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2025年2月観た映画・ドラマまとめ、追悼ジーン・ハックマン +おまけ



2025年2月観た映画、ドラマ

配信で
2/3 グランド・ブタペスト・ホテル
2/5 犬ヶ島
2/9 アステロイド・シティ
2/10 ブルーベルベット
2/14 2001年宇宙の旅
2/15 時計仕掛けのオレンジ
2/22 道
2/22 A.I.
2/23 broken rage
2/24 犬が島(再)
2/24 2001年宇宙の旅(再)
2/28 ラ・ラ・ランド

映画館で
2/1 機動戦士Gundam GQuuuuuuX
2/15 キャプテン・アメリカ ブレイブ・ニュー・ワールド

ウェス・アンダーソン作品を立て続けに観て、久々にキューブリック観たいな―と思って「2001年」と「時計仕掛け」を観ました。キューブリックってもはやミュージカルですね。英国風の皮肉なミュージカル。と捉えるのがしっくりくるような。
「2001年」も勿論超大作なのですが、むしろニーチェとかワーグナーとかSFとかを、ちょっとだけ小バカにしてない?という意匠が感じられて良かったです。なーんかちょっとシニカルな笑いの要素が入っている気がするんですよね。ほんのちょっとだけ。「時計仕掛け」でそれが爆発しますけどね。

ウェス・アンダーソン作品は、やっぱり時折見返したくなりますね。引っかかるんだよなあ。新作も今年やるみたいだしね。

「A.I.」は、スピルバーグ作品の中でも異質の出来だと思います。
これ、キューブリックの冷徹さを、スピルバーグのヒューマニズムで甘く甘くシュガーコーティングしてしまった、的に昔批評されていたように思いますが、しかしなんというか、その砂糖が過剰に甘すぎて、しかも所々に塩の塊がゴリっと入っていて、
「あれ?スピルバーグさん、甘い甘いお菓子を提供しているように見せかけて、観客の血管詰まらせようとしてる?」と、背筋がゾゾッとしてしまうような映画でした。異形の傑作。

ジークアクスは、とうとう地上波放映日決まったみたいですが、
んー、途中でついていけなくなりそうだなあ。。。まあ最初だけは見ると思う。。。

キャプテンアメリカは、がんばれMCUって感じですね。。。サンダーボルツとファンタスティック4は面白そう。
でも、なんだかんだでDCUのほうが今盛り上がりそうになっちゃってますね。新スーパーマンは楽しみです。


追悼 ジーン・ハックマン

もう95歳だから大往生とはいえ、死因がちょっと不穏ですね。。

ジーン・ハックマンと言えば、もうめちゃめちゃいい映画出まくってますが。。やっぱり一番の代表作は「フレンチ・コネクション」なのかなと思いますが、
自分は「許されざる者」ですかね。「ロイヤル・テネンバウム」も好きでしたが。
「許されざる者」の、矛盾を抱えた、カッコ書きの "正義の" 保安官役が、もう最高なんですよ。
クソ野郎なので最後はイーストウッドにぶっ殺されますが。(とネタバレ)

note書くようになってから、映画をただ観まくるだけじゃなくて反芻してなんとか感想をひねり出しながら観るようになりましたが、
映画って矛盾した複雑な人物を複雑なまま受け入れるっていう芸術だなあとつくづく思います。人物、物語の矛盾をそのまま飲み込む。
だから言葉に出来ないんです!言葉が出てこない。しかし世界の手触りがイメージとして掴めるようになる。という感じ。
観れば観るほど、「そうだよねえ。。。確かに世の中とはそういうもんだよねえ。。。」としか言えなくなる。

で、「世界とは矛盾と複雑さのカタマリである」ということを延々描いているのが、クリント・イーストウッドという監督であり、その最高傑作が「許されざる者」なので、ああ、これは3月に観よう!と思ったのでありました。


おまけ 師匠は押井守

押井守は作る映画も面白いですが(ここ10数年ははっきり言って不調と言っていいと思うが)話す内容、書くもの、もめっぽう面白いです。というか、めちゃくちゃ勉強になります。

「うおお、その通りだ!師匠!」と思った発言。

押井 だから「全部見る」というのがいかに大事かということ。カンフー映画が流行った頃は、カンフー映画を死ぬほど見たんだから。いつも言っているように「愚作駄作を回避するな」と。傑作だの名作だの言われている物だけ見て「映画を分かった」気になるなってことだよね。少なくとも、ジャンル映画と言われるものには、快感原則と言われるモノの秘密が必ずある。マカロニウエスタンだろうが、カンフー映画だろうが、任侠映画もそうだし、ヤクザ映画も、実録も。それでいてヤクザ映画と実録映画の快感原則は明確に異なるんだよ。そして観客は無意識にそれを嗅ぎ分けてしまう。だからこそブームになる。それは作っている側も明確に意識化して映画を撮っているわけではない。だからいろいろ探る。いろいろバリエーションを試す。ジャンルを試す。実はアニメーションはそれしかやってこなかった。メカモノ、魔女っ子モノというように、アニメーションで「ジャンルじゃない」モノがあるのかという話だよ。アニメーションはそれ自体がジャンルなんだよ。だからこそいろんなバリエーションが試されて、僕に言わせれば「本質が見えてくる」。

押井 だから映画も「パターンを極めること」がどれだけ重要かということになる。数をこなすことで自分のなかでタグ付けができるようになるからね。データベースというのは、最近の流行りでいえばビッグデータだけど、ほとんどがクズなんだよ。情報としては「使えない情報」。でもクズがあって初めて検索するという行為が成立する。いい物だけ残して、あと全部消えちゃったらデータにはならない。データというものは母数が絶対だから。それは映画の体験も同じ。クズを山ほど見ること以外に映画の本質に近づく方法なんかないんだ。だから映画の教養主義ってのは、まあ、読書だろうが映画だろうがあらゆる分野でそうなんだけど、俺に言わせればたわごとだよ。パターンを尽くさないことには「本質に近づけない」。そのためには「人の体験を自分の体験にしない限りはデータベース足り得ない」。他人の体験をも自分の体験として取り込む。しかし全部他人の体験ではダメ。それだと単なるウィキペディアになってしまう。自分の体験の裏付けがない母数は母数ではない。

押井守の「トーキングヘッド」という映画は、
映画の名を借りた、押井守の映画論文。というとんでもない映画なので、機会があったら是非観てみてください。

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