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【No.102】世紀末の"破断界"を振り返る : 日本政治の戦略的分岐点を迎えて
衆議院総選挙が終わって、売国奴の巣窟の自民党が惨敗し、裏金議員の多くが落選したが、反日邪教の統一教会と結び、日本の誇りを叩き売った議員の大掃除は出来なかった。国賊の頭目だった安倍の後を継ぐ、萩生田や高市などは再選され、自民党に無傷なまま復帰しており、今後も売国行為を実行して、日本の誇りや国益を損なう、国賊路線を推進しようと虎視眈々だ。
それにしても、自公体制の崩壊が始まり、四半世紀続いたゾンビ政体が、これから雲散霧消への道に向かう転換点として、2024年10月の時点は、日本の戦後政治のKPI(戦略的分岐点)になる。それは戦後の世界史で、1989年が転換点として、極めて重要な意味を持ったように、目の前で進行中の出来事が、如何に重要であるかを知る、歴史感覚における叡智にも関わっている。
20世紀には世界史上の大事件が二つ起き、一つは社会主義国家群の誕生で、もう一つはその体制の崩壊であり、歴史的実験の新体制か消滅したのが、世紀末に近い1989年だった。年頭に昭和天皇が崩御し昭和が終わり、続いて中国では天安門事件が起き、東中欧の共産圏ではドミノ式に政権が倒れ、ベルリンの壁が崩壊し、次々と歴史的な事件が発生した。
この現代史の破断界に注目して、シンギュラリティとして捉え、そのドキュメンタリーをまとめ上げ、『1989年』の題で新書を出し、世に問うたのが竹内修司である。この優れた啓蒙書を読み、ゲシュタルト的理解のために、そこに湾岸戦争に続いた冷戦構造の終わりを含めば、その序曲に相当していたパームスプリングスの日米サミットが、とても重要だったことが分かる。
この会談での海部首相が無能さを露呈したことで、日本は一兆二千億円の支援金を払い、湾岸戦争に資金面で加担して、ネオコンの侵略路線による、米国の覇権主義に飲み込まれた。それまでは貿易戦争でも、日本の政治家のレベルでは、対米従属が続いていても、官僚の一部に独立心があり、国益への意識が存在し、何となく抵抗したのに、冷戦構造の終わりと共に腑抜けになった。
日米サミットの当日に地元の「Desert Sun」紙が、会談特集記事のトップには私に取材したスペンサー記者が纏めた、「海部の運命は首脳会談次第と専門家が述べる」と題した記名記事を大々的に載せた。米国は地元紙の記事が全米に向け、流れ方式で配信されるから、「NY Times」も「ワシントン Post」の記事を利用するので、地方紙が通信社の役を演じるために、それを読みブッシュは飛び上がったそうだ。
参考までに記事を翻訳すれば次のような内容であり、私の指摘はブッシュにとってかなりの衝撃を与えたらしく、それについての講評は読者の判断に任せるが、反響は確かに大きかったのである。何しろ、主催者役のAnnenbergの記事と写真が、私の記事の下に位置しており、大富豪の面目を潰したらしく、知人たちにそう指摘されたし、理由は次の新聞記事を読めば納得されるはずである。
< 「海部の運命は首脳会談次第と専門家が述べる」
取材記者:テリー・スペンサー パームスプリングス発
”米国のブッシュ大統領が首脳会談で、貿易に関する譲歩を強く求めた場合に、海部俊樹首相の内閣はすぐに崩壊する可能性がある” とパームスプリングス在住の日本人評論家で実業家の藤原肇氏 "Jim" が述べた。
「・・・海部は非常に弱い人物で、圧力に対処するだけの強さと賢さがない」と藤原氏は語り、「首相自身の党内の反対派が、その失策を利用して彼の追放を図るだろう」と付け加えた。「日本政府の状況は非常に複雑で、アメリカ人には理解されていない」と藤原氏。そして、「海部はとても小さな人物で、全く無能だ」とも述べた。
ブッシュと海部は今日と土曜日に、ランチョ・ミラージュのモーニングサイド・クラブで、首脳会談を予定している。52歳の藤原氏は東京生まれで25年前に日本を離れたが、彼は5年間フランスで過ごし、グルノーブル大学で博士号を取得した後カナダへ移住し、十年間住んでから10年前にアメリカへ移った。彼は石油産業の政治や経済に関する20冊の書籍を執筆し、日本の主要な経済報道誌の一つによって、首脳会談のレポートを依頼されていると述べた。
