豆アレルギーでもヨガをする
私にとってヨガは「運動」である。
今ところ、それ以上でも以下でもない。
持論だが、ヨガを実践する人には思想が強い人も多い。
これまた持論だが、日常生活が忙しかったり辛かったりして、ヨガを始めて体を動かすことで、心もスッキリして、マインドがポジティブになり、ヨガに救われたと感じる人がいて、そうするとヨガに少し依存し始めるからではないかと思う。
思考が変わり、好みが変わり、食べたい物が変わり、求める容姿や欲も変わる。
良いか悪いかは本人が決める問題なので、その人がどう変わっていこうが他人がどうこう言うことではない。
ただその変化を主張し、発信することによって他人の目というものが入ってくる。
ビーガン、サステナブル、ロハス、ヘルシー
ヨガを仕事にしている私がよく目にする言葉。
ヨガを実践している私に全く当てはまらない言葉。
豆と果物アレルギーで肉食で、いらないものはすぐ捨てたくなる性格で、休みの日はダラダラと動画ばかり見ていて、食事や添加物に気を使わない。
古着が好きで貧乏性で物持ちがいいのは、もしかするとサステナブルに当てはまるかもしれないが。
別に反発しているわけでも、皮肉で言っているわけでもない。
ただ、ヨガには正解がない、誰にでもできる、自由だ、なんてよく耳にするのに、ヨガで得た自分の変化や思想を発信することでヨガの窓口を狭めているのではないかと感じてしまうのだ。
ビーガンでもサステナブルでもロハスでもヘルシーでもない人でも、ヨガを実践出来ることを私は発信したい。
だから単なる「運動」で、体を動かせば気持ちいい、だだそれだけのことだと主張したい。
(実際は単なる運動ではないってわかってる。だからヨガを何年も続けているし、ヨガで変わる思想や思考ももちろん体感している。)
ビーガンもサステナブルもロハスもヘルシーも私は否定したことはない。
それぞれの価値観で生き方だねと思う程度。
私が過去働いてきたコーヒーショップやカフェにはビーガンの人のために豆乳があった。
でも先日行ったビーガンカフェには牛乳がなかった。豆アレルギーの私はカフェラテは頼めないのだ。
動物とは共存したいのに、豆アレルギー人間とは共存出来ないのかと、これは皮肉だが、思ってしまった。