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中動態とコミュニティ

 学習サークルLAFTで学んでいる「中動態」
 初めて聞いた時には、何がなんだかわからない概念だったが、ようやくどんなものなのか掴みかけているような気がしています。
 それは新たに生み出したり、つくりだしたりするものではなく、今までも近くにあったもののような気がしています。
 学校の中で、子どもたちが集まり、何か活動をしている時にはきっとそこらじゅうにあるもので、それを僕らが意図時に見ようとしていたのかどうかというもののような気がしています。
 「中動態」というメガネをかけてみることで、子どもたちの「いいこと思いついた」という瞬間を見た時に、その要因を考えることができます。

 この間「作家の時間」で、題名を何にしようか迷った結果、「題名どうしよう」というテーマで文章を書き出した女の子がいました。書き進めていたので、どんな感じで進んでいるのか、話を聞きにいくと
「テーマは決まったんだけど、この先どうしたらいいかなぁ」
と行き詰まっていました。そして、隣の友だちと僕との3人でどうしようかと考えている中で、隣の子が
「なんかこの文章詩みたいだね。」
とポツリといった瞬間に、その子が
「いいこと思いついた!」
と満面の笑みを浮かべながら言いました。彼女はどちらかと言えば、おとなしいタイプの子だったので、その様子に僕はびっくりしてしましましたが、その嬉しそうな表情で僕の方が嬉しくなってしまいました。その後、その子はあえてカタカナを使ったり、繰り返しの技法を使ったりして、自分が題名を何にしようか迷っていた心情を表した詩を書き上げることができました。
 このエピソードで、彼女が思いついたきっかけは友だちのポツリとした一言です。このポツリとした一言をつい出せるかどうかは、クラスというコミュニティの状態に関わってくると思います。
 安心して、自分が思いついたことを出せるかどうか。
 今、流行りの言葉で言えば「心理的安全性」があるかどうかで、この詩が生まれたかどうかが決まったということです。
 つい発してしまうポツリとした一言から、周りのポジティブな反応をもらい、試行錯誤することができる事が、一人ひとりの成長につながるように感じました。
 これが、何かを言ったら叩かれるような文化がそのコミュニティに出来上がってしまっていたらどうでしょうか。折角、一人一人の中に生まれた成長の種が外に出る事なく消えてしまうことになってしまうのではないでしょうか。
 つまり、中動態という状態が起こりやすい環境にするためには、クラスの中に心理的安全性が担保されている必要があるという事です。
 これは、僕が今年度の初めに感じた「いいクラスはなぜつくらなくてはならないのか?」という問いにもつながっているように思えます。
一人ひとりが安心できる環境をつくることが、一人ひとりの「いい事思いついた!」が表出してくるために必要なのではないかと思いました。

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