海部は6ヶ月前に自由民主党の総裁に選ばれ、首相として政権を握ったが、この政党は34年間にわたって日本を統治しており、ほとんどの指導者が贈収賄スキャンダルに関与していたことが発覚したばかりである。「・・・海部は党内で目立たない人物であり、スキャンダルに関与していなかったため、党の国会議員団によって首相に選ばれた。しかも。彼が贈収賄に関与していなかった理由は、重要な人物ではなかったからだ」と藤原氏は語る。
だから、贈収賄に関与した政治家たちはブッシュが海部を弱いと見た場合に、彼らを権力に再び就かせようと日本人に説得しようとするだろう。「・・・ブッシュが征服者のように振る舞い、日本を非難する場合には、海部は失脚して政権を去ることになるのは、アメリカを憎む日本の政治家が、ブッシュの態度を利用するためだ。」と藤原氏は述べた。そして、貿易問題で海部を追い込むのではなく、ブッシュは東欧やラテンアメリカを支援するために、協力を求めるべきだと藤原氏は付け加えている。
更に「日本はその地域で貢献できるが、そうした日本の企業や政治家は、金儲けにのみ関心を持っているので、グローバリストのブッシュとアメリカ人に対し、権力を握っている日本人はナショナリストだから、非常に危険なことになるかもしれない」と藤原氏は警告した。」>
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この日米サミットに関して、観察記として纏めた私はロスの『加州毎日』連載し、それを日本の情報誌にも寄稿したが、マルドメの日本の記者で読んだ人は少なかったらしく、まともな反響はほとんどなかった。1989年は重大な年であり、この年に海部内閣が誕生し、翌年春に日米サミットが開かれ、その記録が以下の記事だが、重要性を理解する日本人は少なく、参考までに雑誌記事を転載する。
記事を読めば分かるが外務省も新聞記者も無能で、海部首相の動静に注目し、会談の内容や米政府の意図にほとんど無関心だったから、日本の首相は妄動しただけである。現地の記者に会うために報道センターを訪れたら、八割は日本人の随行記者であり、地元の新聞やテレビを見て海部の動勢の記事を書き、日本に送信している程度だった。
積極的に取材をしていれば、米国側の動きに関し何が起きていたかが分かり、そうした調査をすることで会談に役に立つはずだが、緊張の気配など全くなく旅行のお供に似た雰囲気だった。だが、会談直前のブッシュは、この旅行の機会を利用して、別の工作の手配をしており、それを取材して纏めた私は次の記事を書き上げていた。
この記事で分かるのは、日本人がロンヤス関係と思い込み、誤解していた日米関係に、ニクソンの対中政策が強く影響しかけていたが、それに日本側は気づかずに会談に臨んでいた。インテリジェンス面での手抜かりで、日本政府はサミットという絶好の機会を生かし得ず、日米の首脳の対談のチャンスが参勤交代のレベルだったことを意味した。
「日米緊急サミット」の記事は、ロスの『加州毎日』に連載し、日本では『世界週報』に寄稿したが、内容は『文芸春秋』が最適だのに、寄稿しなかったのは理由がある。このサミットに六週間先立ち、湾岸危機が湾岸戦争になり、イラク軍がクゥエートに攻め入ったが、湾岸戦争が始まる半年前に中東情勢を観察して、私は一連の動きを解析を試みていていた。
最初に纏めた記事の題は「石油を武器にアラブの盟主を狙うサダムフセイン」で、イラククウェートとの間で係争と対立が目立ち、戦火が触発しそうな気配が見えたから、以下のような記事をまとめ、世界情勢の専門誌である時事通信の『世界週報』に寄稿した。
<・・・イラクとクウェートの対立が顕在化して、メディァの注目を集めたのは7月17日(1990)。・・・フセイン大統領はアラブ首長国連邦とクウェートの両政府に対して、非常に激しい口調で非難の演説を行い 協定違反の増産による石油価格の暴落で、イラクが被った損害は140億ドルだと強調・・・イランの脅威からサウジやクウェートを守るために、血を流して戦ったのはイラクであり、しかも、何百億ドルもの戦費を債務にされたと憤る、フセイン大統領やイラク人たちにとっては当然の主張だった。百万人近い死傷者をだして勝利した以上は、報奨手当をもらっても当然であるのに、払い切れないほどの借金の山が残り、しかも、自分たちのものだと信じている石油を盗まれ、それを安売りされたという恨みの気持。・・・係争中の国境地帯の油田で石油のフル生産を行って、クウェートが24億ドル相当の石油を盗み、それを国際市場に流して価格を押し下げたために、イラク経済は大打撃を受けたと非難した。・・・800億ドルの負債を抱えているイラク。・・・>
