鎌倉 釈迦堂切通し
2010年の大雨で崖崩れをおこして通行止めになったままの釈迦堂切通しに行ってきた。
隧道というより短いので洞門と言ったほうが伝わるかもしれない。
普通なら切り開いた道にするのだろうけど、この切通しの上には北条時政の山荘の遺構があり、崩せないため洞門になっているのかもしれない。
この釈迦堂切通し、南からアクセスすると切通しの直近まで近づけるが、立入禁止のフェンスで進入を阻止している。
このフェンスのすぐ手前は住宅地になっており、人目があり突入するわけには行かない。
切通し自体は、掘りっぱなしの岩がむき出しで、これまで見てきたような素掘りトンネルの掘削面とは違い、凸凹が激しく、人造なのに人造に見えない不思議な光景だった。
切通しの上部に窪みがいくつか見える。
この窪みは「やぐら」の跡のようだ。
「やぐら」とは鎌倉やその周辺で見られる中世の墳墓で、柔らかい岩盤を矩形に掘り込んで、その中に納骨施設や供養塔・石仏などを安置したものだ。
衣張山に登るときにもやぐらをいくつも見かけた。
これらの窪みがやぐらであったとするならば、やぐらが造られた当時、この切通しは無かった考えられる
切通しの上にやぐらを造ったとは考えにくく、やぐらが造られた時代以降にやぐらの下を掘削して洞門ができたと考える方が自然だ。
そんなことで改良改築や崩壊などが起こり、こんな非人工的で迫力ある姿になったと想像する。
残念ながらこれ以上進めないので、このあと「衣張山」へ登ってから北側へ降りて坂東三十三観音霊場の一番札所「杉本寺」を参拝した。
鎌倉最古のお寺で、茅葺屋根や苔の石段でも有名だ。
ここで「坂東三十三観音霊場納経帳」を買ったもので、また一つ出かけなければならない理由が出来た。(笑)
「そうだ、せっかくだから釈迦堂切通し、北側からアプローチしてみよう!」
どうせ南側と同じだろうと思っていたのだが、実際に行ってみると、民家から離れ、山道に入っていく。
しばらく進むと、やっぱり立入禁止のフェンスが道を塞いでいた。
そこからは釈迦堂切通は見えない。
残念と思ったものの、脇を見るとフェンスの横に抜け道が。
人が踏み入って小道が出来ている。
じゃあと言うことで進入してみた。
ほどなく、切通しが見えてきた。
と、同時に通行止めのフェンスが立っていた。
だけどそのフェンスは壊されている。
南側のように人目が届かないとさすがにやられている。
お言葉に甘えて的に、ちょっと失礼しますと言って切通しに近づかせてもらった。(笑)
間近で見ると迫力満点!
これまで見てきた素掘りトンネルとは違っており、人の手によって掘られた感じが全然しない。おまけにでかい。
房総でみた川廻しもトンネルとしては変わっているが、ここはそれ以上に自然の造形美といってもいいほどの奇景を呈してる。
いろんな理由があってこんな切通しになったのだろう。
天井を見ると今にも落ちそうな一枚の岩がある。
まあやっぱりこのままじゃ危険だ。
この切通しをこの姿でなんとか保存出来ないものか、また、ぜひこの姿で保存してもらいたいと思った。
おわり