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[No.94] 伝記の奥深さを堪能する秘術

 徳田虎雄についての評伝が、青木理と山岡淳一郎により書かれたのは、「生命だけは平等だ」というモットーで、彼が挑んだ医療体制の改革に、大きな価値が秘められていたからだ。伝記物が秘める魅力には、その人物の生涯だけでなく、理想を含む思想や感情などの内面と共に、時代背景や政治状況について、如何に描くかが傑作になる条件である。

 奄美群島に生まれた徳田が、離島に病院を作る夢を抱き、医者になることで理想を実現して、日本有数の医療法人を創設し、徳洲会を展開した人生は、不屈の病院王として確かに異例だった。だから、壮絶だった破天荒の生き様は、伝記に描かれる内容を持ち、多くの読者に感銘を与えたし、毀誉褒貶の話題を生んだにしろ、伝記の持つ意味を考える機会にもなった。


 伝記が好まれる理由には、そこに古代感覚への郷愁があり、伝統的なものへの共感と共に、誠実さや挑戦と結ぶ成功に憧れる、人間の生き様を感じることに人が共感を抱くからに違いない。それと共に物語が秘める生々流転の変化に対して、共鳴する波動を持っているために、人はそこに懐かしさを抱き、エンターテーメントにもカタルシスを体験する。

 だが、そこまで深く考えずに大衆は作品に接しており、それが文化を味わう素養として、歴史の中に生きているから、文化に根差す精髄の形で民族の宝としての評価が及ぶのである。学問として最近の成果は、文化人類学の発達により、構造主義に基づく考察のお陰で一般に普及し始めたが、社会意識の底流においてそれは何となく意識され論じられてきた。


 日本人は伝記ものが好きで、子供の頃は偉人伝を読み、青年期には評伝に親しみ、大人になると歴史小説から娯楽小説に移行するので、自ら考える習慣としては子供の方が大人より鋭い傾向がある。戦前の修身の伝統のため日本人は偉人伝や立志伝を好み、人物の偉大さを描いた作品が戦後の日本では多く読まれ、昭和期にベストセラーを量産し司馬遼太郎が国民作家と呼ばれた。


 だが、歴史資料を参照したとはいえ司馬の作品は小説に属し、それ故に多くの読者を獲得したが、背景の歴史は事実に沿っても、人物の人間性は作者の創作で司馬史観の色彩が強く感じ取れる。司馬遼太郎が坂本竜馬に関し嘘を書いているという発言は、伝記作家の小島直記が対談の中で私に向けて喋ったが、対談作家の彼にとって司馬は小説家で伝記作家ではない。


 以下の対談は大杉栄と甘粕正彦に関して書いた記事を読んで、小島さんが雑誌社から住所を聞き、米国に住む私に「東京に来る時に連絡が欲しい。葉山の日影茶屋でお食事でも」という手紙が届き実現したものだ。日影茶屋は大杉栄の常宿で、そこを根城にしていた大杉は愛人の市川房江(ママ。神近市子のことか-山根注)に刺された場所であり、その後関東大震災の時に暗殺されているし、殺したのが憲兵隊の甘粕大尉という話は、戦前の歴史の謎の一つでもある。


(『ニューリーダー』2003.07月号と8月号 『賢者のネジ』に収録)


 この時に小島さんが喋ったことに、記事にしなかった話があり、彼が伝記作家になった動機にある年の芥川賞候補として、彼の作品がノミネートされたが、受賞したのが石原慎太郎だった。それを知った小島さんは、あんな愚劣なエロ話が、文学賞に選ばれるのに呆れ、風俗小説を文学扱いする日本で作家として生きる道を放棄し、伝記と随筆だけを書くことに決めたという。

 現在の日本においては活字の本を読む人が減り、読んでも小説が圧倒的で、劇画からマンガに主流が移っているし、アニメーションの流行をジャパニズムと名付け、日本人は得意になっている。だが、映画やテレビを始めとしてアニメはリニア指向(ママ。リニア思考か-山根注)であり、小説や論文のように途中で休み、考えたり振り返って見ることで、より深いレベルに到達するそんな文化的な仕掛けではなく、エンターテーメントの一種に過ぎない。

