猫に煮卵
母のところの猫が卵の味を覚えたのだという。私が子供の頃から、田舎の実家にはしばしば野良猫が入り浸り、そのまま押しかけ猫として居座ってしまう者が少なくなかったが、当時子猫であった彼女(そう、雌である)もその中の一匹である。
母が様々な事情により我々の住む盆地から離れて引っ越しを決めたとき、同居者として選ばれたのはどの人間でもなく、その猫ただ一匹であった。引っ越しの事情とは、父と再婚して年を経るにつれ、母が父や我々兄弟や祖父など、義理の家族とのそれぞれの関係性に苦しみ、家庭内での所在に耐えがたくなったということや、その人間関係に対する嫌悪から発して、我が実家の閉鎖的なムラ的生活から、生まれ育った霊峰の傍で暮らしたいという願望に向かわせたといったことが、その要素を構成していた。母は激しい性格で、決めたらすぐに動くタイプであった。しかし父と母は離婚はせず、父が母の家に通うという形で、老夫婦となった現在もそんな暮らしを続けている。
母に連れられてから十数年が経過し、子猫だったその猫は、今やそれなりのおばあちゃん猫となった。この猫はたいへん頭がよく、人語を解する。そして、この猫は、私がしばしば電話越しあるいは直接対面にて、自説たる「武家の道徳」を信条とする激情家である母から厳しく叱責されていたことを知っているし、時にはそれをとりなすように電話の向こうなどでにゃあにゃあと鳴いて激昂する母親に働きかけてくれたこともある。私が母の家に立ち寄った際、たいがいの人間を嫌うこの猫は、私の寂寥や心の貧しさのようなものに同情しているのか、私がその頭や腹を撫でることを許し、少しだけ心を開いてくれている。
そんな猫がここ最近、しばらく体調の悪化が目立つようになった。老いた猫であるから残された命が気がかりである。心配した母が試しにおでんの卵の黄身を与えてみたところ、にゃおんと一声吼えて満腔の喜びを表したという。身体はたちまち活気を取り戻し、夜も目を爛々と輝かせて歩き回り、まるで寝てくれない。卵の栄養価というのはそれほどに優れているものらしい。それ以来実家の猫は、たとえ大根を煮込んでいるときであっても、出汁の臭いを嗅ぎつけると、卵を似ているに違いないと認識して、早く卵の黄身をよこせと鳴き声で催促するとのことである。おでんを作っていないのにわざわざ卵を一緒に煮込んでやらなければならない、老いた自分に頼るなんてまったく手の焼ける婆猫だと言って、電話越しに母はからからと嬉しそうに笑った。