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年中休業うつらうつら日記(2024年12月14日~12月20日)
24年12月14日
保育園ママ友忘年会。
ママ友5人と我々夫婦、それから嬉しいことに幼なじみのKくんと、Rくんに至っては子供2人と奥さんも一緒、家族4人で来てくれた。(Rくん母も参加していたので、R家は3世代がそろったことになる)
息子もコントライブ出演のため30分ほど遅れたが、参加することができた。
いつも一緒だったJくんが用事があって欠席だったのだけが残念だ。
4人の男子は保育園からのつきあいで、特に年長さん、保母さんから「年長さん半ばぐらいになると、他の子のおうちに行きたがるようになりますよ」と言われていた頃になると、まるで「秋には柿がなりますよ」と言われたかのようにぴったりその時期に、息子が突然「どようび、MくんちでJくんとはなびをするんだって。ぼくもいきたい」と言い出した。
保育園なのでお母さんたちは皆忙しく、その中でも臥せりがちでお迎えの時間も一番遅かった私は、他のママたちとほとんど話をしたことがなかった。
朝はせいうちくんが送っていてくれたが、たいていのうちは同様にパパが送ってきていて、男たちはまた「イクメン」以前の時代だったせいか、何やら恥ずかしげに「や、どうも」「ご苦労さまです」と頭を下げ合うぐらいしか交流がなかったそうだし、たとえママが送ってきていてもやはり多忙な朝のことで、あまり話す機会はなかったと言っていた。
ほとんど話したことのないJくんママに電話をかけ、図々しくも息子も花火に入れてやってくれないかと頼むと、Jくんママはなんでもないことのように、「いいですよ!Jくん送っていく時に一緒に連れて行きますから。そちらに寄りますよ!帰りも送ります!」と請け合ってくれた。
そうして、息子はMくんちでJくんと3人、午後中楽しく花火をし、おやつまで食べさせてもらって帰って来た。
その日から、どうしても週末ずっと子供の相手をしているのも大変なおうちばかりなので、いつの間にか「回り持ち」のようにJくん、Mくんを中心に、Rくん、Kくん、時にはそれ以外の男の子たちがどこかの家で週末を過ごすようになった。
「お昼は、簡単なものをそこの家でいただく」「それぞれおやつを1種類持ってきてみんなで分け合う」「16時頃にそれぞれのママが迎えに行く」というような暗黙の了解ができ、うちにもお友達が来るようになった。
みんな同じ近所の小学校に上がって、おうちの都合で隣駅に引っ越したMくんだけは次第に間遠になってしまったが、それでも数か月に1度は来てくれて、そうすると保育園時代そのままの関係があっという間に甦るようだった。
特に、かなり何でもいきなりな性格のJくんと意外に頑固な息子の間に立って、Mくんが一生懸命仲介役を務めていたのが忘れられない。
トランプなどで、負けると一気にモチベーションが下がって「もうやめる!」と言うJくんに、勝つまでやめたがらない息子が怒り泣きを始めると、Mくんが辛抱強く、
「息子くん、僕には勝ったじゃない。僕が一番ビリだよ。息子くんは勝ってるよ」となだめてくれる光景をよく目にした。
ふすまを閉めて隣の部屋で寝ていようと、
「困ったことがあったらおばちゃんに声かけてね」と言ったら、Jくんから大真面目に、
「おばさん、おしりのあながかゆいんですけど」と言われたのが最大の困惑だった。
それは自分で何とかしてもらいたい、と言うしかなかった。
小学校では放課後(これ、方言だって、ホント?)、保育園の代わりに「学童保育」というものに通い、これは保育園時代よりはるかに親の参加が求められたので、たまに私も顔を出したが、メインにはせいうちくんが行ってくれた。
パパ参加率は非常に高く、また、夜の20時から始まる保護者会や役員決めなどの効率が実に良くて、2階で子供たちが床が抜けるほど騒いで遊んでいる間に何でも手早くさっさと決まっていた。
その頃には私もずいぶんママたちに仲良くしてもらい、息子をプールや映画に連れて行ってもらうなど、助けられることが多くなっていた。
特に今でも息子が「大親友」と呼ぶJくんとはなんでも一緒にやっていて、子供相撲の大会に出たりボーイスカウトの下のカブスカウトに入団したりした。
一度、学童保育所でJくんと息子が大ゲンカをし、悪口雑言を吐いたJくんに怒った息子がお砂場スコップでJくんの肩をたたいたのに対してJくんが「おいおい、Jくん、それはちょっと大きすぎるよ」と思った、とのちにJくんママが語るほどの石をつかんで投げつけた。
