労働Gメンは突然に season2:第2話「消えた女」〈前編〉
登場人物
*ひとつの話は前編・中編・後編で構成されています。
本編:第2話「消えた女」〈前編〉
§1
『あ、そーだ』
伍堂が振り向いた。くっきりとした綺麗な二重まぶたの下には、意外と無垢そうな瞳が収まっている。
その瞳が、チカッと光ったように見えた。
『俺、お前の秘密、知ってるよ!』
(は……?)
『だから……これからもよろしくな』
伍堂の瞳が異様に大きくなって、オバケのように時野に覆いかぶさった。
『時野……』
(やめろ!)
手を振り回すが、周りには真っ黒な空間が広がっているだけで、何もつかめない。
(やめろ……)
「伍堂!」
時野は大声で呼んだが、そこに伍堂はいなかった。
「えぇっ! びっくりしたー」
後部座席から、高光課長が声を上げた。
「ゴドー? もしかして一期堂って言った? あ、わかった! 災調の後一期堂のラーメン行きたいんだね、もちろんオッケー。多分昼までかかるだろうしね」
(ヤバい、寝てたんだ、僕)
「えーっと、そうです、一期堂!」
(前期研修から帰ってきてからというもの、伍堂のことが気になってよく眠れないんだよな)
前期研修の最終日。縦浜駅の改札前で別れた時の伍堂は、意味深な言葉を投げかけると、硬直する時野を尻目に笑顔で手を振って改札に入っていった。
(伍堂、アイツ……。ほんと、どういう意味なんだろう? 僕の秘密ってなんだよ? もしかして……いやいや、それはない)
そんな風に考え始めると夜もなかなか寝付けず、官用車の心地よい揺れを受けて思わず居眠りをしてしまったのだ。
時野は、安全衛生課の高光課長と永渡と共に、官用車で災害調査に向かっていた。
災害調査とは、労働災害が発生した現場で写真撮影や計測を行い、災害が発生した状況の詳細を調査することだ。
全ての労働災害で災害調査を行うわけではなく、死亡災害や重大災害、特定の機械の災害など、再発防止の必要性が高い災害について実施することになっている。
事業場からの一報のほか、警察や消防から連絡をもらうこともあれば、新聞やテレビで報道されて災害の発生を把握することもある。
今回の場合は、警察から角宇乃労働基準監督署に問い合わせが入ったことが発覚の端緒だ。
今朝8時頃、工場内でタンクが爆発し、火災が発生して負傷者が出たのだという。
10時から警察が実況見分をするというので、角宇乃労働基準監督署も一緒に調査をすることになったのだ。
「時野くん、災害調査ってのは、誰かが怪我をした現場に行くってことだからね。談笑なんかはご法度! いいか、決して歯を見せるなよ?」
永渡に注意をされて、時野は気を引き締めた。
「は、はい! 気をつけます」
「おっ、いいね! 『絶対に笑ってはいけない災害調査』! それなら私が刺客となろう!」
「ちょ、やめてください! 高光課長」
面白いことが好きな上司ということが十分わかっているので、永渡も苦笑している。
(高光課長が刺客になったら、絶対に笑かされる!)
§2
永渡が運転する官用車が工場の敷地内に入ると、事業場の担当者が小走りで駆け寄ってくるのが見えた。
聞けば、警察はすでに到着して現場の確認を始めていると言う。
「えっ、まだ10時になってないじゃん! 警察さんてばフライングー!」
高光課長はブーブー言ったが、警察の責任者と顔を合わすやキリッと顔面を整えて名刺交換を始めた。
現場は工場の一角の作業場だ。
30畳ほどの広さがあるが、壁にある大きなシャッターが屋外に向かって全開になっているので、ほとんど外と変わらない。
警察官が10人ほどウロウロしている中に、時野は知っている顔を見つけた。
「あ! 李崎さん!」
「お前は……龍牙くんじゃないか!」
李崎は、時野のところにやってくると、時野の肩をバンバンと叩いた。
「あの、名前で呼ぶのやめてください。名前負けしてて、聞いた人をガッカリさせるんで」
「いいじゃん、龍牙って、せっかくカッコいい名前なんだからさ」
李崎は、以前、労働相談に関係する事故車両を角宇乃警察署に確認しに行った時に、お世話になった警察官だ。(season1・第5話「道交法違反」)
「李崎さんも、実況見分に来てたんですね」
「そう。警察は10人で来たんだけどよ。まあ出張るほどの事故ではなかったな」
李崎が示した方を見てみると、作業場の中央に大きなドラム缶が転がっていた。
ドラム缶の中央にひび割れが入り、錆びているのか焼け焦げたからなのか、全体的に赤茶けた色をしている。
「あのドラム缶を被災者がガス溶断しようとしたら、穴が開いた瞬間ドカン! だとよ」
廃棄するために切断して小さくしようとしたところ、ドラム缶の中に残っていた可燃性の液体が揮発し、ガスに触れて炎が上がったらしい。
