「……?」
(出会ってまだ1週間だぞ? 同じ班だから一緒に活動する機会は多かったけど、そこまで言うほどの仲では……)
「それって、どういう意味……」
「お前が爪を隠してることも、俺は知ってる」
伍堂が流し目で時野を見ると、ニッと口角を上げた。
「頼んだぞ」
(え?)
そう言うと伍堂は、視線を床に戻して時野の腕をさらに強く握りしめた。
「いたたた、力強すぎだって、伍堂!」
作業台を支えるアームが重低音で唸りながら、どんどん時野たちを上昇させていく。
(あれ? おかしいな)
実技演習に使用されている高所作業車はトラック式と呼ばれるタイプで、運転席の後方、通常のトラックで言えば荷台がある部分に折りたたんだアームと作業台が設置されている。
アームを伸ばし切ると、最大で9.9メートルの高さになる仕様だ。
10メートルではなく9.9メートルと半端な高さである理由は、高さ10メートルを超えなければ比較的簡単な運転資格で構わないので、10メートル未満の高所作業車に需要があるからだ。
(山口准教授は、伍堂の時は高さ5メートル程度で止めてもらうってさっき言っていたのに……)
午前中に山口准教授に確認したところ、他の組は最大に近い高さまで作業台を上昇させるのだが、伍堂の高所恐怖症を考慮して半分程度の高さで止めることになっているはずなのだ。
「う……あ……」
伍堂がガタガタと震えだした。どうやら下を見てしまったようだ。
時野も下を見て確認したが、明らかに5メートルを超えており、それどころかそろそろ最大高さまで到達しそうだ。
(なんで……)
急にガクッと膝が折れて、伍堂は床にうずくまった。
次の瞬間、パサリと音がしたかと思うと――。
「うああああ!」
伍堂が叫んで指さした先で、柵にかけたフックからストラップが垂れ下がって揺れていた。
(伍堂の安全帯のストラップが切れた?)
柵にかけられたフックと伍堂が着用するフルハーネスはストラップによって繋がっていたわけだが、ストラップが切れたことで、墜落防止の最後の砦である命綱すらない状態になってしまったのだ。
「あ……がっ……は……」
伍堂が、胸のあたりをおさえて苦しみだした。
見てみると、顔面はひきつり、身体はけいれんしている。
「落ち着け伍堂! おい、伍堂!!」
ー第1話〈中編〉に続くー
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(*内容はnoteに掲載しているものと同じです。)
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