労働Gメンは突然に season2:第1話「労働大学校・前期研修」〈後編〉
登場人物
*ひとつの話は前編・中編・後編で構成されています。
本編:第1話「労働大学校・前期研修」〈後編〉
§1
朝霞中央公園は、野球場、陸上競技場、サッカー場があるほか、ジョギングコースや児童公園も隣接しており、朝霞市民の憩いの場だ。
公園内を斜めに横切れば、朝霞駅から労働大学校や住宅地方面への近道になるため、夜になってもそれなりに人通りがある。
時野と乃愛は黙ったまま歩いて公園内に入ると、適当なベンチを見つけて並んで腰かけた。
乃愛が場所を変えたいと言ったので、2人は朝霞中央公園で話をすることにしたのだ。
「ねえ。私がストラップを切っただなんて、そんなことできるわけがない。だって、伍堂くんが着用した時は、ストラップは切れてなんかいなかった。時野くんだって隣にいたんだからわかるでしょう?」
労働大学校の正門前で声をかけたときは緊張した表情だった乃愛だが、朝霞中央公園までの10分ほどの道のりで冷静さを取り戻したようだ。
「作業台が上昇してから、ストラップが切れた。理由はわからないけど、それが事実だもの。作業台に乗っていなかった私に、切れるわけがないわ」
「……ストラップを切ったのが、伍堂が作業台に乗った後ならね」
「え?」
時野は乃愛を見た。少し傾けた乃愛の横顔は、公園の電灯に照らされて、ハッとするほど美しかった。
「上城さん。君がフルハーネスを着用している間に、ストラップを切っておいたんだ。つまり、伍堂が着用した時には、すでにストラップは切断されていた」
乃愛は美しい目をつり上げて、時野に抗議した。
「なに言ってるの? 伍堂くんがフックを柵に引っかけたところを、私は地上から見ていたわ。ちゃんと、ストラップはフルハーネスとフックの間をつないでいたわよ」
「これを使ったんだね?」
時野の手元を見て、乃愛の顔色が変わった。
「作業台の上で拾ったんだ」
時野の手にあるのは、黒くて細長いヘアピンだ。
女性がヘアアレンジする際に髪を止めるために使う、シンプルなタイプだ。
「上城さんは、自分が作業台の上にいるときにストラップを切ったんだね。切った断面を重ねるようにして、ヘアピンではさんで留めた」
作業台の上にいる時なら、倉橋以外に見られる心配もない。
自分に好意のある倉橋1人だけなら、話で気を引くなりしてなんとでもごまかすことができる――乃愛はそうにらんだのだろう。
(大胆な犯行だな。ストラップを切るということは、自分自身も危険にさらすことになるのに)
「僕たちに交代するとき、サッと伍堂に近づけば、自然と上城さんのフルハーネスを伍堂に着せることになる。そして、ストラップの切断がバレないように慎重に着せる。そのために、伍堂がフルハーネスを着用するのを手伝ったんだ」
「……」
乃愛は唇を噛んで黙っていた。
「作業台が上がるにつれ、ストラップの重さや伍堂の動作で徐々にヘアピンに負荷がかかり、ついにヘアピンが外れてストラップが垂れ下がった……。あたかも作業台の上でストラップが切断されたように見えたのは、こういうトリックだったんだね」
「……」
静けさの中に、ジョギング中らしいランナーが通りすぎる足音だけが、ザッザッザッと響いた。
「でも……」
乃愛が絞り出すように声を出した。
「そのトリックを使うなら、私の次の組が伍堂くんでないとできないよね? ペア決めをしたのは私だけど、くじ引きで決めたの。誰がどれを引くかまではわからないわ」
「ううん、君は伍堂と倉橋を『誘導』して、意図した番号を選ばせたんだ」
時野はポケットから紙片を取り出した。
先ほど、倉橋が再現したときに使った6枚の紙片だ。
「それから、これ」
時野は胸ポケットから封筒を出した。封筒の中身を引き出すと、中から折りたたまれた紙が出てきた。
「ここには、まだ何も書かれていない。これから最後に残る数字を、僕が今から予測してここに書く」
乃愛から見えないように書き込むと、時野は紙を折りたたんで封筒に入れた。
「はい。上城さんが持っていて」
乃愛は封筒を受けとり、自分の膝の上においた。
「じゃあ、この中の数字を3つ選んでください」
乃愛はベンチの上に並べられた1から6の紙片をチラリと見ると、細い指で『1』『3』『5』を選んだ。
「では、選んだ中から、1つを指さしてください」
乃愛が、『1』を指さした。