それに続く幾つかの記事は、プロ向けの政治的な内容で基礎的な素養が必要だが、問題の核心は大切だから分かり易い文体を使って、広く大衆に伝えたい情報だった。だから、「ブッシュも海部も間違っている」は、戦争が始まる前の九月に書いて『文芸春秋』に送り、1990年11月号に掲載されたのに、続いて至急に送った記事は実に奇妙な理由で掲載できないと拒否された。
その理由は「藤原さんには連載を頼んでいないので、続けて出すことは出来ない」であり、こんなバカげた発想は世界で通用しないから、私は専務取締役に国際電話して抗議した。何度か困難な交渉の後で、「例外的に次号に掲載するが、これは特別な扱いだから、今後は二度と規則破りはダメ」と言われ、12月号に辛うじて掲載された次第である。
戦争という緊急事態を前にこんな愚劣なことが起き、余りにも理不尽な発言に呆れ、腹を立てた私は愛想をつかし、これを最後に『文芸春秋』に寄稿するのを中止した。だから、国際石油政治の記事は姿を消し、30年以上も経過しているが、以前にも似た経験をしておリ、田中健五編集長に対し私は絶交状を叩きつけていた。
それは彼が私の記事で気に入らない部分を勝手に削り、時には逆に書き直しズタズタな作品にしたから、腹に据えかねた余り編集長に絶縁宣告をしたのである。神田の生まれの江戸っ子で、「女がするのが売春で、男がするのが売文」だと考え、卑劣な行為をする者に断固と対決するから、私は良く短気だと叱られたが、これには『インテリジェンス戦争の時代』に書いた後日談がある。
<・・・あるとき引退した警察庁のトップとの会話で、文芸春秋の田中編集長と喧嘩して絶交したと言ったら、こんなこともあると教えてくれた話がある。プロ野 球の川島広守コミッショナーは、内調の室長や内閣官房副長官を歴任したが、六 〇年アンポの後にユーゴの一等書記官から戻り、「俺がアンポ騒動の時に日本にいたら、岸首相が辞めるようなぶざまな警備はしなかった」と悔しがっていた。
そして、大使館への出向以外は東京を離れずに、警視庁と警察庁の往復専門で公安を担 当したが、警察庁時代の川島警備局長は、何か問題が起きると「田中を呼べ、田中 に来いと言え」と怒鳴り、そこへ駆けつけるのが取材記者時代の田中健五だったそうだ。
こうして内調ルートで編集者として出世し、「諸君 」の編集長にも就任したのだから、・・・闇のキングでお国のために役に立った点で、それなりに功績を残したと評価しています。かつては保守派のサロン誌だった「文芸春秋」は、政府の広報記事や内調ルートのネタが多いし、国民の宣撫工作用に役に立っていますよ… 。」とその内務官僚OBが苦笑していたのが印象深い。・・・>
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抗議して活字になった『文芸春秋』12月号に、イラク軍のクウェート侵略の背後には、国境に近いルメイダ油田からクウェートが石油を盗み、生産していた話を書いて、それが紛争の原因だと私は解説した。石油や水を無断で盗めば、射殺や紛争の原因になり、映画『アラビアのロレンス』の冒頭で井戸の水を無断で盗み、持ち主に射殺された場面は、実に印象的な光景だったが、似た現象が国境地域で起きたのだ。
<・・・ルメイラ油田はイラク第二の都市バスラから、クウェート国境に南北に延びており、自亜系砂岩に石油が溜まった背斜構造の幅25キロで長さ70キロの油田である。有名なキルクーク油田よりも生産性が高く、イラクの石油輸出のホープであり、イラクの自立の象徴であるとともに、国づくりの基礎として国民の誇りを支えていた。
1968年には136億バレルの埋蔵量で世界の第九位だったこの油田は、1976年には理蔵量が三倍半に増え、クウェート国境に向けて開発が進むことにより、1980年代にはさらに埋蔵量を倍加して、世界第五位の大油田にと発展した。この石油収入を支払い代金に充当して、外国製の最新鋭の機械を購入した。
・・・このルメイラ油田は国境を越えると、クウェート側にも背斜構造が続いており、クウェート石油の鉱区においては、ラトガ油田という名前で呼ばれている。クウエートではラトガ油田を除くと1966年以来大きな油田の発見がなく、石油埋蔵量が毎年減少していたので、政府は石油の長期保存政策を採用して、1970年代は生産制限をしたほどである。ところが、1983年にラトガ油田が発見されると、翌年にはデータ上は埋蔵量が激増しており、AAPG(米国石油地質学協会)の報告は非公式だと断わっているが、それまで670億バレルだったものが、千億バレルに大きく増えている。どこまでがルメイラ油田の延長部かは不明だが、イラクが戦争に全力を上げている間に、クウェート石油の鉱区の開発が進み、石油の生産と販売が大規模に行われ、40本あまりの井戸が掘られている事実からして、盗掘された可能性は大きかった。
