[No.96]自民党総裁選 小泉進次郎の父・日本を壊した小泉純一郎の巨悪犯罪 : 藤原肇氏から山根治氏への公開メール
貴公開メール - (137)で、最高裁での判決が出て、大兄への社会的抹殺が決まり、日本の司法制度のデタラメさが、明白に実証されたことは、実に残念至極だと痛感する。1999年のクーデタ後は政府を清和会が乗っ取り、戦前回帰を推進したので、21世紀になってからの政治がナチス化し、小泉と安倍が独裁者として長期の反動路線を維持してきた。
私のコメント・メールを整理し、大兄がリストを作ったお蔭で、それを読み直す機会に恵まれ、最近の自民党が酷いゾンビ政治を続け、日本を亡国に導いたかを改めて痛感した。私は記憶力がないから、過去に発表した記事をどこに書いたか分からず、探し出せないことが多く不便をかこっていたので、大兄のリストに助けられゾンビ政治の酷さを再確認できた。
私が人脈に恵まれた秘密は記憶力がゼロに近いお陰で、それが絶大な威力を発揮したが、それは中学生の頃の体験談として、『旅路と切手を巡る不思議な世界』の第二章に次の記述がある。一種の小説風の回顧録だから、私が弦一郎や彼で描かれているが、こんな奇妙な反抗心の背後には、母親の記憶力の良さに対し劣等感を抱いた結果だと思う。
古典を愛読したせいで、ギリシアやローマの歴史を読み、共和制を倒したのが帝政だったし、民主的な自治を潰して、暴君や絶対君主に民衆が抑圧されたのが近代史だった。だから、私は歴史が得意だったのに、人名や年号の暗記が嫌いであり、特に王様の名前にアレルギー反応を持ったので、ストーリーは良く憶えても、名前や年号が欠落しがちだった。
<・・・中学校に入った頃までは、普通以上の記憶力を持ち、彼は良くできる生徒だったし、生徒会の委員に選ばれ、元気に活躍する中学生として、クラスでも人気者の一人だった。だが、どんな時か分からないが、家族で記憶力を競った時に、彼は母親にいつも負け続け、幾ら頑張っても勝てないので、悔しい思いに支配されて、勝利するための作戦を考えた。
母親の幸子の記憶力は電話番号と人名の場合だと、200以上も覚えているので、幾ら弦一郎が頑張っても、勝つことは不可能であり、学童の抵抗期でもあったから、彼は別のやり方を思いついた。母の父親は「小倉百人一首」の名人で、負けを知らないことで名高く、そんな家庭で育った母の幸子は、『新古今和歌集』を暗誦してしまい、故郷の町のコンテストに出て、何度も優勝している娘だった。
田舎の女学校を卒業して、東京に出て工業大学に勤め、日本語のタイピストになり、指で記憶力を鍛えていたから、幾ら弦一郎が挑んでも勝てなかった。そこで苦肉の策として彼が案出した奥の手は、ものを覚えないという奇策で、本に傍線や書き込みはするが、内容は記憶しないやり方で、一年以上も本の濫読を続けてみた。
するとこの習慣が定着して、本を読んでも直ぐ忘れ、本を読み終えた時点でも、何を読んだか覚えておらず、スキャンした状態であり、指を動かすと記憶が湧き上がるが、それが知識の源泉だった。ただ、指を動かさないとダメで、枯れた泉に似た状態に支配され、途方に暮れた表情になり、無口で人付き合いが悪いから、孤独を好み変人扱いされた。
長男のこの性格を危惧して、両親は心療内科に連れて行き、医者の診察を受けたのだが、第二反抗期の子供なら良く示す症状に属すので、好きなことをさせろとの診断だった。五十年後の今の医学ならば、多動性障害(ADHD)と名づけて、病理症状だと診断を下し心理療法の対象になるが、そんなタイプの現象だから病院に通う必用はなかった。・・・>
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大兄のリストのお陰というか、幾ら探しても見つからず、諦めていた「コメント・メール-(43)」を再読でき、その中に皇統筋の舎人が色んな人に紹介してくれ、東京での人脈が広がった記事を見つけた。神田の錦町の法曹会ビルの朝堂院大覚の事務所に、舎人が私を連れて行った話は、朝堂院は留守で会う機会はなかったが、室内には鎧兜や刀剣が飾ってあって、うさん臭かった日を蘇えらせた。
それは21世紀の冒頭であり、その当時の舎人との対話が『皇室の秘密を食い荒らしたゾンビ政体』の記事で、聞き書きを録音して書き出し、歴史の証言として纏め上げた。この本に続くものとして、出版の順序は逆とはいえ、『小泉純一郎と日本の病理』があり、ベストセラーだったのに、出版弾圧で姿を消しているが、小泉の暴政の実態に関しては、これ以上の事件は存在しない。