「選ばなかった2つの数字のどちらかを、指さしてください」
乃愛の細い指が、『3』を指さした。
「そうしたら、指さされなかった方の数字……つまり『5』。これが最後の数字です。上城さん、封筒の中身を見てみて?」
乃愛は震える指で、封筒の中から紙を取り出し、開いた。
そこに書いてあったのは――。
「5……」
乃愛は紙を膝の上にぐしゃっと置くと、大きくため息をついた。
「煙草吸っていい?」
時野が答えるより早く、乃愛はシガレットケースを取り出すと、慣れた手付きで火をつけた。
「やっぱり、時野くんは鬼門だった。アルコールか恋愛感情で判断が鈍ってる奴が相手じゃなきゃ、通用しないわね」
(どうやら、僕の推理が正しいと認めたか……)
ペア決めのカラクリは、ごく簡単な『誘導』だ。
残したい数字をあらかじめ決めておき、いくつか数字を選ばせる中で、相手が選んだ方に対象の数字があればさらにその中から絞らせればいいし、選んだ方になければ選んでない数字の方から絞らせればいい。
ただし、同じやり方を繰り返すとさすがに気が付くので、1人ずつ呼び出して別々に行う必要があるのだ。
この方法で、『2組目』の封筒を倉橋に選ばせ、『3組目』の封筒を伍堂に選ばせた。
「安川さんと尾形さんも同じように『誘導』したの?」
乃愛はフーッと空に向かって煙を吐き出すと、長い足を組みかえた。
「ううん。元はと言えば、小春が女子とペアがいいって言い出したの。小春も高いところが苦手みたいで、ペアの相手が男子じゃしがみつきにくいって。それで、最初から茜と小春のペアで1組目は決まり」
(なるほど。何人もやると気がつく人が出てきそうだし、特に安川さんあたりはピンときそうだけど、うまく騙されたのは上城さんに気のある男共だけだったってわけか)
「あの、聞いてもいいかな。わからないことが2つあるんだけど……」
乃愛は時野に向かって手のひらを上に向けた。どうぞ、ということのようだ。
「こんな手の込んだことをやって、伍堂に嫌がらせをする理由は? 伍堂は上城さんに気があるみたいだけど、それが気にくわなかったとして、君に気がある男は他にもたくさんいるし、伍堂だけ狙う理由には……」
「たくさんいる、ね……。時野くんは違うの?」
「えっ! いや、僕は……」
クスクスと乃愛は笑った。
「ははは、そーだよね。私に気があったらうまくごまかせたかもしれないのに、ざーんねん!」
なんだか吹っ切れた様子の乃愛は、これまでのミステリアスな雰囲気よりもずいぶん話しやすくなっている。
「もう1つの質問は?」
「ああ、うん。このペア決めだけど、どうして僕にはしなかったのかなって。僕は伍堂から『お前は3組目だから』って一方的に言われただけだったから」
「ああ。それなら、伍堂くんが……」
(え……?)
§2
「デートするには珍しい場所だね」
空間が広いので、伍堂の声は少し反響して聞こえた。
「バスケとかバドミントンとか? スポーツデートするってんなら、ジャージに着替えてくるけど。どうしようか、乃愛ちゃん」
伍堂が笑いかけたが、乃愛はクールな表情のままだ。
ここは、労働大学校の体育館。
バスケットボール、バレーボール、バドミントン、卓球などの室内球技ができるほか、トレーニングマシンもあるので筋トレをすることもできる。
体育館は講義で使用されることもあるが、どちらかと言えば、放課後に研修生がレクリエーションで使用することの方が多い。
座学中心で運動不足になりがちなので、日によっては大変なにぎわいだ。
だが、今日の体育館は静まり返っている。
現在労働大学校に来ている新人労働基準監督官の研修が明日で終了するため、研修生たちは帰るための荷造りで忙しく、体育館に運動をしに来る者などいないからだ。
「それにしても……後で話したいって言うから2人きりだと思ったのに」
伍堂はため息をつきながら、もう1人の男を指さした。
「なんでお前もここにいるわけ? 時野!」
伍堂は、両手のひらを上に向けて首を振り、オーバーなアクションで残念がっている。
「もういいわ、伍堂くん」
落ち着いてはいるが、何かを抑えたような声だ。
「時野くんから聞いたでしょ? 伍堂くんのフルハーネスに細工をしたのは私だって」
「乃愛ちゃん……」
「私はあんたを排除しようとしたの!」
動機について時野が尋ねたとき、こうなったら伍堂に直接ぶつけると、乃愛は言った。
(2人の間に一体何が……?)
