教職員とは、学びの「伴走者」である
私はわかりやすく言えば、学校職員をしている。「学校」は、社会人向けの専門スクールだ。
で今、『Learn better』という本を読んでいる。
この本は学ぶことが多すぎるんだけど、そこから自分が着想を得たのは、「伴走者」という言葉だった。
もともと、下書きしたまま、書き途中の記事があった。『共同研究者になりたい』というタイトルだった。
それは、昨年の秋、大学で研究していた学校「きのくに子どもの村学園」にシンポジウムで聞いた言葉が元だった。「先生とは、学びの共同研究者である」という言葉だ。
非権威主義で、対等な人間関係のもとで学ぶことを理念にしてる学校だからこそ、出てくる言葉だった。
ちなみに、きのくに(学校の愛称)では、生徒を「こども」、教職員を「おとな」と呼ぶのだ。「おとな」は「〇〇先生」ではなく、ニックネームや「〇〇さん」と呼ばれる。だから、もし私がきのくにの「おとな」になったら、「とにーちゃん」とか「とにー」「とりいさん」「みさちゃん」と呼ばれる。
そんなきのくには、体験学習が中心のカリキュラムだ。シンポジウムの1年前、北九州のきのくに(きのくには全国に5,6校ある)へ滞在したとき、私は、年の近い「おとな」に
「プロジェクトってどんな風に教えるんですか?」
と聞いた。すると彼女は、
「教えるっていうより、一緒に学ぶ感じかなぁ。」
と答えた。
私はずっと「おとな」でも「先生」でも、「子どもに何か教えるもんだ」と思っていた。でも実際は、「教える」というより、「ともに学ぶ」という感覚なんだなぁと思った。
その言葉が1年後、シンポジウムで耳にした「共同研究者」という言葉と重なった。その半年後、本を読むなかで「伴走者」という言葉がぴったりだなぁと自分で思った。
伴走者とは、視覚障害のあるマラソンランナーに伴走する人のことだ。競技者のそばについて走り、走路や給水所の位置を知らせ、安全に競技が行えるようにする。浅生鴨さんの小説のタイトルでもある。
教職員って、学びの伴走者だし、共同研究者であるよなぁ。共に走っていく存在であり続けよう。