ここに出てくる皇統の舎人は、一般大衆には未知の人物で、謎に包まれた日本人に属し、一部の人だけが存在を知るが、落合莞爾の情報源であり、彼の著書についての解説に登場する。「NOTE」ブログの『白頭狸』は、落合莞爾の公開ブログだが、その162回目には私と共に舎人の名が登場し、その辺の事情が分かるので、参考までにそれを以下に転載する。
落合莞爾(白頭狸)が『金融ワンワールド』を発表してから間もなく十二年になります。同著の執筆にあたっては二十年来の知人から多大の示唆を頂きました。
当時の白頭狸が、その知人が五十年にわたって高松宮宣仁親王に仕えた國體舎人であることなぞ知る由もなく、ただ二十年来の交遊を重ねるにつれ、その人が狸のいまだ知らぬ日本社会の奥底と近現代史の秘亊に通じていることが、だんだん判ってきたので交遊を深めてきたのです。
平成八年から、有名な洋画家佐伯祐三を調査することになった白頭狸は、佐伯祐三のパトロンであった陸軍特務吉薗周蔵が、元帥上原勇作の特務(諜報員)であったこと、また「大杉栄殺害犯」として知られる憲兵大尉甘粕正彦が、上原の秘密の女婿であったことを知ったのです。
折しも旧知のジャーナリスト藤原肇さんの推薦で月刊情報誌『ニューリーダー』に「吉薗周蔵手記」の解説を連載し始めたところ、なぜか一面識のないジャーナリスト藤原作弥さんの推薦によって、『「天才画家」佐伯祐三真贋事件の真相』を時事通信社から出版することになりました。
藤原作弥さんは、その後すぐに「日銀副総裁」に就いたのに仰天した狸が、さらに驚いたのは藤原さんが前日銀総裁三重野康の親友ということです。三重野さんといえば、白頭狸が『平成大暴落の真相』を自費までして非難した相手ではないか。憎まれることは覚悟していた三重野さんが間接的にせよ、なぜこのような支援をしてくださるのか?
そういえば経済企画庁で机を並べて以来の友人塩谷隆栄くん(のち経済企画次官・NÌRA総裁)が、たまたま同級生が三重野総裁の秘書役だったので、『平成大暴落の真相』を届けて総裁の一覧を請うたところ、快く受け入れられたとのことで、三重野総裁の読後感が白頭狸に送られてきたのに驚いたことがあります。しかも「確かに拝見した。だが三重野が国際金融に無智で、金融界だけ贔屓して産業界に理解がないというのは誤解、と落合さんに伝えてくれ」と具体的に触れられたとのことに、さらに驚きました。
もう一つ驚いたのは、日銀の子会社ともいうべき「東京短資株式会社」から為替売買を主業とする子会社の役員就任を要請されたことです。
訳の分からぬままこれに応じた白頭狸は一年在籍して俸給を得ましたが、何が原因でこうなったのかさっぱり判らず、例の舎人に話したところ、「正田巌の先生(白頭狸)に対する気持なのかなあ?」との答えでますます判らず、そのままにいたしました。・・・>
この記事を一瞥して、意味の分かる日本人は、ほとんどいないはずだし、内調のスタッフの中にも皆無であり、それほど現在の日本政府が、インテリジェンス能力で、劣悪であるかを証明している。
地頭が滅茶苦茶に悪く、政治家になる資質もない、小泉進次郎が総裁候補の筆頭だから、自民党がいかに無能で、救いようのない連中の集団かが、誰の目にも明白である。ここに出てくる藤原作弥は、コメントメール92に書いた、日比谷の記者クラブで国際石油政治がテーマの講演会と記者会見を準備した、時事通信社の佐藤喜久夫元ワシントン支局長の部下だ。
彼は経済部の金融担当記者で、大森山王の佐藤邸での集まりに、参加していた関係で親しくなって、よく日比谷公園の飯野ビルで会い、ランチを食べていた仲間だが、彼がある時に肝炎で聖母病院に入院した。そして、病室で知り合い書いたと『聖母病院の友達』という本を送ってくれ、暫くして『李香蘭の半生』という山口淑子との共著が届き、不思議なことだと首を傾げたものだった。
彼は仙台の第一高校卒で、井上ひさしの後輩として、文学にも精通していたし、外語のフランス語科の出身だから、親しく付き合っていたのだが、ある日突然に日銀副総裁になり、びっくり仰天してしまった。日銀担当の経済記者が、理事を通り越して副総裁とは、まったく予想外の事態であり、監視し批判する立場から、権力の中枢に上り詰めたのは、いったい何故かと頭を傾けた。