伍堂には、フルハーネスのストラップを切断した方法について、あらかじめ時野から説明しておいた。
ストラップが故意に切断されたということも、その犯人が乃愛だということも、伍堂は特に動揺を見せることなく聞いていたのだが……。
「排除って……穏やかじゃないね」
伍堂の顔面からは、さすがに笑顔が消えていた。
「伍堂くんが私を排除しようとしたからよ」
乃愛は、高所で怖がらせることで伍堂を退職に追い込みたかったのだと、時野に説明した。
『高所恐怖症の人が命綱もなく高所に立たされたら、きっと相当の恐怖を味わう……。監督官は高いところに上がる必要のある仕事。強い恐怖を与えることで、続けていくのは無理だと思わせたかったの』
(実際に退職するかは賭けだけど、そこまでして伍堂を辞めさせたい理由って……?)
「俺が乃愛ちゃんを排除って、そんなこと……」
「排除じゃないなら、恐喝でもするつもり?」
乃愛の声は大きくなり、語尾が体育館内に響いた。
「私に会ったことがあるって、ほのめかしたじゃない! 思い出したんでしょ? 昔の私を」
(昔?)
時野が伍堂を見ると、珍しく真顔だ。
「やっぱり、それを気にしてたのか……。エレンちゃん、だよね?」
「!」
乃愛は伍堂に近づくと、両手で胸ぐらをつかんだ。
「やっぱりわかってたんじゃない! 中途半端に匂わせてくるなんて、タチが悪すぎる!」
乃愛の美しい目元から、涙がこぼれた。
「せっかくここまでがんばって、夜職を卒業して国家公務員になったのに、あんたがバラせば水の泡。冗談じゃないわよ!」
乃愛はバンバンと伍堂の胸を拳で叩いた。
「いたたた。痛いって、乃愛ちゃん!」
伍堂は乃愛の両手をつかんだ。
「落ち着けって! そんなつもりないよ! 最初は気づかなかったし。俺は、乃愛ちゃんと同期になれて素直にうれしいし、過去がどうのこうのなんて言って、乃愛ちゃんの邪魔をする気なんかないよ!」
「え……」
「むしろ、乃愛ちゃんがいなくなっちゃうなんてマジでヤダ。だから、これからも俺の同期でいてよ。ね?」
「伍堂くん……」
見つめ合う2人の世界に、水を差す男がいた。
「あのー。そろそろ、僕にわかるように説明してもらっても?」
時野が割り込んできたので、伍堂があからさまにイヤな顔をした。
「お前なあー。空気読めよな。俺は今、乃愛ちゃんといい感じになってるだろーが!」
「は? 元から僕もいるのにいい感じもなにもないだろ!」
時野と伍堂のやり取りを聞いて、乃愛がクスクスと笑い出した。
「あはは。そうだよね……。時野くんにも、説明しなきゃね」
乃愛は時野の前に立った。
「私……キャバクラで働いてたの」
(え?)
「親と折り合いが悪くて、高校までは出してもらえたけど、そこからは見放されて。大学の学費と都内で一人暮らしをする生活費を稼ぐために……。これでもその店のナンバーワンだったのよ」
源氏名、エレン――。
18歳になるとすぐに入店した乃愛は、持ち前の美貌で人気のキャバクラ嬢になったのだという。
そんな時、大学院生の伍堂が教授らと共に来店した。
当時、伍堂が所属する研究室では、企業と共同研究を行っており、その企業の担当部長がエレンの太客であったのだ。
「その頃は、公務員試験の勉強に専念する期間のために、少しまとまったお金が必要だった。客に無理をさせてお金を使わせているところを、一緒に来店した伍堂くんに見られてた。そうやって荒稼ぎしたお金で、私は大学を卒業したし、予備校に通って公務員試験に合格したの」
乃愛は、伍堂の方に振り返った。
「公務員になれて、夜職も卒業して、これからはやっと普通に生活できるって思ってたのに……。伍堂くんに再会して、キャバクラ時代の私を覚えてるってわかった時は、同期や署の人たちにバラすんじゃないかって不安で……」
伍堂は乃愛に近づくと、頭をポンポンした。
「ごめん、不安な気持ちにさせて。だけど、断じて俺はそんなつもりないよ? むしろ、俺は尊敬してるもん、乃愛ちゃんのこと」
「え?」
「だって、夜遅くまで働きながら、学費も生活費も自分で稼いで、公務員試験の勉強まで……。まじリスペクトだし! がんばり屋さんの自慢の同期!」
「でも……。私は、伍堂くんをあんなに危険な目に遭わせたのに……」
