つぶやく。
次の文は、心労に喘ぐ自殺志願者の遺書であります。
彼に欠如しているものはなんでしょうか、一緒に考えてみましょう。
私は、ずいぶんと親不幸な息子でした。
中学受験で築きかけていた高学歴という肩書も、大学受験の惨敗により水疱とした。妥協で入学した大学1年目の去年にまで尾を引き、おざなりにしてしまう始末。見かねた両親は19の私を中学生の頃と同じようにしかりつけ、親のテレワークと大学の春休みのダブルブッキングは、私の友人との交流をも断絶させました。恨みも当然芽生えています。とはいっても、刷り込み続けられた風習に逆らう勇気などありません。私は、中学からの付き合いだった友を刹那的な期間にせよ奪われた形になります。いつだってこうです。昔からそれは変わりません。コントロールしようと叱る母に褒められたくて頑張ってきた結果、父が母の横暴を見て見ぬふりし続けた結果、ついには意思のない木偶人形が育ちました。ろくに夢を見ることもなく、両親の期待を上回ることなく、自ら何かに没頭することもない人生でありました。エリート自衛官の父と、絵にかいたような毒母を演じ続けた母。それらにしっぽを振り続けた愚直な私。比較すれば一番賢く立ち回っていたのは弟だけでした。
母とも距離を置き、父とも距離を置いた弟が一番まともで、長命なのでありましょう。わがままを上手に兄にぶつけ、我慢し続ける父を見ても罪悪感を覚えず、母には頭ごなしに正論をぶつける。彼だけが唯一の正論を宿していました。適度な拙さと、適度なストイックさ、そして適度な逃避行動が彼に備わっている処世術のように思われるのです。もっと早く彼の優秀さに気づいていれば、迷惑をかけることもなかったのですが。申し訳ない限りです。長くなりました。いろいろと脱線しましたが、与えられ、奪われ、辱められ、馬鹿にされ、褒められ、否定され、愛された。私は自分自身が被害者であると認めたい。形として結果に残したい。
何かがわかったあなたは強い人だ。長生きして欲しい。