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河童になる

 きゅうりを生でぼりぼりかじりながら芥川龍之介の『河童』を読み流し、そのあと中島敦の『悟浄出世』、同『悟浄歎異』とだらだら読み進んでいるうちに、皮膚が緑色になって(もっとも、芥川先生によれば河童の色は必ずしも緑とは限らず周囲の色と同化するらしいが)、指と指の間が狭まって水かきができてきた気分になる。
 これはしまった、メタモルフォーゼかと思ってうっかり頭頂部を撫でると、そこにはなんと乾いた「皿」が!おっと、それは人間として自然の経年劣化というものだった。先日いつもの美容室にて、疎遠になる一方の頭髪と頭皮の関係性についての切実な将来の不安を漏らすと、いやまだそこまでではないでしょと担当の美容師氏は言ってくれたが、これ果たしてセールストークや否や、真実は何処にかあらん。

 ときどき河童という存在が身近に感じられて、こんなつまらない冗談を言いたくなることがある。突然変異して自分の本来持っている性質に近い人間以外の動物(?)になるとしたら、自分の場合それは河童なのかもしれない。理由を挙げれば以下のとおり。夜中に好んできゅうりを齧っている。きゅうりには栄養がないとバカにされると少しムッとする。身体がひょろひょろで長細く見える(実際は長くもない)。頭頂部はやや危険水域に入っている(これには先ほどのとおり擁護する声もあり)。背中に甲羅を背負ったように肩が重い(四十肩)。集中すると口がとんがる、肌がウェットだ、口が軽い、悩み深い、目が見えにくい、腹を下す、等々…??

 ところで芥川龍之介の『河童』は柳田国男の『山島民譚集』にある河童譚を元ネタにして書かれたということを、柳田自身が芥川から聞いたと述べている。(柳田国男『故郷七十年』)
 このことから柳田は芥川を「弟子」と冗談めかして呼んでいるが、彼にはもう一人河童の弟子がいて、それは泉鏡花であるという。さらに、画家の小川芋銭(うせん)はまったく独自の河童研究をしていて、柳田と文通していたが、とうとう両者は会わず仕舞いだった。実際芋銭の河童への愛着は本物で、「河童の芋銭」と異名をつけられるほどに河童の作品を多く残していることが知られる。

 小川芋銭はその名の通り芋が大好きで、芋を食う銭くらいは稼げればよいというのが名前の由来だという。芋のみならず、人をも食っている人物だ。幸徳秋水と親しかった(『平民新聞』の挿絵も描いていたらしい)ために警察からマークされ、ある時大量の荷物を背負って夜に歩いていたところ、爆弾かと疑われて調べを受けたが、実は大量の芋だったために呆れられたという逸話をどこかで読んだ。(筆者はきゅうりも好きだが芋も好きだから、これが本当だとすれば芋銭には同情を禁じ得ない。)

 河童に戻ろう。もっとも語りたいのは物思う河童についてである。すなわち冒頭に書いた中島敦の「わが西遊記」シリーズ、『悟浄出世』・『悟浄歎異』の主人公たる沙悟浄である。この悟浄は必ずしも河童という言葉で表現されていない妖怪だが、いつも自己に悩んでいて、深い懐疑の底に沈んでいる。大河の底に暮らし、青年・童子のような純粋な悩みを抱えているのだから、河童の絵面を想像しても差支えあるまい。
 『悟浄出世』は、筆者が中島敦作品のうちでも最も好きなもののひとつだ。悟浄が自分への疑いを解決するために旅をする放浪譚であり、様々な妖怪の師の教えを受けても結局自己への懐疑が晴らせない悟浄は最後に、「爾(なんじ)は観想によって救わるべくもないがゆえに、これよりのちは、一切の思念を棄て、ただただ身を働かすことによってみずからを救おうと心がけるがよい」と観世音菩薩の啓示を受ける。そのあとの悟浄の得心、すなわち「そういうことが起こりそうな者に、そういうことが起こり、そういうことが起こりそうなときに、そういうことが起こるんだな。」というフレーズは、いつか自分が「そういう者」で、「そういうこと」が起こるのだと、若き悩める心を癒してくれたものだった。そして悟浄は、三蔵法師に出会って人間となるとともに、「ただ信じて疑わざる者」である孫悟空から学びを得ながら、新たな遍歴の旅に出る。三蔵法師一行との旅は続編の『悟浄歎異』で語られる。

 さて、あまり物思いに耽っても、頭の皿が堅くなりそうなので、そろそろ河童の国から帰ってこようか。明日から通勤の電車の中でこんな気分にならなければいいけれども。

僕は河童の国から帰ってきた後、しばらくは我々人間の皮膚の匂いに閉口しました。我々人間に比べれば、河童は実に清潔なものです。のみならず我々人間の頭は河童ばかり見ていた僕にはいかにも気味の悪いものに見えました。
――芥川龍之介『河童』

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