労働Gメンは突然に season2:第2話「消えた女」〈中編〉
登場人物
*ひとつの話は前編・中編・後編で構成されています。
本編:第2話「消えた女」〈中編〉
§1
K県の縦浜市は国内有数の大都市であり、ビジネスでも観光でも訪問者の数はトップクラスだ。
伍堂はS県で生まれ育ったが、大学は縦浜市にある国立大学に進学した。
伍堂の両親は公務員ではないが、親族にはなぜか公務員が多く、集まりのたびに『安定』した人生を見せつけられた影響なのか、両親は公務員を目指すよう息子に求めた。
(まあ、色々心配をかけてきた俺を、両親は大切に育ててくれた。格別やりたいこともないし、職業は親の言う通り公務員でいい)
それでも、ギリギリまで粘りたい伍堂は大学院に進学し、さらに2年の学生生活を謳歌してから公務員試験に臨んだ。
受験できる公務員試験を片っ端から受験すると、ほとんどの試験は筆記で落ちてしまったものの、労働基準監督官と地元のS県警に最終合格することができた。
(さて、どちらに就職するか……)
労働基準監督官となる場合は、希望する都道府県の労働局――第1希望から第3希望までの3局――の採用面接を受けに行くことになる。
(警察の仕事はイメージしやすいけど、労働基準監督官ってどんな仕事なんだろう)
伍堂は思い切って、K労働局の採用担当者に連絡を取り、職場見学のお願いをした。
(K労働局は第二希望だけど、今の自宅から一番近いしな)
職場見学当日――伍堂が縦浜南労働基準監督署を訪問すると、他の見学希望者2名と共に、副署長が署内を案内してくれた。
各部署の様子を一通り見学しながら業務説明を受けた後、伍堂たちは会議室に案内された。
「先輩の労働基準監督官を呼んでいるので、どうぞ何でも質問してください」
副署長がそう言うと、先輩監督官の男性は苦笑しながら自己紹介した。
「ご紹介にあずかりました、労働基準監督官の阿部です。何質問されるのか怖いけど、可能な限り答えます」
阿部は30代前半の中堅の労働基準監督官のようだ。
背広のボタンを外して前を開き、センスのいいワイシャツに上手に結ばれたネクタイはほんのり襟元が緩められ、こなれた社会人感が漂っている。
(おーカッコイイ先輩だ。俺も将来的にはこうやって入省希望者の質問に答えるのも悪くない)
『そうだね、時には大変なこともあるけど、ワンチームで取り組んでいるよ』
妄想の中で、伍堂は若い女性見学者の質問に回答した。
『伍堂先輩って、ステキですね』
『彼女さんはいるんですか?』
(いやー。モテモテで困るな~)
伍堂が一人ニヤつきながら妄想に浸っている間に、他の受験生が次々に阿部に質問をした。
(お、他の受験生たちの質問、めっちゃまじめじゃん)
「はい!」
伍堂は阿部に向かって手を上げた。
「そちらの彼、どうぞ」
「職場恋愛はオーケーですか?」
伍堂の質問に、副署長も受験生たちもキョトンとしている。
「ははは、そうだね、禁止はされてないよ。実際、職場結婚も多いしね」
阿部だけは、苦笑しながらも伍堂の質問を受け止めてくれた。
(そんな変な質問だったかな? 恋愛欲は人間の三大欲求の一つなんだから、長い時間滞在する職場内での恋愛が可能かどうかは重大問題だと思うんだけど)
伍堂が首をかしげていると、受験生の女性が深刻そうな面持ちで阿部に質問した。
「女性の働きやすさについて質問なのですが……。処遇面については問題なくとも、感覚として、男性が多めの職場ですと女性監督官の働きにくさのようなものはないのでしょうか」
徐々に女性の労働基準監督官も増えてきたようだが、全体では2、3割というところらしい。
さすがにこの質問は、これまでなめらかに回答してきた阿部でも答えるのが難しいようだ。
「君の質問には女性監督官が答えるのが一番だけど……」
阿部は副署長と目を合わせるが、その副署長も男性なので、肩をすくめている。
その時、阿部が指をパチンと鳴らした。
「そうだ! ちょっと待ってて。女性監督官を連れてきます」
