理解者がいてくれること
「どうして、〇〇さんの良さがみんなわかってくれないんだろう?」
放課後に学年主任から突然こんなことを言われた。校内の他の先生から僕のやっていることに対して不安?不満?とにかくネガティブなことを言われたらしい。
原因を考えてみるといくつか思い浮かぶ。常に班の形で授業を行っていること。算数は単元な自由進路学習にしていること。校内でこれをしている人は僕1人だけだ。
僕としてはコロナ禍以前も取り組んでいたことだから、この2つに関しては取り立てて新しい挑戦ではない。ただ少数派だということ。それに対して不安がられたり、抵抗感を持たれたりするのは仕方ないのかなとも思った。
さらに話を聞いていくと、学年でしっかり話し合って決めたことも、僕が勝手にやっていることに巻き込まれているのではないかと思われているらしい。そのことに対して憤りを感じていた。確かにそれは僕としても不服である。外から見た印象だけで、勝手に解釈していることについてはどうなんだろうなぁと思ってしまう。
ただネガティブな話はどうでもよくて、主任が僕のために憤ってくれていたことがただ単に嬉しかった。
僕の行動や立ち振る舞いは周りにマイナスな印象与えてしまうことが多々ある。(ここはしっかりと反省しなくてはいけない点だと自分自身でも考えている。)しかし、そんな中でも学年を組んだ先生が僕の良さをわかってほしいと憤っている事は単純に嬉しいし、さらにそれを共感してくれる他の先生もいる。自分を理解してくれる方がいると言う事はとても励みになる。振り返ってみれば、いつの時代も周りにそういう人がいて支えられてきた気がする。
今は支えられるだけではなく、理解してくれる人たちのことも理解したいし、支えたい。
職場・自治体でもその輪を少しずつ広げていくことで、きっと何かが変わっているのではないか。そんな展望を持って、これからも前と進んでいきたいと思える出来事だった。
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