 だから悪いと言うのではなく、純文学と大衆小説の間にはかつて厳然とした仕切りが存在し、古典派と通俗派を区分したが、その理由を探ることにより現代が持つ意味について検討したい。そこで少し理屈っぽくなるが、歴史を遡って見ることで、物語や文学の役割に関しその意味を考察するなら、興味深い因果関係が発見でき面白いのではないかと予想する。

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 人類史的に見る限りでは意識の表現形式として、先ず波動としての音声があり、そこで言葉が生まれ記号化し、トークンの形で表現され、文字が生まれた歴史があった。初期は感情の表現として極めて単純な発語だったが、言葉にはリズムがあるし人間が持つ美的感覚としては、宇宙の持つ432Hzに共鳴し、調和を感じる快感に基づき掛け声や歌が先ず誕生した。

 次に耳触りの良い詩的表現として抒情詩的なものが生まれ、それが家族や部族の起源を語る物語として神話に似た形式で語られ、次第に散文化し叙事詩を経て物語から記録的記述の形をとった。それがギルガメッシュ物語だし、インドのヴェーダ神話であり、次第に解説調の形式で論文が生まれたというのが、文字と文章がたどった歴史だった。そして、コミニュケーションの道具として、言葉は文体の持つ規範を崩し、最後は通俗化して記号になったが、古い文体を古典と呼んで、通俗体の現代文と区別するに至っている。

 しかも、表現した人の意識などが、どんな立場や存在かにより、文体が異なってくるのだし、書かれたものの色感(クオリア)について、識別する能力が求められそれを芸能の世界では名人芸と呼ぶ。この領域は奥が深遠で、それに触れた本は希少であるが、世阿弥の『花伝書』を始め芭蕉の俳文集などに精通し、武芸の秘伝書や禅の悟りに近づく能力がないと分からない。


 こうした歴史過程を通して文明と文化が育ったが、時間的な余裕があったお陰で、古代人は自然の法則に従い韻やリズムに忠実だったし、ある時期にはその精緻を競い洗練した貴族文化を育てている。だが、文明の進歩で忙しくなり、時間的なゆとりがなくなると規範が崩れ、乱調になるのはアンモン貝の進化に似て、ニッポニテスのように巻き方が乱れ、詩歌でも近代詩のように定型詩より乱調を個性と捉え、崩れたものをモダニズムと讃えたりする。

 文明は進歩思想と結ぶし、文化は保守主義を尊ぶが、英仏両国の歴史を学んで、性格の違いを理解したことによって、進歩や革新を好む思想に対し、伝統と保守を尊ぶ好みの間に、アナキーとオリガルキーの違いがあると分かった。青年時代の留学の体験は私に貴重な教訓を与え、どちらにも付かない立場で、中庸に位置する生き方が最良の選択だと理解させ、両方に精通するが中には入らず、中立のプロで生きる道を選ばせた。

 それがBystanderであり、それを教えたのがドラッカー博士で、それまではアウトサイダーが自分の立位置だと思って、反権力の江戸っ子精神に最大の敬意を払っていたが、それを部外者の立場にと改めた。これはより高位のレベルに自己の生き様を上昇させ、より人類的で宇宙的なものに、昇華させた境地だと納得したが、そこに辿り着くには六十年以上もの歳月が必要だった。

 そこに至った契機としては、地球上の聖地を遍歴してから、最後にカリフォルニアに至って、砂漠の町に本拠地を構えた上で、世界中を飛び回る合間に時折だがドラッカー博士に会い、薫陶を受けたお陰でもあった。その件に関しては前回に「サマリア人」の物語として、エピソードを紹介しておいたが、座右の書だった彼の自伝であり、同時に評伝の「Adventure of Bystander」は私の人生の指南書でもあった。


 そんな感謝の気持ちをこめて、『【聞き書き】名人芸に挑む』では彼の七回忌を追悼した形で、彼にまつわる対談を冒頭に飾り、第一章の「休憩室」を使いBystanderの謂れについて書いてみた。こんなことに触れた記事は、過去に存在していないので、若い人に喜んで貰えると思い敢えて書いた次第だが、それはまた評伝を読むことに、如何に大きな価値があるかについて、啓発するための試みでもあった。


