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ドキュメンタリー八甲田山〜世界最大の山岳遭難事故[DVD] 見ました

「天は我々を見放した。」

ストーリー
1902年1月23日、青森歩兵第五連隊雪中行軍隊210名は、八甲田山麓の田代温泉へと向かった。しかし天候は急変。雪中行軍は迷走、199名もの死者を出す大惨事に見舞われる。
生存者のインタビューを交え、世界の山岳遭難史上最悪、空前の大惨事となった八甲田山雪中行軍遭難事故の真実に迫る

Amazonから転載

 三國連太郎と高倉健が主演の映画「八甲田山」、新田次郎作「八甲田山 死の彷徨」で有名な、八甲田山雪中行軍遭難事故。どちらも一部フィクションであったり、登場人物のキャラ設定を変えることで、分かりやすくしているとか。
 小説の原作となった小笠原孤酒(ジャーナリスト)の取材を元に、7年間をかけて取材、検証をした再現ドキュメンタリーが本作です。

 遭難事故の原因は、簡単に言ってしまえば、隊を率いている者の判断ミスであり、止めるという決断が出来なかったことに尽きるかもしれません。事前準備も足りず雪山に慣れている者が少なかったのも不運でした。そこに、現在で言うところの「100年に一度の台風級の猛烈な寒波」が来襲していたのだから、巡り合わせが悪すぎる。

その判断ミスは、何故おこったのか?

 「その判断ミスは、何故おこったのか?」の検証が、本作のテーマだと思います。解説パートで何度か出てくる「江戸時代が終わってまだ34年。武士の精神が残っていて、勇敢さが優先され、一度決めたら退くことは出来なかった」という言葉。なるほどね、と思いながらも「今も変わってないよね」と思うフシもあります。
 迷走が始まって状況がヤバくなってきた時、土地勘がある人が指揮官に申し入れをする(残念ながら得策ではなく、リングワンダリングで解決に至らず)場面があるのをみると、「上意下達」の硬直化した組織ではなかったのかもしれない。むしろ、副官(大尉)を教育するために「任せてみる」上司で、柔軟な指揮官だったのかもしれないとも感じる。ただ、その副官がまずかった。
「天は我を見放した」は、その副官の言葉で、それに続く「もう一緒の死のうではないか!」で、一気に心の糸が切れバタバタと倒れるシーンが印象的です。
 判断を行う時、情報の量と質よりも、その人のパーソナリティが左右することを、あらためて感じましたね。

極端な悪天候だけが理由ではないという事実

 本当に映画の脚本のようだと思うのは、同じタイミングで八甲田山を走破した隊があったという事実です。弘前を出発して十和田湖を迂回して八甲田を越えて、11日間をかけて青森に到着した第三十一連隊の存在が、青森の第五連隊との差を際立たせてくれています。「天が見放した」と言うよりも、「気力体力が、天を上回れる」という思いに負けたのでしょう。
 そういえば、生き残りの中でも士官クラスは凍傷が軽度で、手足の切断が免れたと言うけど、やっぱり靴とか手袋とかの装備の質が違ったりしたのですかね?

 特典ディスクは、自衛隊が現在も行っている「八甲田演習」のリポート、出演者のインタビューなどのメイキング、遭難現場をドラレコで辿る映像、心霊現象の検証など。ドラレコで道を辿ると、傾斜角や標高も感じられて分かりやすいです。

 八甲田山の美しい自然や、出演者絶賛の酸ヶ湯温泉など、心癒される部分もありますので、ご安心ください。
Amazon→https://amzn.asia/d/0597Xum

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