「ははは、それはもういいって! ほら、今はこうして元気だし。乃愛ちゃんがいなくなったり俺のこと嫌いになったりする方がイヤだよ。だからこれからも仲良くして? ね、エレンちゃん」
「ちょっと! 源氏名で呼ばないでよ!」
乃愛がポカポカと伍堂を叩いている。
伍堂は乃愛の腰に手を回し、ほとんど抱き合っているような格好だ。
(いやだから、隙あらば触るなってば。こいつ心は海よりも広いけど、こういうとこはスレスレなんだよな)
半眼で伍堂を見ながら、時野はあることを思い出した。
「あのさ、気になるから確認なんだけど……。伍堂が昔の上城さんに気が付いてるって、どうして思ったの?」
乃愛は時野の方を向いてキョトンとした。
「え? だって、時野くんも聞いてたでしょ? 懇親会で、伍堂くんが『初めて会った気がしない』って私に言ったのを」
「!」
(だから言わんこっちゃない! 伍堂お得意の口説き文句が元凶かよ)
引き続き乃愛にベタベタしている伍堂から目をそらすと、時野は深くため息をついたのだった。
§3
「皆さん、前期研修おつかれさまでした。家に着くまでが研修です! 気を付けて帰ってくださいね。また後期研修でお会いしましょう!」
山口准教授が笑顔で締めくくると、当番が号令をかけた。
「起立! 礼! ありがとうございました!」
研修を終えた解放感と、同期と離れ離れになる寂しさ。
新監たちは、複雑な気持ちで家路につく。
時野は一旦居室に戻って荷物をまとめると、スーツケースを引いて労働大学校の1階に下りた。
エントランスは、新監たちでごった返している。
同じ方向の同期に一緒に帰ろうと誘う者、次の休みに会う約束をする者、署に研修終了の連絡を入れる者――。
(そうだ、一主任に連絡しなきゃ)
時野はスマートフォンを取り出して、角宇乃労働基準監督署に電話をかけた。
『はい、角宇乃労働基準監督署です』
「一方面の時野です、おつかれさまです」
『時野さんじゃないですか、おつかれさまです! 研修先から?』
電話の主は、総合労働相談員の今野だ。親子以上に年が離れているが、気さくな人柄で話しやすい。
署から離れてたった2週間だが、職場の同僚の声を聞くと、なんだか懐かしいような恋しいような感覚がした。
「はい、研修が終わった報告で電話しました! 一主任はいらっしゃいますか?」
『それはおつかれさまです。一主任ね、ちょっと待ってて』
長い保留音のあと、電話に出たのは加平だった。
「一主任は外出してる」
「あ……そうなんですね。前期研修が無事終わったので、ご報告しようと……」
「わかった。戻ったら伝える。じゃあな」
「あっ」
もう電話は切れていた。
(加平さん、つれない。らしいと言えばらしいけど……。同じ一方面として打ち解けたと思ってたのに、離れていた2週間でなんだか後戻りしたような……)
時野がシュンとしていると、背後から声がした。
「署に電話したのか? 俺もさっきかけたんだけどさー、さっそく机の上に仕事を置いといたからとか言われてげんなりだよ。戻りたくねーなー」
伍堂だ。後頭部をかきながら、ため息をついている。
「まあまたすぐに後期研修もあるし、それまで頑張るしかねえか」
「……」
「時野? どした?」
時野がじっと見つめてくるので、伍堂が不思議そうな顔をしている。
「伍堂。一緒に帰らないか」
伍堂が所属するS労働局は、K労働局の隣県。帰る方向は同じだ。
「えっ! もちろんいいけど、どうしたんだよ。時野から俺を誘うなんて、明日は雪が降るんじゃないか」
伍堂は明るく答えたが、時野は黙って歩き出した。
「え? おい、待てって、時野」
伍堂は慌ててスクエアリュックを背負うと、時野を追いかけたのだった。
*
「研修おつかれ!」
伍堂が差し出したグラスに、時野も自分のグラスを軽く当てた。
2人はK県内の縦浜駅近くの居酒屋に来ていた。
伍堂の自宅の最寄り駅であるS県の八島駅は、縦浜駅からさらに約1時間45分。
到着する頃には腹ペコになってしまうし、自宅に戻ってもどうせ食べるものがないからと、時野の最寄り駅で伍堂も途中下車して、一緒に夕食をとることにしたのだ。
「研修楽しかったなー。早く後期研修に行きたいよ」
伍堂は乾杯の生ビールを早々に飲み干すと、2杯目のハイボールに口をつけた。
「時野には何かと世話になったな。後期研修でも同じ班になったらいいなって俺は思ってるよ」