「え、でもうちの署には……」
副署長はそう言ったが、阿部は目配せをして会議室を出て行った。
阿部が出て行ってから、5分程経過しただろうか。女性を伴って戻ってきた。
「連れてきました、女性監督官!」
阿部に背中を押されながら受験生たちの前に立たされた時、女性のワンピースの裾がふわりと揺れた。
ワンピースの共布のベルトをウエストでリボン結びし、アンクルストラップのハイヒールを履いたその女性は、スタイルの良さが強調されながらも清楚ないで立ちだ。
ボストン型の眼鏡の奥には真面目そうな黒い瞳が見え、卵型の女性らしい輪郭の周りに、ベージュ系でナチュラルに染められた髪が鎖骨辺りまで伸びている。
(か、かわいい)
万人受けするタイプではないが、伍堂の好みのタイプであった。
阿部が、質問者の方を見ながら女性監督官に何かささやいた。
女性監督官は頷くと、質問者の方を向いて話し始めた。
「確かに男性が多い職場ですけれど、女性だからと言って働きにくさを感じたことはありません。労働基準監督官は『個』が際立った人が多いですが、男性とか女性とかいう区別でものを考える人は少ないように思います」
女性は少し首を傾けた。
「ただ……外部の方、つまり事業場の方や労働者の方は、色々な方がいらっしゃいます。中には、『女じゃダメだ』といったことをおっしゃる方も」
背筋を伸ばした立ち姿のまま、女性監督官はさらに回答を続けた。
「そんな時私は、なるべくチームで対応するようにしています。女性かどうかだけではなく、正直言って色々な意味で矢面に立たされる局面があります。でも、決して一人で戦う必要はありません」
女性監督官はそう締めくくると、質問者に対して微笑んだ。
伍堂はその言動の一部始終を舐めるように見ていたが――。
(……いい!)
見た目がストライクなのはもちろんだが、対応の悪い輩がいるという不都合なことも説明しつつ、質問者に誠実に答える姿を見て、伍堂の心はすっかりその女性監督官の虜になったのだった……。
§2
「……って、いやいやいやいや!」
「なんだよ。『いや』が多いな」
伍堂は5本目の缶ビールを飲み干すと、ハイボールの缶のプルトップをプシっと引っ張った。
「だって伍堂! さっきまで、上城さんとイイ感じがどうとか言ってたよな?」
「そうだけど?」
伍堂はつまみに買ってきたチータラを口に詰め込むと、ハイボールをぐびぐびと飲んだ。
「そうだけどじゃないよ、上城さんのことはどうするんだよ! お前の言う通り『イイ感じ』になっておきながら、その女性監督官と二股かけるつもりかよ」
時野はつい語尾が強めになってしまったが、伍堂はあまり気にしていないようだ。
「俺はもちろん乃愛ちゃんが好き。だけど、一目惚れした彼女のことも忘れられないの」
「はぁ?」
「お前だって、同時に2人の女の子を気になっちゃうみたいなことあるだろ?」
「いや、僕にはそんな器用なことできないけど」
時野としては皮肉を込めて言ったつもりだったが、伍堂はヘラっと笑いながらこう答えた。
「そーそー、俺って器用なんだよね」
(褒めてない!)
時野は、伍堂に見せつけるように大きなため息をついた。
(そう言えばコイツ……『並行して複数人愛せる』とか平気で言っちゃう変態だったっけ)
「誤解するなよ? もちろん、正式に交際が始まったら、その交際相手一筋だよ? その辺は俺、一途だから」
(どーだか……)
時野は半眼で伍堂を睨んだ。
「質問に答えたら彼女はサッと会議室から出て行ってしまったんだ。監督官になれたらあんな素敵な女性と一緒に働けるのかと思って夢見心地で家に着いたら、名前すら聞いていないことに気がついたんだけど、後の祭りで……」
伍堂は、時野の手を握りしめた。
「!」
「だから、頼むよ時野! K局のどこかにいるはずなんだ。彼女を探し出して俺に会わせてくれ!」
「おい、離せよ」
時野は手を離そうとしたが、伍堂はより一層力を込めた。
「頼むよ! 俺たちは盟友だろ?」
(先月知り合ったばっかりだし!)