石油は流体だから圧力に従って移動し、人間が作った地上の境界線とは無関係に、低圧部に向かって流れる性質を持つ。また、生産に伴って地層からガスが抜けると圧力が減って油田の老化の原因になり、また塩水の割合が増えて油田の枯渇に結びつく。
・・・イラク政府は自分が保有する石油を抜き取られ、その代金を戦費として借金の形で借り受け、国民の血を流して戦争をしたことになり、どう考えても計算に合わないことになるから、バクダッド政府の抗議は非常に強硬だった。・・・国際価格の暴落で受けた損失は140億ドルだから損害賠償を払えと要求した。このようにして、イラク政府がクウェート政府に要求したのが、クウェート侵攻の直前だった事実を思い出すのは、この際非常に重要なことである。
だが、クウェート政府はイラクの要求を拒絶して、逆に、戦時中に融資した膨大な額にのぼる資金のことを持ち出したので、それを聞いたサダムは盗人猛々しいと激高し、待機していた機甲師団に出撃を命じた瞬間に、クウェートの運命は決定してしまった。・・・>
しかも、歴史には似た例が多くあり、風土や文化の違いに基づき、色んな形で対立や抗争が起きていて、その調停のやり方を考え法制度が作られ、実際にそれが運用されているのである。
<・・・アメリカにも石油の盗掘のケースは腐るほどあり、かつては腕力抗争や鉄砲沙汰になったもので、東テキサス油田では殺戮合戦まで起きたが、自分たちで規制する組織を育てることで、アメリカ人は自主的に解決してきたことは、オイルマンなら誰でも知っている。
・・・テキサスには「レイルロド・コミッション」があり、井戸のスペースや生産規模の決定を行うし、カンサスには「コーポレーション・コミッション」があって、石油の生産規模や係争の調停をしたり、エネル ギーに関係する料金の監督とか、環境汚染の防止に努めることで、各種のトラブルを抑え るために寄与してきた。
アメリカの各産油州のこのような機関は、専門知識を持つコミッショナーを選び、彼らの指導力の下に公共の利益を追求して、エネルギー産業の健全な発展のために、貢献してきた歴史を誇っている。
・・・しかし、中東は未だこの段階に至っておらず、遊牧民の伝統と気質のせいもあり、国同士が略奪行為や誤魔化しを繰り返しても、意外なほど大目に見過ごす寛大さがある。だが、ルメイラ油田だけはその対象にはならず、イラク人の民族的な逆鱗に触れたために、クウェートは奈落の底に墜落したが、凡庸な政治家や軍人たちにはこの怒りの心理がよく解読できなかった。
・・・「アラビアの ローレンス」の映画の冒頭に描かれているように、他人の井戸から水を盗めば射殺されても当然なのが、アラブ世界における掟であり、それを戦車師団でやったのがサダム・フセインではないだろうか。昔の農民や漁民と同じように単一収入であり、国庫の収入の九割を石油に依存して、借金までして傭兵役を果たしたら、虎の子のルメイラ油田の石油を抜かれ、しかも、自分の石油が借り方勘定で負債になり、借金の催促を受けたイラクの状況は悲惨だ。それが苦難と誇りの歴史を象徴するルメイラ油田の凌辱だっただけに、イラク人には耐え難かったはずであり、屈辱の怒りはメソポタミア全土に広がった。・・・>
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アラブ世界では平気で嘘をつき、「騙すより騙される方が悪い」が、砂漠地帯での浪花節であり、小池百合子の学歴詐称はその代表例でもあるし、それを商社マンは「レバシリ」と表現する。レバノンとシリアの商人はユダヤ人と同じで、嘘や大言壮語は呼吸と同様の営みであり、善良な日本人は簡単に騙され泣き言をいうケースが多いが、「日本の常識は世界の非常識」でもある。
似たような日本のケースは歴史の中に生きていて、農民が水争いをしたりヤクザが縄張り争いで血を流し、乱闘劇を演じて来たことが歴史としてが記録されている。
<・・・米づくりが唯一の生活の糧だった時代には、水は農民にとって命の次に重要な資源だった。また、漁民が自分たちの漁場を守るために、舟を連ねて漁場荒らしの隣り村を襲撃した話も、昔語りになっているのである。・・・>