ほぼほぼ考(ほぼ千5)
最近、「ほぼほぼ」という言葉をよく聞く。いつからだったろうか、会話の節々に「ほぼほぼ」という単語が出てくるようになってきたのは。関西人がよく使う、好き放題言った後につける「知らんけど」。これと同じくらいさりげなく、いやもっと強調してだろうか使う人が増えているようなのだ。人によっては、「ほぼーほぼ」という風にわざわざ伸ばし棒をつけて発言する人もいて、私からすると、なんだかなー、いやそこは「ほぼ」でいいでしょ、と思うことがある。
この「ほぼほぼ」は、使う人によりけりだとは思うのだが、結構いい加減な言葉で、大体が誇張表現となっているように思われる。いわゆる、「話を盛る」というやつだろう。
今、私は、「結構」という単語を使ったが、本来はこの単語は程度を調整する意味合いで使われてきたと思うのだが、この辺りの言葉を使った表現と何か近しいものを感じる。試みに『広辞苑』(第五版)で、「結構」を引いてみると、副詞で「何とか」や「まあまあ」の意味があることが分かる。
では、「ほぼほぼ」は広辞苑に載っているのだろうか・・・やはり載っていない。ちなみに「ほぼ」は載っていて、副詞で「おおかた。およそ。大略。あらあら。」とある。漢字だと、「粗・略」となっている。なるほど、「略する」にも程度は確かにある。大きく略すると、「大略」(たいりゃく)となり、意味は(広辞苑によると)「①すぐれた知略。大器量。②あらまし。おおよそ。」となるわけだ。
辞書で言葉を飛び石の様に遊ぶのも楽しいものだ。しかし、今回は、「ほぼほぼ考」という表題なので、そちらを考える。
知人に聞いたところ、テレビで芸能人が言い出したんだ、と言っていたので、ちょっと検索してみることにする。
ヒットしたのは、「三省堂辞書を編む人が選ぶ今年の新語2016」だった。なんと大賞に「ほぼほぼ」があがっている。
詳しくは、同サイトの選評のところを読んでみると、私の拙い文章よりもすぐに分かることだが、それにしても2016年には辞書の編纂者さんたちが一目置いていた言葉なんだということで、やや驚きだ。私は去年あたりから意識するようになったからだ。
知人の言っていたことも、あながち間違いではなく、テレビ東京の番組「ほぼほぼ」が決定打になったのだろうか。さすがテレ東だ。
そういえば、「ほとほと」も元は、「ほとんど」が重なったものだそうだし(『角川類語新辞典』より)、なんなら「へとへと」も、「反吐」を重ねた単語のように思えてくる(あくまでこっちは個人的見解です)。
日本語は、言葉を重ねることで表現が豊かになっているのだな。
私はこの文章を「つらつら」書いているわけではなく、何度も「つっかえつっかえ」して、「ぶつぶつ」言いながら、「ずりずり」と書いている。
あぁ、「ほぼほぼ」千文字達成した。
今晩は、この辺で。