【No.99】再炎上!国賊・安倍晋三と高市早苗:そして祖国を裏切らない眼光を持つ報道記者はいるか
[No.97]の最後で、天木大使が受け取った任命書(下)にある天皇の署名が、偽物の免官書(上)には存在せず、国璽が押されていることを示し、公文書偽造について触れた。しかも、ニセ物には製作者の内閣の捺印がなく、印鑑が果たす役割を無視し、偽造文書の正体を露呈して、小泉内閣のペテン師ぶりが、はっきり馬脚を露す代物だった。
しかも、公文書として最高位に属す、天皇の国璽を不正使用して、特命全権大使を罷免したことは、最悪の犯罪行為に属しており、責任者の小泉首相は辞任して当然だ。だが、それを指摘する記者はおらず、犯罪を隠隠するための証拠隠滅に、権力は出版社に圧力を懸け、ベストブックスの編集部を解散させ、本の存在を抹殺したのである。
それはニセ札作りより悪質で、極悪犯罪の生きた見本だが、偽造防止用の隠し文字に埋め込んだ、一万円札の日本銀行の文字に日大銀行とあれば、直ぐニセ札だと発覚する。そんなレベルの小細工だが、日本のメディアは見破れないで、小泉内閣のペテンに騙され、検察当局も犯罪を捜査をせず、狂った権力者の暴政を放置した。
小泉内閣が作った免官状は、天皇の御璽を盗用して、公文書を偽造したものであり、大逆罪に相当する行為だのに、順法精神が乱れていたから、誰も問題視しなかった。だが、こうした暴挙が横行して、暴政が罷り通る時代においては、それを悪用する者による不正行為が続発するのに、それを非とする精神が消え去る。
安倍晋三は首相時代に嘘をまき散らし、数百回も虚言をしたせいで、「嘘は安倍政治の始まり」と形容されたが、それよりも悪質だったのが、小泉政権の欺瞞工作であり、天皇の国璽を悪用し公文書を偽造した。偽造行為が日常茶飯事になり、小泉の腰巾着だった安倍晋三は、公文書の改竄や隠蔽を繰り返し、万引きに等しい嘘をつき続け、反日邪教に自民党を叩き売って、ゾンビ政治で日本を狂わせた。
小泉内閣の郵政選挙の時に、刺客を演じた小池百合子は、幼稚な手口の学歴詐称を使い、カイロ大卒で国民や都民を騙し、防衛大臣や都知事を歴任して、最後は「女帝」に昇り詰め、日本の政界を食い荒らした。彼女の卒業証書に関しては、疑問が山のように存在し、原文では百合子を彼と書き、割り印のスタンプも怪しく、それを現地に詳しい記者が、U-Tubeで疑義を呈している。
前半の記事の中では、卒業証書が大学にあるので、卒業は確かだと断定するが、偽札を鑑識する場合に、紙やインクの質を調べ、隠し文字の形や模様に関し、徹底的に本物かについて、科学的な検証まで検証する。ニセ札は物の存在ではなく、実体の質や役割までも、含めて検証するのであり、その点でカイロでの取材には、中途半端な断定が多すぎ、現場の取材としては甘すぎる。
それに続く続編では、現場の取材で出会った、カイロ大卒の第一号に関し、得意になり喋っているが、1930年に卒業した田村秀治さんと、私は1980年に雑誌で対談している。『【聞き書き】名人芸に挑む』に、その記事は収録したが、田村大使はエジプトで総領事や、駐サウジ大使を歴任した人で、戦前も多くの日本人がカイロ大に学び、卒業した話を聞いている。
カイロ大よりも格が高い、アズハリ大には戦前から、陸軍の参謀本部の逸材が、送りこまれ学んだ歴史は、西域経営の戦略に基づく、ムスレム対策の一環だが、遠近法が歴史を語る上で必要だ。最近の日本のメディアが、表面的で底が浅いのは、プロの修行で未熟なのに、肩書でコメンテータとして、浅薄な意見を喋り散らし、権威面をしているためで、このトラップに嵌らないことだ。
発言者の山田敏弘の背景を調べたら、彼はネヴァタ大でジャーナリズムを修め、ロイター通信やニューズウィークの記者として、活躍した経歴を誇る国際記者だった。しかも、情報問題に精通する山田記者は、『サイバー戦争の今』を始め、『CIA・スパイ養成官 キヨ・ヤマダの対日工作』の著書を持ち、U-Tubeのスパイチャネルで、自ら精力的に情報発信をしている。
