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ある日の声かけ(ほぼ千10)

「まあ、そう一喜一憂しなさんな。」

 友人にそんな声かけをしてもらえて、ホッとしたことがある。色々な出来事が重なって、感情の起伏に気持ちがついていっていなかったからだ。少し気持ちを落ち着けて、ただ淡々と生きるというのもまた良いことなんだろうなと思えたりした。

 持病をもってからというもの、他人とは真剣に付き合わねばと思い過ぎていたのかもしれない。今までの自分の生き方を180度変えなければ、これはダメだと猛反省した経験が昔あった。主に友人関係の苦い経験で、数十年たっても、いまだにそのことで気に病むことが時々ある。

 私の持病は、「人間関係のやまい」であるらしい。とある精神科医がどこかで書いていた。確かに人間関係が良好のときは、体調が安定している。仕事が続いていた7年間は、本当に幸せな日々だったと思う。でも、今が幸せではないかというとそんなことはない。淡々と過ごす日々もまた、心の安寧の要因になっていると思う。

 最近は、これでいいのかなという思いが半分と、コレガイイノダという思いが半分で過ごしている。できるときに少し資格の勉強をして、できないときは無理をしない。自分との付き合い方もまた人間関係なのだと思うようになってきた。

 他人や自分に対して冷淡で、少し小バカにしたような態度と口調、気持ちは横柄で傍若無人だった過去の私は、もういない。そのときのノリやテンションというものを少し懐かしくも思うけれど、あれは若気の至りと割り切って、今日もていねいに生きている。

 自分との付き合い方を変えて、少し分かったことがある。私は案外テキトーな人間なんだなということだ。真面目で完璧主義であると周囲から言われてきた学生時代だったけど、見えていない自分のテキトーな部分に気付いたのだ。なーんだ、私はかなりいい加減なやつだったんだと思うと、放心して気持ちがフワッと軽くなった。コレガイイノダ。

 40歳を超えていくと、ヒトはみな凡人になるんだということをどこかで読んだことがある。40歳からは自由に生きよというメッセージの本も最近知った。昔は「不惑」といったけれど、あれも最近の研究では、惑わずというよりは、「不或」(わくに入れず)という意味だと書く文章も読んだ。自分を型に嵌めず、自由でいいんだなと思えるメッセージたちだ。

 今回はなんだか湿っぽい文章になってしまったけど、人生カラリと明るいときばかりではないんだと思う。じめじめしたのは苦手だけど、書くことで少し風通しがよくなったアラフォーの話を、もし読まれた方がいれば、少し気持ちを整理するお手伝いができればいいなと思います。

「まあ、そう一喜一憂しなさんな。」

 これがいつか誰かに言える日が来ますように・・・。

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