息子はちょっとだけケガをし、先生からの丁寧な説明と謝罪とともに帰ってきて、Jくんママからもすぐにお詫びの電話がかかってきた。
もちろん先に手を出した息子が悪いので全然気にしないで、と言うと、Jくんママはほっとしたように、
「相手がよく知ってる息子くんでよかったー!」と言ってくれた。
私は対人関係の距離感が取りにくい、はっきり言って鈍いので、普通だったらママ友づきあいでずいぶん苦労をしただろうと思う。
でも、保育園から始まった交友関係のおかげでほとんど何も苦にすることなく過ごせたし、息子にも大勢の友達ができた。
「永遠のライバル」と呼ばれたRくんが中学入学頃に千葉に引っ越してしまったのは残念だったが、年に1度うちで開いていた「お泊まり会」にはRくんも先述のMくんも来てくれて、JくんKくんとその年頃としては最高に親密な仲間として時間を過ごしていた。
うちは、私がつきっきりでいられなくて別室で寝ているのをのぞけば子供たちが大勢来ても平気だったので、小・中時代は放課後や週末には玄関先が「くもんの塾」でもやっているかのような様相を呈していた。
ビデオを観るとかゲームをするとか遊びもだんだん変化していき、子供たちだけで遊べるようになったのも大きかったかな。
あまり画面の前に座りっぱなしにならないよう、1回ぐらいは「みんな、ここらでお外で遊ぼうか」と声をかけるようにはしたが、しぶしぶ出て行った彼らはたいてい30分ほどで「もう疲れた」と戻ってきてしまうのであった。
常連の子で、いつも非常に無表情で動じないタイプのAくんの「驚いた顔」が一度見てみたくなって、
「おばちゃんちね、マンガがたくさんあるんだよ」とベッド下の引き出しを開けて背表紙を上にぎっちりと整然と大量のマンガが並んでいるのを見せたことがある。
Aくんは「すげっ!」と目を丸くした。
今でも息子のコントライブを観に来てくれることもあるAくんの、驚いた顔を見たのはあれが最初で最後の機会だった。
女子は、息子の世界にほぼいなかった。
保育園で「可愛いが、超無口」な女の子の噂を聞いたり、豪快快活な性格のシングルマザー、Mちゃんママと親しくしてもらったりした関係でよくMちゃんの名前を聞くぐらいだった。
一度だけMちゃんとM‘ちゃんが男子と一緒に遊びに来たことがあるが、下がタンスになっている、ハシゴで登るタイプのベッドに2人で座って女の子向けのゲームをしながら、下の畳の上でバカ騒ぎをしている男子たちを見下ろして「男どもはまったく、もー!」とぷりぷりしていて、それ以来遊びには来なかった。
Mちゃんには弟がいたせいか、息子がMちゃんちに遊びに行くことは何度かあったようだ。
なんだかんだいろんなおつきあいがあって、中学校の卒業式の「門送り」で胸にそれぞれブートニアをつけた子供たちを見送った時には、気がついたらほぼ全員の男子の名前を叫んで祝うことができた。
ママ友たちと個人的に会って話し込むことはあまりなかったけど、中学卒業後、せいうちくんが「保育園」で親しくなったママたちに声をかけて、女子のママも含めて7、8人が「暑気払い」や「忘年会」の名目で飲み会を開いてくれるようになった。
7年前に心臓の手術を受けて、ついでに向精神薬をいきなりやめたら、自分では全く気付いてなかったけど私はずいぶんしゃべれなくなっていたようだ。
まんがくらぶの友人たちからも「脳梗塞でも起こしたのかと思って、聞けなかった」「うさちゃんの若い時のマシンガントークが戻ってきた」と喜ばれたものだが、その年の保育園忘年会で「せいうちママがこんなにしゃべる人だとは思わなかった。びっくりした」と居合わせたママたちから言われた時は心底驚いた。
息子が去年沖縄で結婚式を挙げた時も、Jくん、Rくん、Kくんが招待を受けてくれて列席してくれた。
Rくんなどは大きなおなかに第二子のいる奥さんを連れ、幼子を抱っこしての参加だった。
180度性格が変わって無口でむやみに真面目なJくん、まわりが次々結婚するので「真剣に考え始めた」Kくんとたくさん昔話をした。
今回の忘年会でも、女子ママのMちゃんママから彼女自身の生活やMちゃんや弟くんの近況とか、Aちゃんママはもうじき3人目の孫が生まれるらしいとか、今日は来られなかったけど飲み会常連のM‘ママもM’ちゃんの結婚、離婚、再婚の早いサイクルの生活の中ですでに2人の孫がいるとかを聞いた。
しかしやはり皆が畏敬の念を持って見るのは、息子とその妻、2人の孫が同席しているRくんママだろう。
Rくん妻はとてもフレンドリーで快活な女性で、息子にも昔からの知り合いのように隔てなく接してくれる。
何より「足と頭の回転が速く、要領のいいタイプ」のRくんが日本中の男性にお手本にしてもらいたいような「いい夫」で「いいパパ」で、しかも「今はみんなこんなもんですよ」と軽く言ってのけるので、切実に息子にも見習ってもらいたい。
