非日常に満足するのではなく、日常に満足せよ

とつくづく思う。

非日常=イベントごと、特別な日、ご褒美などなど…

『ぼくたちは習慣でできている』を読んでから、毎日やること=習慣にすることがいかに楽か、ハードルが低いかを感じた。

旅行も、飲み会も、ご褒美のデザートも、新しいコスメも、新しい洋服も、プレゼントも、"いつもないから"、楽しいし、嬉しいし、人は喜ぶ。

本では、「人は差異に満足する。お腹が空いていた状態から、お腹がいっぱいになった状態になる、その差に満足する」という言葉で書かれていた。「非日常」は、「日常」との差異を感じられるから楽しいのだ。

でも、そこに甘んじてはいけない気がする。「非日常」は消費することに近い。モノ、体力、時間、お金などなど。ても、それが日常になれば、それは生産に変わる。

例えば、たまにどこかに出かけるのも、ゲストハウスや24時間営業スパに泊まるのも、「非日常」である。いつもと違う時間、場所をいつもと違う人と過ごす。でも、荷物が多かったり、友達とダラダラ喋ってやりたいことがやれなかったり、いつもと違うベットで寝て疲れたりすることもある。自分の体力や時間が消費されてる感じ?

実際にシェアハウスしたり、毎日スパに泊まっていたら、それは「日常」となる。それはそれで別の楽しいが多くあるし、また別の「非日常」を求めるかもしれない。

それに「非日常」は、一過性だから続かない。1泊2日でお寺に泊まる宿坊をして、座禅が習慣にならなかったのがいい例だ。テレビもスマホも触らず、本を読み、21-5時で寝るっていうのは、特別ないい体験だったけど、習慣を作るには向いてなかった。いつもの帰り道で、いつもの自分の部屋で、いつものベッドで寝た方が、早起きはつくれるし、習慣になる。

ここ数ヶ月、色んなイベントに参加したり、シェアハウスしてみたり、宿坊してみたり、身体を動かしてみたり、多動的に動いてきたけど、自分の毎日を非日常で埋めることに何か違和感を感じている。

それより、ほぼ毎日続けている朝のウォーキングとウクレレの方が、一日の始まりをととのえてくれるし、心が落ち着くし、幸福感を高めてくれるかも。自分の身体のコンディションやスキルアップがわかったりする。何よりも生産性がある気がする。

私にとって、瞑想、ボルダリング、動画編集などは、毎日やろうやろうと思ってるけど、できてないことだ。結局、月1くらいの勉強会など、「非日常」のイベントになってしまっている。人間、変わらないことが一番楽なのは知ってる。変わらないことを決めている」という表現を『嫌われる勇気』ではしていた。そこを乗り越えて、進みたい方向に向かって、進みたい。

まずは、こんな時間に更新してることが非日常!

#習慣 #ぼくたちは習慣でできている #日記 #思考
2018.11.21 修正済み


いいなと思ったら応援しよう!

鳥井美沙
サポートしていただいた後に起こること。 1 執筆するために行くカフェで注文するコーヒーがソイラテになる。 2 部屋に飾る花が1輪増える。 3 いつも行く温泉でサウナにも入る。