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蝉は鳴いているか

 気温が上がり続けて真夏の熱線が身を焦がしている。もうとっくに暑さの盛りなのに、何かが足りていないと思えば、それは蝉の声であった。文京区小石川の寓居近辺では蝉がまるで存在感を示していなかったのだ。彼らもとうとう暑さに敗け、生態を変えて活動期を涼しい秋にずらしたのだろうかと思わされるほどに、蝉の叫びがなかった。実際、蝉というのは暑さに強いわけでもないらしい。とはいえまだ7月のことなので、これからの短い時期に集中して現れるのかもしれないと思っていたところ、今日街に出て今年初めて蝉の合唱を聞いた。なんのことはない。引きこもっていたのは蝉ならず、自分の方だったというだけなのかもしれない。彼らはなにも変わっていないで彼らの生を全うするだけなのだ。

 昔のメモをなんとなく見てみると、昨年だか一昨年だかの秋に、こんな自作の詩めいた感慨を書いていた。

 9月はじめの残り蝉が、たった一匹で、早朝から精一杯に鳴いている。彼のパートナーは、もはや現れないかもしれない。時折諦めそうになりながらも、一縷の望みを託し、本能に押されるがまま懸命に鳴くその声は、美しくはないが、胸を打つ。わたしは睡眠を妨げられても、応援しなければいけない気分になる。わたしもその蝉のようであり、そのくせ、そこまでは真剣に生きていないから。

 こんなものを思いついてはメモしていて、あとになってどうしようもなくつまらなく思えて、多くのものはそのまま放置して死蔵されてしまう。それこそ成虫になれない蝉のごとく、地下に埋もれてしまう。この内容もたしか投稿するつもりでやめてしまったと記憶する。もしかしたらつぶやきで投稿したかもしれない。それはどちらでも良いのだが、この記述によれば、例年9月にもなればさすがに蝉はほとんどいなくなることがわかる。

 ところで私のメモにはパートナーうんぬんと書いているが、蝉が鳴くのは、求婚してパートナーを見つけるためだと決めつけていいものだろうか。

 戦前の昆虫についての研究随筆である松村松年『面白き虫界の教材』(昭和3年)には、40ページにわたって蝉の記述があり、その中でファーブルの著作から引用して以下のように書かれている。地の文と引用が明確に区別されていないのでわかりにくいが、下の引用に「自分」とあるのはファーブルのことである。

その奏楽は抑も異性に対する情緒の表現であらうか。否、自分は決してさうとは思はないのである。雌が雄の近くに居つても何等お構ひなしに鳴唧めいそくする。自分は又雌がその雄の八釜しく合奏する楽隊の中に飛び込むのを見たこともない。而して、その結婚の前奏は、視覚丈で充分なのである。それが為には蟬の眼がなかなか能く発達してゐる。

松村松年『面白き虫界の教材』

 蝉は音声に対する感知性が乏しく、鈍感なのだとファーブルは疑っていた。試みに大砲を二挺準備して、多数の蝉の鳴くそばで撃ってみたが、それに対しても何らの変化を生ぜず、飛び去るものがいなかったことを根拠として、ファーブルはその仮説を確信した。それでは、蝉はいったい何のためにあれだけの大きな音で自己を主張するのか。ファーブルによるとそれは声を出すこと自体に喜びを感じているのだという。なんとも寓話的な結論を出すのである。
 しかし、この説を引用した松村自身がファーブル説を否定しており、また現在においてネットで得られる情報によれば、実際蝉にきちんと聴覚があることも実証されているとのこと。大砲の音は蝉に感知できない音域だから聞こえないのであり、彼らが鳴くのも結局は求愛行動すなわちオスがメスを呼ぶためということが定説に落ち着いているようだ。この点、ファーブルの結論は拙速であったといえようか。
 だからといって、蝉が求愛ではない鳴動行為を行わないという証明は可能であろうか。歌うこと自体が好きだという蝉がいてもおかしくない。大砲までぶっ放して「やっぱり蝉の聴覚ってのは鈍いんだぜ」とドヤ顔で誤謬するファーブルに肩入れしたくなる。ファーブル『昆虫記』が今なお読まれるゆえんも、こういった筆者の勘違いさえ押し切ってしまうほどの人間的魅力によるのではないかと思ってしまう。

 戦前の作家である相馬泰三の童話「蝉の言葉」は、蝉の声に一切の恋愛的要素を持ち込んでいない。あるとき二匹の蝉が明日の天気が晴れか雨かで論争を始める。そこへ第三の蝉が仲裁に入り、第四、第五の蝉というふうに論争の輪が広がる。そのうちに意味のない大声で威嚇すること自体が主流になり、「今では、蝉の世界では叫びがあるだけで、言葉といふものはありません」という結びの一節になる。
 なんとも示唆的な童話でどうしても「全体主義」という言葉を思い起こしてしまう物語だが(「大正デモクラシー」真っ只中の1923年に書かれている!)、それは一旦置くとしても、蝉の声に愛の言葉どころか、意味がないことに風刺が込められた事例だ。

 『面白き虫界の教材』は、「蝉」という漢字の起源について、大きな二つの眼があることに由来すると推測している。これは旧字の「蟬」で見るとその意味がわかる。すなわち象形的に見て、口が蝉の大きな目を表し、中央の田が背中を、十は腹部と羽を意味しているというのがその意見だ。実際はつくりの部分は「先端が両股になっている弾き弓」の象形らしく、弾くようなその音声が漢字の由来になっているようだが、個人的には無邪気な松村説がより趣深く、面白く感じる。そうして見ると旧字の蟬はなんとも愛らしい文字に見える。また、セミという音韻の起源が、言語学的には背見または背美であるとされており、いずれにせよ背面が特徴的なところにあるようだ。下のようにパーツを増やして並べてみると確かにセミっぽく見えなくもない。

