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大好きなみっちゃん
私には叔母がいる。
母の妹、みっちゃん。
みっちゃんの旦那さんは、つるちゃん。
みっちゃんはみつよだから、みっちゃん。
つるちゃんはみつひろで、つるちゃん。
頭がつるっとしてるから、つるちゃん。
子供の頃、みっちゃんがそう紹介してきた。
だとしたら、私の父もひろしだけど、つるちゃんやわ。
みっちゃんは私のもう1人の母で、姉で、親友。そんな人。
みっちゃん夫婦に子供はいない。
母は私を産んでも仕事を続けたが、みっちゃんは仕事を辞め、私の面倒をよく見てくれていたらしい。
小学校の修学旅行で、お土産を家にしか買わなかった時、母に「うちはお土産は2つ買わなあかんの!この家とみっちゃんとこのと、2つ!」と教えられてから、お土産は必ず2つ、母の日の贈り物も2つ、10日違いの母とみっちゃんの誕生日には2人同時にプレゼントを贈る。これが決まり事になった。
休みの日は、母とみっちゃんと3人で出かけることがほとんどで、振り返ると友達との買い物の記憶より、母とみっちゃんとの買い物の記憶の方が断然多い。
思春期だろうが反抗期だろうが、一緒にいた。
双子に間違われるほど似ている母とみっちゃんだが、もちろん性格は全然違う。
実の母よりも、みっちゃんは温厚で優しい。母と喧嘩して仲を取り持ってもらうことしばしば。
まぁ、姪っ子だから優しくできて、実の娘だから厳しくするんだなって大人になってから思った。
とは言え、みっちゃんは優しい。
それに、強い。
二十歳の頃、父が癌で亡くなり、母が1人になることを不安に思っていた私に「お母さんにはみっちゃんがおる。あんたは東京で好きなことしい。」と背中を押してくれた。
おととしの年末、つるちゃんが持病が悪化し、入院した。
結果的に治って、今はもう完全に回復しているけど、一時は意識朦朧でどうなる事かと不安になった。
「大丈夫や!あの人、そんな簡単に死なんわ。」
と言うみっちゃんの電話の声がいつもと違っていて、原宿から渋谷を歩きながら私は泣いた。
コロナのせいで、つるちゃんの見舞いに行けない。救急車で運ばれる時、まともに会話も出来てない。長年連れ添ったつるちゃんにさようならも言えないまま、もしものことがあったら。
みっちゃんの気持ちを思うと、大都会の真ん中だろうが、人が多い帰宅ラッシュの時間だろうが、涙が溢れた。
みっちゃんもつられて泣いていた。
自分のことより人のことを考える人で、「大丈夫」とよく口にする。
人として、叔母として、母として、尊敬出来る大好きな大好きなみっちゃん。
そんなみっちゃんが癌になった。
先月、胸にしこりがあると言って検査に行き、悪性の乳癌だということが分かった。
幸い転移はなく、抗がん剤治療をして手術をすれば取り除くことが出来るそうだ。
心配かけまいとみっちゃんは最初、私に言わなかった。母から聞いた。
検査から結果まで何日もかかるなか、みっちゃんはとても冷静で気丈でいつもの優しいみっちゃんだった。
治療の方針も全て受け入れ、先日初回の抗がん剤治療が行われた。
医療用のウィッグが結構高いらしく、安いのでええからネットで探して欲しいと言われ、昨日ニット帽も注文して一緒に送った。
「ありがとう、ごめんなぁ。」
そう言うみっちゃんのごめんなぁに込もる気持ちにまた泣いた。今度は家でほんの少しだけ。
早速ウィッグとニット帽が届いたと電話があり、「ウィッグはまだ髪の毛あるからなんかうまいことはまらへんわ。つるつるになってからやな。ニット帽はな、よう似合うってつるちゃんが言うてたわ。似合うで、ニット帽。」
普段寡黙なつるちゃんがそんな風に言ってるなんて、素敵で粋で愛に溢れていて、ジーンと来た。
「ウィッグもニット帽もええもん届けてもろたからな、もうこれでいつでも毛抜けろやわ!いつでも来い。」みっちゃんは明るくそう言った。
「最高やな!素敵すぎるわほんま!!!」と私の心からの声が出た。
この人と血が繋がってるなんて、私、最高で最強だなって思うと、低気圧で重たかった体が一気に軽くなり、スキップしたくなった。
秋頃、帰省しようかなと思っている。
帰省したらみっちゃんに言おう。
「みっちゃんもつるちゃんやんか。」