【No.83】アラブ流の詐欺師・小池百合子と、カモになる日本人
前回の記事に書いたが、『聞き書き名人芸に挑む』という本には、1930年にカイロ大アラビア語科を卒業した外交官の田村秀治との対談があり、「彼の横顔」の抜粋に以下の記事がある。
戦後のNHK番組の「とんち教室」に出た石黒敬七は、1920年代後半のフランスに行き、パリでフランス人に柔道を教え、1930年代初期のカイロでも、警察官に柔道を教えており、それを私は田村さんから聞いていた。しかも、高校生時代の私は日仏学院に学び、読売の特派員だった松尾邦之助から、「フランス新聞購読」の授業を受けたが、松尾と石黒は友人だったから、共同で「パリ週報」を出した昔話を良く聞いた。
こうした若い頃の体験は貴重で、田村大使から聞いた昔話は、アズハリ大学の役割を理解し、カイロ大卒を詐称した小池百合子に、45年も昔にカマをかけた時の話題にも繋がって行く。また、90年も昔のカイロでは、石黒と田村の両名が出合い、武術が日本の外交を側面から、サポートした裏舞台が理解でき、カイロで空手を教えた岡本秀樹が、石油利権絡みで小池勇二郎を知った。
朝堂院大覚を手伝った若き小池百合子が、フィクサーの名手から何を学び、妖怪狸に成長した事情を推察でき、そうした手練手管を身に着け、カイロに出かけた百合子は、アラブ世界での遊泳術をマスターする。カイロで共同生活した人は、同居人の小池がホテルから、食器やテーブルクロスを持ち帰り、自分用に使っていたと証言し、百合子が万引き癖を持ち、それを罪と思わない性癖だと書いている。
大阪は天領で町人の天下で、武士道精神には縁遠く、いい加減なお笑い気分が濃厚だから、無責任な維新の党の牙城になり、漫才師や口説の徒を市長に選び、浪速金融道の町として知られる。だから、「儲かりまっか」が合言葉で、商才にたけた才能が育ち、新自由主義の楽園だから、投資よりも投機が盛んだし、生き馬の目を抜く才気を持つ者が、評価され天下人になる機会も多い。
朝堂院大覚の本名は松浦良右で、大阪の大地主の息子であり、同志社大学で空手を習得し、父親が創立した浪速冷凍を引き継ぎ、ナミレイに育てた事業家だが、反社や闇世界に親しいフィクサーだ。殖産住宅の小佐野賢治、ロッキード事件の児玉誉士夫、イトマン事件の許栄中を始め、山口組絡みの田中清玄など、戦後の裏社会の事件には、フィクサーとしての朝堂院が、いろんな形で姿を見せている。
しかも、戦前の共産党書記長で、獄中で転向し戦後は右翼として、CIAに協力した田中清玄に親しく、子分の四元義隆を通じ,通産相だった中曽根に繋がり、中東の利権にも深く関与し、アラブや中米でも暗躍していた。だから、アラハトやカダフィに親しく、そのコネクションを使い、小池百合子のインタビュー相手に、そうした人脈が登場しても、日本のメディアの情報力では、裏の人脈まで見抜く能力はなかった。
カイロ帰りの小池百合子が、竹村健一の番組でアシスタント役で、テレビ放映後にお茶を入れてくれ、その時に雑談をした私は、彼女にカマをかけて、名門アズハリ大卒ではないかと聞いた話を『アスペの三奇人交遊録』の第二章に書いた。彼女の父親は衆議院選挙に統一教会から出て落選し、借金でカイロに夜逃げをして、朝堂院から金をだして貰い、日本食堂をやっていたが、朝堂院が恩知らずとボヤいたほど、小池一家は詐術の達人だった。
アラブ世界の文化の精緻は、市場(スーク)における話術で、売値を五倍も十倍も吹っ掛け、高値で掴ませる話術は名人芸に属し、それを詐術と言わないのが、アラブ世界の文化であり、騙すより騙される方が悪いとされる。それが数千年の交易文化で、お人善しの日本人はカモになり、良く引っかかって騙されたと叫ぶが、現地ではそれが伝統文化だし、『Oil and Gas Journal』は何度も記事を書き、私もアラブ王族から聞いて、それを『日本不沈の条件』に書いている。
この話には資源派財界人と右翼が、石油公団を動かして試みた、利権漁りの構図が組み込まれており、この話の仲介役に空手の岡村がいて、その使い走りとして小池勇二郎がいた。アラブ世界は石油利権を巡って、魑魅魍魎が横行していたので、石油政治を理解するため以外には、私はアラブ諸国を訪れなかったが、闇商人が暗躍したピークは湾岸戦争の前後の頃だった。
この取引のほんの一端には、使い走りとしての岡本秀樹とか、その手伝い役の小池勇三の影が見え隠れするとはいえ、それはダニに似た存在であり、「ロレンスになれなかった男」として、吹けば飛ぶ森蜃気楼的な亡霊だ。この問題は学歴詐称という、万引きレベルの事件と違い、日本のジャーナリズムでは追い得ない、国際レベルでの詐欺話であり、『文芸春秋』1983年4月号に書いた、『誰も知らない第二の安宅事件』が、”Tale of Domegate”の半世紀前のネタ記事である。