彼の情報感覚を知るために、彼が作った番組を見たが、数百本も映像があったので、数日を費やしたとはいえ、それなりの価値を秘めており、学ぶべき多くの情報に富んでいた。また、「Lineはやっぱりやばい」の内容は、情報として少し古いけれども、知るに値する価値を持ち、彼の問題意識は愚鈍な日本人に、惰眠から覚醒する必要性を教えている。
日本に報道記者は沢山いるが、特派員レベルの者が多く、自らの調査と判断力よりも、多くは二次情報の切り貼りで、受け売りだと直ぐ分かり、実力不足だと簡単に露見してしまう。だが、国際レベルの記者もいて、数は少ないが活躍中であり、神保哲生や豊島晋作と並び、そこに山田敏弘も名を連ね、更なる洞察の円熟を期待できるが、NLP法に基づく診断では、祖国を裏切らない眼光が読める。
しかも、人脈や知識の豊かさでは、日本の記者の水準を超えて、多彩な内容を誇っているのに、脇の甘さで無責任な断定もあり、その一例がトルコ風呂の場合で、詰めでの検証不足が散見する。それはトルコ風呂の改称が、小池百合子の功績としたU-Tube発言であり、実はトルコ大使館の書記官とイスラエルのジャーナリストの努力で、ソープランドに変えたのに、それを小池の手柄と誤報している。
これを暴露したアィシャーさんは、白百合や日大芸術科に学び、中東で長い活動をした日本女性であり、ベリーダンサーとして活躍し、現地事情に精通している上に、インタビューの中で告発した。これはRRBジャーナルが、「カイロ大学が小池百合子の卒業を否定していた!?」と題して公開し、現地の一次情報だけに生々しく、現場での情報の価値を伝える。
別の情報の報告者の黒木亮は、アラビア語を学んだ作家で、カイロのアメリカン大学大学院中東研究科を卒業し、アラブ問題のプロの責務として、複数回の現地取材を含む調査で徹底研究した。その結果、小池がカイロ大学の卒業要件を満たさないし、卒業した証拠の片鱗もなく、それをJ.B.pressの電子版に、「小池百合子カイロ大卒の真偽」と題し、連載記事の形で公表している。
一連の現地調査と推察では、日本がエジプトにODAで経済援助しているが、その背後に小池一家が控え、日本の税金をばら撒くのに、関係していた可能性が高い。なにしろ、詐欺師の小池勇次郎は、中曽根康弘と親しかったし、秘密警察のハーテムが娘の百合子の面倒を見て、パパと呼ばれていたそうで、そのコネクションは実に怪しい。
しかも、エジプトに対して行った、資金援助は膨大な額であり、ODAの他にカイロ大に向けても、都民の税金を使う形で、巨大な資金が注ぎ込まれ、それに小池百合子が関与していた。そうなると小池の存在は、エジプト政府やカイロ大にとり、非常に貴重な金づるとして、全力を上げて守るべきもので、アラブ世界における義理と人情が、横行するのは当たり前である。
ここまで書いた段階で、自民党の総裁選挙があり、無能極まる小泉進次郎が、人気で最有力と言われたのに、石破茂が二位の高市早苗を制し、日本の次期首相として選ばれた。だが、決選投票の前段階で、メディア上で奇妙なことが起き、高市を賞賛する提灯記事が氾濫し、極右タカ派の高市早苗が、予備選挙で一位という珍事が発生した。
予備選挙のシステムは、党員票が半数を占めるので、統一教会員が会費を納めて、自民党員になるならば、それで高市を決戦に進め、最終戦に挑ます事態が可能になる。それくらいの作戦は、危機感を募らせた統一教会なら、簡単にやってのける工作に属すし、資金的にも人材的にも至って簡単な手口であり、第二次安倍政権の誕生に実行済みで、軍事政権時代の韓国では常套手段だった。
だから、高市の総裁推薦人には、統一教会系の議員が15人で、ほぼ同数の裏金議員が名前を連ね、彼女を予備選でトップにし、その影響力を誇示したのだった。それが意味することは、統一教会との結びつきや裏金議員に向けて行う、公認排除の措置に対し、胆識のない石破を威嚇して、妨害し断念させる点に狙いがあった。
だから、首相になった途端に石破は、総ての約束を葬り去り、疑惑議員の追及を中止すると共に、公認することに転換して、比例選挙で救う手口で、党利党略に終始したのである。これは選挙前の約束が、ペテンだったことを示し、そうして総裁になった後で、首相に横滑りした石破は、国民を平気で裏切って、権力を握った茶花劇の正体である。
