良心の座席譲り
基本的に私は電車での座席は譲る方で、どうしても座りたい人間ではない。
ガラガラなら座るし、そんな長い時間乗らないなら座席が空いていても立ってることの方が多い。
先日、人身事故で止まった電車をホームで待っていた。
周りの人はホームの椅子に座ったり、諦めて改札を出るなか、私は他の迂回ルートがなかったので、整列線の先頭に立ち、30-40分ほど待っていた。
運転再開のアナウンスとともに、他の人達も並び始め、私を先頭に列ができた。
電車が到着すると、思っていた以上に乗客は少なくたくさんの座席が空いていた。
私は乗ってすぐ左の端の座席に座った。
全員が乗り込んでも、まだちらほら座席は空いている。
最後にお年寄りの女性がお2人が乗ってきて、別々の席しかないからと座らずにいた。
私が譲ったところで隣同士で2席空くわけではなかったし、座りたいなら別々でもお座りになるだろうと思っていた。
低気圧の影響で頭が痛くてボーッとしていたし、朝から働き仕事を終えてホームで30-40分立ちっぱなし、それなりに疲れもあり座席に座ることへの抵抗感はなかった。
電車が発車し、次の駅でお年寄りの女性のうち1人が降りていった。
座席は、その駅から乗ってきた乗客でほとんど埋まり、もう1人の女性が立ったままだった。
私の割と近い距離に。
このあとこの電車に私は30分乗る。ましてや運休の影響で、いつもより速度が遅いので、おそらく30分ではすまない。
頭が痛い、疲れている、ホームで散々電車を待ってガラガラだった車内の座席に座ったのだ。優先席でもないし、別に何も問題ない。
寧ろ、お疲れ様!まあまあお座りなさいなと言った感じ。
だが、どうする?近くにいるお年寄りの女性。見て見ぬ振りをするのか?と、何度も自分が問いかけてくる。
私の右斜め前の座席が空いているが、この女性が気付く前にサラリーマンが座り、埋まった。
少し遠くの優先席はまだ空いているので、このまま座って一駅やり過ごした。
新たな乗客が増え、優先席も埋まった。
女性はまだ近くにいる。
もう、これ以上見て見ぬ振りするのも辛いので重たい体を持ち上げ、どうぞと譲った。
運休のせいで快速から各駅停車に変わったこの電車、まだ私の最寄駅まで10駅ほどある。
その後、女性は2駅で降りて、その駅から新たに乗ってきた若者がその座席に座った。
私の心の中にこんなドラマがあったことを、誰も知らない。でもこのドラマ、別に誰も悪くない。
強いて言えば、女性には出来れば優先席付近にお立ちいただきたかったけれど、お年寄りが優先席に座らなければならないルールなんてないし、もっと言えばお年寄りに席を譲ることもルールなわけではない。
ただの良心だ。
良心の上で成り立つ日常がたくさん存在しているのだ。