口 口
虫田田田虫
虫虫田田田田虫虫
虫虫 田田田 虫虫
虫   田田   虫

 あるいは文字の意味から考えても、「単独でいる虫」というイメージが蝉には案外しっくりくる。大量に樹木に群がって大音量で鳴いていても、彼らは単独者として行動し、協力しての巣作りや食糧調達はしない。皆それぞれの短い生命を生き尽くすことに全力を注ぐ。

 さらに新字と旧字の違いを調べていると、興味深い記事に突き当たった。新字の「蝉」は人名に使うことができないが、旧字「蟬」は人名用漢字として認められているということらしい。つまり蝉丸はダメだが蟬丸は人名として成り立つ。蟬丸氏は試験で名前を書くとき「蝉丸」と省略することができず、役所などで蝉丸と書かれてしまった場合、その表記は誤りだと主張せねばならない。なんとも罪作りな漢字であるが、偶然とはいえ「蟬」こそが正当にセミを示す文字だと認められているような気分にもなる。


 本記事を作成しようと思って参照した彫刻家・詩人の高村光太郎による「蝉の美と造型」は蝉への愛に溢れ、表現も卓越したエッセイである。趣味の文章散歩でこうした名随筆に出会えるのは実に嬉しい。

 高村は、蝉の美しさを彫刻の契機になりうるものとしている。トンボがすぐれた造形美を持つにもかかわらず彫刻には不向きであるのに対し、セミはその形態の中に彫刻的なものを備えていると説く。そして、その彫刻的契機はどこにあるかといえば、全体のまとまりにあるという。

部分は複雑であるが、それが二枚の大きな翅によって統一され、しかも頭の両端の複眼の突出と胸部との関係が脆弱でなく、胸部が甲冑のように堅固で、殊に中胸背部の末端にある皺襞の意匠が面白い彫刻的の形態と肉合いとを持ち、裏の腹部がうまく翅の中に納まり、六本の肢もあまり長くはなく、前肢には強い腕があり、口吻が又実に比例よく体の中央に針を垂れ、総体に単純化し易く、面に無駄が出ない。

高村光太郎「蝉の美と造型」

 これに続けて蝉の造形美について滔々と語られるのであるが、高村は鳴き声についても、以下のように語る。

鳴き終ると忽ちぱっと飛び立って、慌ててそこらの物にぶつかりながら場所をかえるや否や、寸暇も無いというように直ぐ又鳴きはじめる、あの一心不乱な恋のよびかけには同情せずにいられない。よびかける事に夢中になっていて呼びかける目的を忘れてしまったのではないかと思うほど鳴く事に憑かれている。実際私はセミが配偶者を得たところを見た事が無い。

高村光太郎「蝉の美と造型」

 ここで「よびかける事に夢中になっていて呼びかける目的を忘れてしまったのではないか」というのは、どことなく先に引用した相馬泰三の童話「蝉には意味のない叫びだけがある」という結語に通じるものがある。先にこの童話が全体主義の暗喩であると述べたが、蝉自身の主観に寄っていくと、別の見方もできそうだ。誰かに届けたい呼びかけ(あるいは言葉)がいつまでも誰にも届かず、やがて虚しく響く意味なき叫びになる。しかし彼らはそれでも叫びを上げ続けなければいけない。そのうちに祈りの叫びが無心の叫びとなり、叫びは祈りと同化して、ある種の祈りの境地に至ったということであったかもしれない。そして、やがてそれは詩の遺伝子となって、子々孫々の蝉たちに伝えられるものかもしれない。
 また、末尾の「配偶者を得たところを見た事が無い」は、先に引用したファーブルの「雌がその雄の八釜しく合奏する楽隊の中に飛び込むのを見たこともない」という感想に似たものを感じて面白い。これもまた、蝉の声が異性を誘因するという目的を超えて、声を出すこと自体が目的となっているというファンタジーを残してくれる。


 田舎に住んでいた頃も、上京してからも、蝉は変わらず身近な昆虫だった。身近すぎるがゆえに、子供の時分は価値がないと思ってそれほど熱心に採集しなかった。カブトムシやクワガタが捕まりそうになってなお悠々と構えているのに対して、僅かな危機を感じただけでバタバタと羽を震わせてじいじいと暴れまくる、ちょっと面倒でがさつな虫という印象さえあった。しかし、そうであってもなぜか蝉はノスタルジーを喚起する存在である。夏になると懐かしくなって求めるのは、少年時代にあれだけ夢中に求めたカブトムシよりも、クワガタよりも、蝉であるように思う。そんな蝉がどこにもいなくなるとすれば、やはり寂しい。

 今年もやっと自分の耳で蝉の声を聞けたこともあって、すぐそこに迫った8月は「蝉頃」というにふさわしい。

  蝉頃
いづことしなく
しいいとせみの啼きけり
はや蝉頃となりしか
せみの子をとらへむとして
熱き夏の砂地をふみし子は
けふ いづこにありや
なつのあはれに
いのちみじかく
みやこの街の遠くより
空と屋根とのあなたより
しいいとせみのなきけり

室生犀星『抒情小曲集』より

 今年と同じ蝉には、来年は出会えない。例年同じような蝉の合唱に聞こえても、それぞれは過去とは違うユニゾンなのである。酷暑のみぎり、実は暑さに弱い蝉たちのことにて、夏が終わるまでに、彼らの生命の焦がすような燃焼を、そして祈りと叫びを、少しでも目と耳に焼き付けたいと願う。





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