「あなたも子供については奥さんの意見をよく聞いて、しっかり考えてね」とKくんをはさんだ先に座っている息子に声をかけたら、反対隣りからせいうちくんにパーカーのフードを思いっきり引っ張られて後ろにのけぞった。
「そういうことは、今夜、彼が家に泊まりに来るんだからその時に言いなさい」
「でもやっぱりこういう機会に、Rくんちをよく見習って…」
またぐいっと引っ張られて倒れそうになる。フード付きのパーカーなんか着てくるんじゃなかった。
飲み放題付き5千円だったのでせいうちくんも私も元を取るべく飲み過ぎてしまい、解散になったとたんに集団と別れて帰った。
息子はKくんと「どかんと食いたいよな。食い足りないよな」と話していたので、牛丼でも食べてくるかも、一応「カレーあるよ」とは言っておいたが、と寝転んで待ってる間に2人とも完全に寝込んでしまい、何かがしきりと鳴っている音でやっと目が覚めた。
息子が、相当長い間、ピンポンと鳴らし続けていたようだ。
「ごめんごめん、すっかり寝込んじゃって」
「2人ともけっこう飲んでたもんね。無理ないよ」と言う彼に、
「どこか寄ったの?」と聞くと、
「サイゼ」
「Kくんと?何か食べてきたの?」
「いや、みんなで」
「みんなって?」
「あ父さんたち2人をのぞいた、全員」
えーっ、あのあと、二次会あったの?みんなでサイゼ行ったの?!
いったいどれほどの話を聞き逃したことか!
後悔のほぞを噛んで噛んで噛み千切る勢いだ。
せっかく年に1度か2度のチャンスだったのになぁ!
長いテーブルの反対の端にいたRくん一家と、もっと話したかったよぉ!
息子は「飲み過ぎた。もう寝る。すごく楽しかった。今でもこうやってみんなで会えるって、すごいことだね」と嬉しそうに言いながらさっさと布団を敷いて寝てしまった。
しょうがなく我々も寝たが、そしてよく寝られたが、朝になったら息子が夜中にカレーを温めて食べた形跡を発見した。
4時ごろちらっとのぞいたらスマホ見てるようだったし。
話すのが面倒だから寝たふりしてたんじゃないかと疑念が深まる。
そろそろ日付を変えよう。
24年12月15日
「10時に家を出る」と言っていたので、9時頃に声をかけ始める。
いつものようになんだかんだ言うのを聞くと、最終出発時間は11時ごろらしい。
なぜだんだんマストな時間が後ろに延びていくんだ?
10時頃、やっと起きてカレーを食べ、炊くより簡単だからと用意してあった「サトウのごはん」みたいなものを「おかわりしたい」と言う。
今、2種類パックがあるので、「小さい方でいいね?」と聞いて出してきたら、見比べて、
「これ、お父さんが小さいって言う方が大きくない?ほら、さっき食べたのは180gだけど、こっちは200gだよ」と相変わらず捨て目が利くヤツだ。
大きく見える長方形の方のパックは実は底が浅いので、中身のごはんは正方形の方がたくさん入っているのだった。
「結局たくさん食べさせてしまった。あなたもそろそろ代謝が落ちるんだから、これまでと同じつもりで夜中にカレー食べたりしてたら、おなかが出るよ」と言いつつ、食後にシュークリームを出すヘンな親心。
昨日から「お茶にしよう」と言って「明日の朝食べる」って言われてたんだもの。
結局、「今は食べられないから、持って行って現場で食べる」と言うので、箱に戻して保冷剤をまわりに入れ、手提げ紙袋にしてやる。
シャワーまで浴びて結局11時半に出かける彼だった。
金~日と六本木で10人ぐらいのコントライブをやるようで、昨日も舞台のあとのインプロ講習会は抜けてきた、と言っていた。
昨日会ったばかりのKくんRくんたちは今日、観に来てくれるし、妻のMちゃんが甥っ子を連れてくるそうだ。
我々も行きたいところだが、まだ席が余っていたとしても週末に2回のお出かけは到底無理なので、涙をのんであきらめる。
元気よく、機嫌よく出かけて行ったが、息子が去ってしまうと急に落ち込む私。
「きっとなんか怒ってる」
「怒ってなんかいないよ。不機嫌ですらなく、ただただサービスする気がまったくなかっただけだよ。ほら、出かけてすぐに、『ありがとう、のんびりできたよ。またね。元気でね』ってメッセージよこしたじゃない」とせいうちくんがいくら慰めてくれても、心の奥底に「息子は私がキライで、怒っている」という思い込みがあるのだ。
長い反抗期の間、罵られ、怒鳴られ、無視され過ぎたせいかもしれない。
母親に対する「見捨てられ抑うつ」がうずくのかもしれない。
こうなると薬をのんで寝るしかない。
24年12月16日
今週はきれいさっぱり予定がない!