そこまで腐った自民党は、国賊の安倍晋三が首相として、反日の邪教の利益のために、自民党議員の大半が国を売り、国民の利益を損なった時から、それを糾弾されなかった状況が続く。1970年代の末期頃に、ロスに遊学していた安倍晋三が、KCIAの朴東宣の世話になり、統一教会の影響を受けていて、それを私が取材していた頃の話は、『ゾンビ政治とポンジ経済の劇場』に、次のように報告されている。
私がロスで取材していた頃は、記者の多くは未だ生れず、俊英の山田敏弘も幼稚園児だったし、半世紀近くの歳月が流れ、私の記述の裏どりをして、彼が時の話題を賑わしている。それを知るのは愉快だし、統一教会による収奪や、亡国に至る日本の悲惨な運命が、安倍三代の売国行為により、成り立っていた事実に関し、国民が気づかずにいるために、救い難いと言うしかない。
ビスマルクが言ったように、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」が、歴史は他者のストリーであるし、「歴史は現在と過去との対話」で、そこに現在と未来を示す、貴重な洞察と教訓を含んでいる。そこには繰り返す振動が、フラクタル構造を持って、波形を作ることが読み取れ、長期波動ほどゲシュタルトで、ことの本質を表示し、全体像に迫る役目を演じている。
だが、人間は身近なものに注目し、.刻一刻の変化に振り回され、Current topicsを追いかけ、背景が持つ意味を忘れて、動機や原因を探ることよりも、結果としての現象にこだわりがちだ。そして、過ぎ去ったことは忘れ、目先の現象に関心を集めて、思想的な近視眼になり、花や枝ぶりだけに注目し、木や森を見る視野を失ってしまう。
この民族的な近視眼は、権力者には好都合であり、その巧妙な活用によって、日本の政治は支配力を維持し、保守とは異質の伝統主義が、統治形態として続いて来た。この悪癖を打破するには、多様な意見をぶつけ合い、対話や議論をする必要があり、古代ギリシアのアゴラが、現代では議会の形で生まれ、民主社会に発展したのが現近代史だ。
それに対峙する体制が,寡頭政や独裁支配であり、近い過去の体験としては、ファシズムや共産主義の形で、暴政を振るった歴史を綴って、暴虐の爪痕を残したのである。それに似た状況として、小泉から安倍による政権が、暴政で政治を食い荒らしたので、それをゾンビ体制と名付け、私は数冊の証言録を書き、その極めつきが安倍の国葬だった。
『国賊を国葬した国』を書き、私は故国に向けて発信し、世論の喚起を試みているが、その反応は極めて脆弱で、本澤二郎記者のコメントに、注目が集まった程度だった。『東京タイムス』の元政治部長で、木更津に隠棲した彼は、孤軍奮闘でブログ発信を続けているが、その記事が『阿修羅』に転載され、国賊問題の導火線になった。
だが、日本の大手メディアは、問題提起する勇気がなく、村上議員の国賊発言の時に、袋叩きする側に立って、政府の太鼓持ちをしただけで、安倍の国賊行為には沈黙した。そして、石破内閣の誕生により、村上誠一郎が抜擢され、総務大臣に就任した途端に、石破叩きの口実に使われ、国賊問題は復活したが、安倍の売国行為には触れなかった。
それにしてもこの問題は、一国の政治が反日邪教に乗っ取られ、政権与党が売国行為に終始し、食い荒らされた状態で、滅亡しかけているのに、手をこまねいていたのだ。こんな無惨な政治状況は、世界史を見ても珍しく、何とも酷い腰抜け振りだが、それに立ち向かう声は弱いし、「汨羅の淵」に身を投げた、屈原の名を知る人も僅かだ。
しかも、この発言をした佐藤章記者は、射殺事件の直後の段階で、国賊と指摘する勇気を持つ、数少ない日本人記者であり、久しく国賊発言を控えていたが、ここに来て元気を取り戻した。しかも、最近のX(旧Twitter)に彼が書き込んだコメントには、以下のような発言が光を放って輝いており、閉塞感に支配されている、今の日本には得難い励みの声だった。