「火が上がったって言っても一瞬で、ガス溶断の機械を持っていた労働者が手を火傷した程度で済んだそうだ。バッと火が上がったのを、目撃者が爆発したと勘違いしたみたいだな」
被災者はすぐに救急搬送されたが右手の火傷のみで、幸いにも軽傷。
「よかったです。大怪我じゃなくて」
「ま、そうなんだけどよ。最初の通報が『タンクが爆発した』『火が燃え上がって負傷者が出た』でさ。そういうことなら業過もあり得るってことでこうして来てみたけど、そこまでの事案じゃなかったな」
『業過』とは、業務上過失致死傷のことだ。
事業場で災害が起こった場合、労働基準監督署が所掌する労働安全衛生法の違反により送検することもあるし、同時に業務上過失致死傷により警察が送検することもある。
「というわけで、うちらはもう引き上げるよ」
じゃあな、と李崎は手を上げて、同僚たちと一緒に引き上げていった。
労働者が負傷した以上は労働災害なので、時野たち監督署メンバーは災害調査を行うことにした。
高光課長が、災調グッズが入った鞄から『1』『2』の札を取り出すと、転がったドラム缶の両端に置いた。
「うーんと、起点は……そっちの柱でいっかな?」
「ですね」
高光課長の提案に頷き、永渡が作業場の四隅にある柱のうちの2本に『A』『B』の札を置く。
事業場の担当者に災害発生時の被災者が倒れていた位置を確認しながら、その頭部があったらしい場所に『〇』、つま先があったらしい場所に『×』の札を高光課長が置いた。
「時野くん。災害調査の時は、こうやって大事な箇所に札を置いてね。計測で位置関係を特定したり、災害に関係するブツの計測や写真撮影をしたりするよ。ブツってのは、今回で言えばドラム缶なんかだね」
「はい」
「それから、災害が起こった位置を特定するために、動きようのない所を『起点』にして、そこからの距離も計測する。建物内だと柱にすることが多いよ。外だったら、電柱とか建物の角とかね」
「なるほどですね……今回だと、『A』と『B』の柱ということですね」
「そう。今回は工場内だから簡単だけど、これが屋外のなーんもないところで災害が起こっちゃうと、『起点を探して三千里』って感じでめちゃくちゃ大変なのよー。前に俺が行った現場なんてさあ……」
「課長、そろそろ計測を……」
お話し好きの高光課長の話が長くなってきたので、さりげなく永渡が制止した。
「あー、そうだね。俺の武勇伝は帰りの車で話すとして……」
高光課長は、画板に紙を敷いて時野に渡した。
「時野くんに、計測結果を記録してもらおうかな。まずね、計測を始める前に簡単な位置関係を図にしておくといいよ。そうすれば、言われた数字を書き込んでいくだけになるからね」
「わかりました!」
時野はささっと位置関係をスケッチした。
「じゃあ、まず1-A間~」
高光課長が言うと、永渡がスッとメジャーを伸ばした。
「1-A間……3メートル90!」
高光課長がメジャーのゼロ側を持って押さえ、数字を読み取った永渡が大きな声で数字を叫んだ。
(3メートル90センチっと)
時野は図面に数字を書き込んだ。
「時野くん、計測の数字が聞こえたら、同じ数字を言い返して。正しく聞き取っているかの確認ね」
「あ、はい! すみません。3メートル90!」
「そーそー、オーケーオーケー」
時野たちは順次計測を済ませると、高光課長は事業場の担当者に被災状況の詳しい聴取を始め、永渡は現場の写真を撮影し始めた。
「ブツの写真や、現場全体の写真はもちろんだけど、被災者が身に着けていた作業着や安全帯、ヘルメットが現場に残っている場合はそれらも撮るよ」
「はい」
永渡は、一眼レフのカメラを両手で構えると、慣れた手つきで撮影した。
「それから、帰りに工場の全景も撮るんだけど、よく忘れるんだよねー。これを忘れると後日隠し撮りしに来るはめになるから、要注意!」
一通り調査を終えた3人は、官用車に乗り込んで事業場を後にした。
「時野くんも一緒だったから研修目的もあってがっつり災調したけど、被災者も軽傷だし、爆発ってことでもなかったし、災時監扱いでいっかな?」
『災時監』とは、災害時監督のことだ。災害調査する程の規模ではない災害でも、再発防止の必要性や法違反の可能性から判断して、監督の一環として現場を確認しに行くことがある。
「じゃ、無事に災害調査も終わったことだし、一期堂行こうぜー!」
いつの間にか、時刻は正午を過ぎていた。
(『伍堂』を『一期堂』に誤解されちゃったけど、ラーメン食べたい気分だから結果オーライだ)
二郎系の方にしようかつけ麺の方にしようかと時野が考えていると、時野の胸ポケットでスマートフォンが振動した。
スマートフォンのロックを解除すると、LINEのメッセージが届いていた。
『時野、おつかれ! 週末、そっちに遊びに行くからよろしく』
(!)
