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時間を追い、時間に追われる

 師走ともなれば、その名のとおり普段の忙しさが倍増し、いつも時間に追い立てられている。やがて行動が思考に追いつかなくなり、身体の空回りが始まる。そうして気持ちと身体とのちぐはぐな違和感にぐるぐる混乱していると、時間に追い立てられていたはずが、いつしか時間を追いかけようとしているような気になる。我と時間との立場がすっかり逆転している。このような時間との際限ない追いかけっこを始めたのはいつからだったっけ。

 ふと見れば、身体のやけにぐにゃぐにゃした韋駄天が、はるか前方を駆けていく。もちろん顔は見えない。そいつに置いて行かれたらおしまいだとばかりに、一生懸命に食い下がろうとする。

 その顔のない韋駄天が、急にスピードを落としてこちらを振り向くと、その顔は時計の文字盤になっている。その文字盤には12のところが欠けている。そして長針と短針をヒゲのように振り乱しながら、こう喚くのである。
「お前は俺を時間だと思ったのか。そう呼ぶこともできるだろう。」
「そうであればお前は俺の前に出ることはできないな。人間がいったん運命の線に沿って走り出すと、一秒後の自分はもうこの場所にはいない。いや、たとえ歩いたり走ったりしていないとしても、完全に同じ位置取りをしていることはあり得ねえんだ。だから永遠に追いつくことはない。」

 そう言うと、時間だと思っていたその韋駄天は、今度は突然四つん這いになった。かつてネット界隈でよく見かけたorzのような文字を思い起こさせるわかりやすい項垂れた形だった。それからぐにゃぐにゃの脚が魚網のように広がって蜘蛛みたいになり、そう思っているうちに直立してV字バランスのような態勢で直立した。
「お前は俺を時間ではなく後悔だと思ったのか。そう呼ぶこともできるだろう。」
「いずれにせよ、お前は俺の前に出ることはできないな。後悔ってのは、一秒後の自分が一秒前の自分を必死で捕まえようとしている光景なんだよな。他人から見れば滑稽なもんだ。お前に俺は捕まえられっこないんだ。お前さんがいつもしているのは、そういうことだ。俺はお前であって、お前ではない。お前がこうありたいと思って仕方ないお前だ、そしてどうやってもなれないお前なんだよ。俺は今年お前の後悔だったものだが、同時に来年に予定される後悔でもある。そしてお前に悔いがある限り永遠に残されるものだ。」

 次に、その韋駄天は再びぐにゃぐにゃと身体をくねらせて、しなしなと見目麗しい女性のシルエットを描き出した。
「お前は俺を時間ではなく欲望だと思ったのか。そう呼ぶこともできるだろう。」
「そうであればお前は俺の前に出ることはできないな。欲望というのは、いつまでも追い付けない理想像を具現化したものだからな。お前はいつまでも指をくわえて獲得できないものを眺めているだけなのだよ。俺はお前であって、お前ではない。お前さんが欲しいと思って仕方ないお前だ、そしてどうやっても得られないお前の心なんだよ。」

 今度は、その韋駄天は再び身体を揺さぶったかと思うと、筋骨隆々のたくましい偉丈夫のシルエットになった。妙なことには肉体だけではない、脳のあたりも異様に大きくなっているようだ。
「お前は俺を時間ではなく目標だと思ったのか。そう呼ぶこともできるだろう。」
「そうであればお前は俺の前に出ることはできないな。目標というのは、いつも年始に立てられるものだが一度も実現されたためしがない。お前ときたら、なんでも欲しがる割には、いつになってもどれほどチャンスがあっても、途中でやめてしまうからな。俺はお前であって、お前ではない。お前がこうありたいと思って仕方ないお前だ、そしてどうやってもなれないお前なんだよ。」

 やれやれと思った。そういえば去年もそうだった。今年であり来年でもある時間の具象化された鬼みたいな神様みたいなものが、ご丁寧に年末のご挨拶にいらっしゃって、毒舌を吐いてお帰りになるのだ。時間というのはよほど暇を持て余して退屈しているものらしい。ああそうしてまた一年が経つ。
 





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