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後で落合と話題にした時に、三重野総裁と李香蘭と並べば、満州から引き揚げた藤原作弥は、大連人脈だと納得したが、自民党や大蔵省関係に、アヘン利権が結ぶ関係が理解できた。岸信介を始めにして、賀屋興宣、福田赳夫、大平正芳は、満州や北支でアヘンを扱い、戦後は大蔵官僚として出世し、自民党の重鎮として君臨してきた。
また、正田巌は日銀の元監事で、美智子上皇后の兄だが、日銀が昼の銀行業務を行うのに対し、ニューヨーク時間に合わせ、夜の業務を担当する月銀の担当だと、どこかの本に書いた覚えがある。この情報の発信元は舎人で、渋沢寿一は渋沢栄一のひ孫だし、月と日の対照は面白く、流石は農政学者だと思ったが、舎人との対談のこの本は、読めば読むほど味わい深い。
落合が触れたこの国体舎人は、1990年代の冒頭に接近し、私と色んな議論をしただけでなく、国内の極秘の動きに関し、読者として教えてくれた、有力な情報筋に属す人物だ。私に歴史を書かせようと知恵を付けたが、途中でその意図が分かり、万世一系という虚構を始め、南北朝の煩雑さに対し、嫌気をさしていると見抜き、彼は私から落合に狙いを改めた。
私は万世一系を疑って、皇統は継体天皇で途絶し、歴史の虚構を見抜いたが、落合は欠史八代を書き換え、神話と歴史を結合させており、皇国史観を信じ切っていた。しかも、彼自身が歴史書を好み、驚異的な記憶力と共に、系図作りが得意だったから、舎人の期待を満たしたから、せっせとヒントを提供して、落合を太安万侶に育て上げた。
だから、選択は正解だったのであり、有職故実に精通しているし、該博で細部の検討に熱心な落合は、私より遥かに適任だから、彼はその期待に応えて、十数冊の大著を纏め上げている。彼の記憶力は絶大だし、自らが南朝の末裔に属して、家系の検証に結びついているから、仕事には熱が入るので、出来栄えは見事であり、落合史観を完成させたのである。
しかも、野村證券でやった仕事は、画期的な投機事業で、独創性は画期的であり、彼の発想を模倣して成功した詐欺通には、桐蔭高校の後輩の竹中や、野村時代の部下の北尾吉孝もいた。彼らは小泉時代に活躍し、一世を風靡していた上に、新自由主義の経済理論で、バブル紳士として勇名を馳せ、金儲けの達人として、事業欲の強い経営者に仰がれていた。
二十数年前の旧聞だけど、父親の純一郎が首相になり、その時に三井物産の総支配人から、「わが社で係長級の人物が首相とは」と嘆息するのを聞き、その話は『【聞き書き】名人芸に挑む』に書いた。しかも、強姦事件を起こした純一郎が、松沢病院に収監されていて、精神異常を疑われた男が、「自民党を壊す」と絶叫して首相になり、日本の社会を破壊したのだ。
小泉が人気で首相になり、竹中平蔵を総務相に起用し、日本の資産をハゲタカに売り渡すため、郵政民営化を強行した時に、刺客の役を果たしたのが、代議士だった小池百合子である。小池百合子のペテン振りは、安倍晋三の無能さ加減と共に、『さらば暴政』に書いたので、詳細はそちらに譲って、ここでは小泉の犯罪に関し、振り返って見ることにする。
小泉の売国行為については、落ちぶれた日本の現状から、誰でもが知っている事実で、それを現場の観察記として、『小泉純一郎と日本の病理』と『皇室の秘密を食い荒らしたゾンビ政体』の二冊に、証言録として残している。詳細はそれらの本に譲るが、小泉がいわくつきの人物で、政治家として問題があり、素行が取り沙汰されたことは、多くの証言が存在するし、眉をしかめるものが多く、前述の二著に共通する内容を含む。
このビデオを書き出したブログも、一般に広く拡散しており、周知の事実に属しているが、小泉が松沢病院に収容され、精神病と診断された話は、『月刊・日本』の南丘喜八郎主幹から聞いた。彼は私の本に啓発され、興奮し病院で調査をしたら、警察に拘束され臭い飯を数日も食べたと喋り、拙著が彼に奇妙な体験をさせたと、笑いながら喋った日が偲ばれるが、それを傍証するビデオがある。
それ以上に酷い話があり、イラク派兵に反対して、天木直人駐レバノン大使が、首相に熟考を進言した時に、大使を免官させられたが、その罷免状を小泉内閣が偽造し、とんでもない犯罪を犯した。それは天皇の署名なしで、国璽の印鑑を押してあり、しかも、内閣の印鑑が押されておらず、簡単に偽造が見破られる、実にお粗末な公文書偽造だった。