メッセージは、伍堂からだ。
さらにスマートフォンが振動し、続きのメッセージを受信した。
『時野に折り入って頼みたいことがあるんだ』
(頼みたいこと……だって?)
こみ上げてくる嫌な予感で、時野の食欲はみるみる減退していったのだった……。
§3
「おーい、時野ぉー!」
角宇乃駅の改札の向こうから、伍堂が満面の笑みで手を振っている。
「……」
「お迎えご苦労! なんだよー、そのイヤそうな顔~! 同期との再会をもっと喜べよ」
伍堂は時野に肩を組んできた。
「ていうかさ……。本当に、うちに泊まる気?」
「もちろん!」
時野は大きくため息をついた。
土曜日の午後。予告通り、伍堂は角宇乃市にやってきた。
(なんか、家に連れて行くのやだなー。それに……)
『折り入って頼みたいことがあるんだ』
(これが『これからもよろしくな』の一環だとしたら……)
今後も、面倒なことを色々押し付けられるのでは――?
「どうしたんだよ? 早く時野んち行こーぜ」
時野の気持ちとは裏腹に、伍堂は楽しそうに促す。
仕方なく自宅に案内すると、伍堂は玄関で靴をきちんと揃え、行儀よく中に入った。
「ここは……一人暮らしじゃないよな?」
新監の給料は安いので、一人暮らしの場合は宿舎――国家公務員の社宅・寮――に入るか、民間の安いワンルームを借りる場合が多いだろう。
だが時野の自宅は、世帯向けのマンションだ。
「まさか、彼女と同棲?」
柔らかい雰囲気のインテリアや、室内に置いてある私物は、女性の住人の存在を匂わせる。
「母親と住んでる」
時野がぶっきらぼうに答えたので、伍堂はがっかりした様子だ。
「なんだよ、大スクープかと思ったのに」
(彼女と同棲してたらお前を泊まらせるわけないだろー!)
「じゃあご挨拶しないと。お母さんはどちらに?」
「仕事。今日は遅いと思うから、ご挨拶は明日でいーよ」
「そっか、わかった。そうだ、これS県の銘菓。お母さんと食べてよ」
伍堂が渡してきた紙袋のロゴは、時野も何度か見たことのある有名な菓子店のものだ。S県のお土産と言えば、半数はこの菓子ではなかろうか。
「……で? 僕に頼みたいことってなんだよ」
「まあそう焦るなって。おっ、もう4時か。晩飯どーする?」
時野はため息をつくと、テーブルの上のチラシを指さした。
「ピザでもとる? この辺は店が多いから、外に食べに行ってもいいけど」
「んー、そうだな。じゃあピザにしようぜ。あと、買い出し行ってアルコールとつまみも調達しよ」
伍堂は楽しそうだ。
「ゆっくり話したいし、家飲みがいい」
(ゆっくり……。一体僕に何をやらせるつもりなんだよ)
*
「でさあー、乃愛ちゃんとは週に一度はLINEのやりとりしてて、時にはビデオ通話したりもしてさ」
3本目のビールを飲んでいる伍堂は、上機嫌だ。
「これっていい感じだと思わないか? どう思う、時野」
「んーどうかなー。上城さんはそんな単純じゃないと僕は思うけど。連絡を取ってるのが伍堂だけとは限らないんじゃないか」
「えぇー! マジかよ! 乃愛ちゃんもまんざらでもなさそうなんだけどなーあ」
時野は1本目のビールを飲み終わると、2本目に低アルコールのカクテルを選んだ。
「そう言う時野はどうなんだよ? 誰か同期の女子とやり取りしてないわけ?」
口をつけたカクテルの缶をテーブルに置くと、時野は切り出した。
「……そういうのはいいから、そろそろ本題を話せよ」
「本題? ああ、なんだっけ?」
(コイツ……締めたろか)
時野がムキッと睨んだのをみて、伍堂がくすくすと笑う。
「冗談だって! そうだな。よし、聞いてくれ」
時野は椅子に座り直した。
「実は、時野に頼みたいことと、言うのはだな」
「うん」
「俺が一目惚れしたK局の女性監督官を、探してほしいんだ」
「はあぁ??」
ー第2話〈中編〉に続くー
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