時野はごくりとビールを飲むと、ドン!と勢いよくグラスを置いた。
「……伍堂。お前、一体何を企んでるんだ?」
「は? 企むって、何が……」
「お前、本当は気がついてたんだろ? 上城さんが、お前に何かしようとしてたこと」
「え?」
「わかっていたから、僕とペアになるようにしむけた」
「だからそれは、乃愛ちゃんが『誘導』でペアを決めたんだろ? 時野がそう言ったんじゃないか」
伍堂は困ったようなにやけ顔をしている。
「僕は『誘導』されてない。上城さんから聞いた。僕にはするなって伍堂が言ったと」
「……」
倉橋、伍堂、と個別に呼び出して『誘導』によりペア決めをしたとき、乃愛は次に時野を呼び出そうとしたのだが、伍堂に止められたのだという。
『伍堂くんが、時野にそれをするのはやめておこうって言ったの。俺とペアの3組目ってことで勝手に決めちゃおうぜって』
(つまり伍堂は、上城さんが『誘導』でペア決めをしていることに、本当は気がついていたということだ)
乃愛が自らと倉橋を2組目にして、伍堂を3組目に『誘導』したことで、高所作業車の実技演習中に何か仕掛けてくると踏んだのだ。
時野なら『誘導』を見抜いてしまうと予想した伍堂は、時野にバレて乃愛の思惑が実行できなくなるのを防ぐと共に、自らの護衛役としてペアに時野を選んだ。
「上城さんの不穏な空気にお前は気づいていたんだ。このペア決めは『誘導』だと指摘すれば、上城さんの計画は頓挫したはずだ。それをしなかったのはなぜか――」
時野は、伍堂を睨んだ。
「僕を試したんだな?」
伍堂も時野を見ていた。いつも上がっている口角も、今は真一文字に結ばれていた。
「上城さんが仕掛けてきた時に、僕がどんな対応をするか試したんだよな? なんでそんなことしたんだ? 答えろよ」
自分が普段より低い声を出していることに、時野は気がついた。
「……」
居酒屋の喧騒の中で、時野と伍堂は視線をあわせて押し黙っていたのだが――。
急に、伍堂がぷはっと吹き出した。
「そんな怒んなって。悪かったよ」
伍堂はいつもの明るい表情に戻っていたが、時野は伍堂を睨んだままだ。
「研修前から聞いてたんだよ、時野がかなりのキレ者だって。だから、それが本当かどうか、確認してみたくなったんだ」
伍堂はハイボールをごくごくと飲み干した。
「俺だって、乃愛ちゃんがあそこまでするとはさすがに思ってなかったよ? でも時野は的確に対応してくれた。助かったよ。いや、期待以上だった。乃愛ちゃんの仕業だってところまで解き明かしたんだから」
「……」
「わーるかったって! な? 機嫌直せよ」
伍堂は身を乗り出すと、時野の肩をバンバンと叩いた。
「誰だよ」
「え?」
「僕のことを伍堂に話したのは誰なのか、って聞いてる」
時野の質問を無視して、伍堂は通りがかった店員にハイボールのお代わりを注文した。
「時野も何か頼む?」
「……答えないつもりか?」
「それはまたおいおい話すよ」
「……」
(馴れ馴れしく近づいてくるくせに、自分の全部は見せない。伍堂のこういうところ、本当に気にくわない)
*
「じゃあな!」
改札の前で振り向き、伍堂が笑顔で手を振っている。
時野はため息をつくと、伍堂に向かって軽く右手を上げた。
時刻は20時を過ぎたところだ。
伍堂が八島駅に着く頃には、22時を過ぎるだろう。
あの後の伍堂は、ひたすら適当な話をしゃべり、楽しそうに飲み続けた。
伍堂が楽しそうに絡んでくるので、時野の方も緊迫感を保つのが難しくなってきて、今日のところはもういいか、と諦めてしまったのだ。
(この底抜けに明るいところが伍堂の憎めないところだ。悪いヤツってわけではなさそうだし、同期としてこれからもつきあっていくことになるんだし、もうヨシとするか……)
伍堂はICカードを手に改札に近づいたのだが――。
「あ、そーだ」
伍堂が振り向いた。
「時野!」
「なんだ?」
「俺、お前の秘密、知ってるよ!」
(は……?)
「だから……これからもよろしくな」
そう言ってニッと笑った伍堂の表情に再び既視感を覚えた時野だったが、一体どこで見たのか一向に思い出せないのだった……。
ー第2話に続くー
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