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 これまで私が上梓してきた七十冊余りの著書の過半は、卓越した体験を持つプロとの対談だし、論文は人物評論を始めとして自伝的な体験談も多く含み、背景としての歴史を書き綴ってきた。伝記は関わりがあった家族、関係者、ライバルなどが、対立、競争、敵対などの関係で、どんな形で付き合ったかと共に、環境としての時代性を始め、その人物の生き様や価値観を描いている。

 しかも、伝記において重要なものは、事実の正確な取材と記述も貴重で、それが小説との違いでそこをきちんと押さえることが、情報の信頼性を担保するのだし、それで歴史的な価値に結び付くことになる。そこまで執筆者の配慮があり洞察が行き届いている時に、伝記は歴史的な価値を評価されるし、失敗や成功のエピソードが読む人の滋養になって、記録の形で残す価値が生まれる。

 伝記の真価は事実の羅列ではなく、生きた時代に照射を当て人物の内面や変化までを描き、単なる一個人ではなく歴史の中で生きた人物が、政治、社会、文化などを相手に、どう関わったか迄を描くことにある。伝記の中の人物や出来事が、広い歴史的文脈の中で位置づけられて、登場する人物の深層心理まで、巧妙に描き上げられるなら、そこにはドラマ性が生まれるのであり、時代精神が生き生きと蘇るのである。

 これが伝記への私の理解であり、これまで多くの伝記を愛読し、伝記作家との対話を通じて学んだ文章の修行法だが、私はフランスに留学したお陰で、より高度な執筆の姿勢について学んだ。それは歴史的「評伝」であり、主人公はもちろん存在するが、背景としての時代を主役にし、主人公を浮かび上がらせながら、批判的にその生き様を捉え、歴史評論に仕上げる手法である。

 右脳優位型の日本人の多くは、女性脳による感受性が強く、虫の鳴き声を右脳で聞き美的な快感を抱くと言われるし、情緒的な感覚に鋭敏なために、人間や生命現象に強い関心を示す。だから、行く川の流れに似て変化する人間への関心が、器としての社会や背景よりもはるかに強い興味の対象になり、伝記も主人公が主役になって、その感情の推移の描写を好む傾向がある。

 だから、日本人の中にそんな作風の著者が多く、感性で売るスタイルで活躍するし、叙事派は抒情派に較べ少数派に属しているが、欧米における伝記作家には、背景や時代性を描くのが得意な達人が多くいる。有名どころの伝記作家にシュテファン・ツヴァイクを始め、サイモン・シンなどが思い当たるが、私は歴史評論としてA.J.P.Taylor教授の名前を上げ、彼の『ヨーロッパ・栄光と凋落』を愛読している。


 また、叙事詩の典型で知られた、ホメロスの作品とされている、『イーリアス』や『オデュッセイア』は、世界に出て知識人を相手に、議論する時には不可欠な基礎的な素養として、読んでおく必読文献に属している。米国で高校に行った娘が、夏休みの必読書ニ十冊として、『オデュッセイア』を読んでおり、大学一年の教養課程でも、再び読まされていたから、児童小説で読んだだけの私にとっては、ギリシア古典の威力に驚いたものだ。


 それと共に『プルターク英雄伝』も読んだことが財産になる、貴重な古典の代表だのに看過されており、最近の日本人で読んだ人は少なく、これが日本の国力の低下に、大きく関係しているのではないかと思う。ローマが共和体制を維持し五百年も続いた理由には、制度と共に優れた人材が存在しそれが社会を機能させ、独裁者の帝国支配を防ぎ安定した社会を形成し、政治制度を維持させる原動力になった。


 『プルターク英雄伝』には、昔からなじみ易い本が少なく、ボリュームも膨大なために、明治時代は良く読まれていたが昭和になって読まれなくなり、日本人には縁遠い本になってしまった。しかも、この問題は実に重要であり、人口の少子化問題と共に看過できない事柄だから、伝記や評伝との関わり合いとして、モンテーニュの『随想録』との関係で、次回に論を進めて行くことにしたい。


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