「なあ、時野!」
伍堂は時野の手を手繰りよせながら、どんどん時野に近づいてきた。
(いや怖いって!)
「わ、わかった! わかったから、もう離せって」
伍堂が、パッと時野の手を離した。
「ありがとう、時野!」
時野は伍堂に握られた手をぶんぶん振って、痛みを逃した。
「だけど……新監の僕にはあまり労働局にツテはないし、見つかる保証はないからな」
「おう! 仕方ないこともあるってことは、俺もわかってるさ」
伍堂は、うれしそうにハイボールの缶をもつと、口をつける前に思い出したようにこう言った。
「心配しなくても、俺の思い人が見つからなかったからって、時野の秘密をバラしたりしないから」
「!」
(コイツ……。ちょいちょい脅すようなこと言って、何が盟友だよっ!)
§3
(それにしても……どうやって、伍堂の意中の女性監督官を探すかな)
土曜の夜は、あのまま遅くまで飲んだ。
日曜日は昼頃まで時野の部屋で寝ると、時野の母が用意した昼食を大げさに褒めながら完食し、伍堂はS県へと帰っていった。
『じゃあ頼んだぜ、盟友!』
(だから出会って1か月だってば)
時野が頭をかきながら角宇乃労働基準監督署に出勤すると、後ろから誰かが肩をたたいた。
「おはよう、時野くん」
声の主は、紙地一主任。時野の直属の上司だ。
「一主任、おはようございます」
「あれ? なんだか疲れてる?」
「あー、いえ……疲れてると言うか、困ってると言うか」
「ん? どうしたの?」
「……はい、実は人探しをすることになって」
「人探し?」
時野は事務室に向かう道すがら、紙地一主任に事情を説明した。
ただ、探す理由についてはさすがに「一目惚れ」とは言いにくく、「お世話になったお礼を言いたい」ということにした。
「去年縦浜南署にいた『阿部』って言ったら、どっちだろうなあー」
紙地一主任は顎に手を当てて考えている。
「K局には『阿部』監督官が2人いらっしゃるんですか?」
「正確には3人いるよ。ただし、そのうち2人は夫婦。で、残りの1人は男だから、男性監督官の『阿部』といったらそのどっちかだね」
「そうか、職場結婚もわりといらっしゃるんでしたよね」
「うん。結婚後も業務上は旧姓を名乗ってもいいんだけど、業務以外の書類関係――例えば保険証とか年末調整とかは戸籍上の氏名じゃないといけないから、印鑑を2種類用意したり、場合によって姓を書き分けたりするのが面倒みたいで、キリのいいタイミングで戸籍上の姓に切り替える人も結構いるよ」
「なるほどー」
紙地一主任と話しているうちに自席に到着し、時野は背負っていたリュックを下ろして業務用パソコンの電源を入れた。
「まあ、阿部監督官の特定は難しくないだろうけど、問題は捜索対象の女性監督官だな」
紙地一主任は、時野と話しながら、起動したパソコンにパスワードを入力している。
「と、おっしゃいますと?」
「だって、昨年度は確か、縦浜南署に女性の監督官の配置はなかったから」
「えっ?」
「筆頭署だからあれだけ席数が多いのに女性が一人もいなくて、『むさくるしい』とか『人事の嫌がらせだ』とか、縦浜署のメンツが相当騒いでいたからな」
当時の愚痴る同僚の様子を思い出したのか、紙地一主任は苦笑している。
「それにしてもなー。事前に予定されていない質問だったのに、一体どこから女性監督官を連れてきたのか、不思議な話だね」
(女性監督官がいない……? 老若男女問わず惚れっぽい伍堂のことだ。本当に、『女性』監督官だったのだろうか。怪しい。……っていうか、そこからかよっ)
ー第2話〈後編〉に続くー
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