週末に息子のコントライブに行くが、ウィークディはオールフリーだ。
なんだか読書欲がたぎってきて、マンガも小説もずんずん読める。
大事な友達の、ダンナさんが最近忙しいようだ。
出張に出かけっぱなしらしい。
同僚のせいうちくんは極力仕事をしない男だが、それでも今週は毎日出社すると言うほど忙しそうなので、他の人は死ぬほど忙しいだろう。
喜ぶべきか嘆くべきか、先週末に大量のマンガ新巻が届き、友達が楽しみにしているものもたくさんあるので、リクエストにお応えして着払いで送ることにした。
いつもは週に数冊なのでせいうちくん経由で届け、返却も同様に受け付けているが、今はその便が機能していない。
お子さんたちを抱えてきっとものすごく忙しいだろう。
マンガを読みたくても、読むヒマがないかもしれない。
少しでも楽しんでもらえたらと思って借りてもらっているが、かえってストレスになってはいないだろうか。
1日中寝ていてマンガ読んでいられる自分に自分で腹が立つ。
まあ私にも子供が小さい時はあったわけだし、一応家事をしている頃もあった。
そしてせいうちくんが日帰りとは言え毎週のように出張に行き、終電で帰ってから徹夜で書類を作っていた時期もある。
すでに前期高齢者である今、自分はヒマなのだ、と割り切るしかない。
これまでの人生で、人に助けられることはあっても助け手になったことはない。
(あー、1回だけ、高熱を出したシングルマザーのママ友んとこの息子を預かってごはん食べさせたことはあったなぁ。お礼にうどんをもらった)
今後も、まったく人助けをする予定はない。
名古屋のCちゃんに20年ぶりぐらいに連絡を取った時、
「貴女、今なにしてるの?」
「なんにもしてない」
「働いてないって意味?お稽古事とか、ボランティアとか、しないの?」と驚かれて、世間の人は仕事せずにすんでる時にそんなことわざわざするのか!とこっちも驚いた覚えがあるぐらい、家で読書する以外にしたいことはない。
今では家事すらせいうちくんに放り投げるぐらい、働くのはキライだ。
考えるのとしゃべるのだけでいいなら歓迎だが、身体を動かすのはイヤ。
なので、友人のピンチにも気を揉んだり心配したりくよくよするだけで、訪ねて行って家事を一手に引き受け、「昼寝でもしてて!それかマンガ読んでて!」というほど気概があり、役に立つ友人ではないのだ。
申し訳ないし、情けない。
自分の昼食さえ、「昨日せいうちくんが焼いておいてくれた紅はるかの焼き芋ですまそう」と思うぐらいの生活無能力者。
友人はじめ世間様に謝っておいて、今日も引きこもろう。
ついにガマンできなくなって、息子に「あなたが不機嫌だったわけじゃないんだけど、会うと、何か怒るようなことをしたんじゃないか、嫌われたんじゃないか、って不安になる」と愚痴ってしまった。
「全然そんなことないよ。こないだは酔っ払ってたから、あんまり話さないでごめんね」なんて言わせてしまった。
「もっとあなたと話したいんだよ」
「今度話そうね。オーダーもらえるのはありがたいよ」
「帰る30分ぐらい前、ヒマそうにしてたから『母さんと何か話してよ』ってオーダー出したけど、『んー』とか言ってたじゃん」
「ライブの本番前だったからね。ごめんね。お2人のせいでは全然ないんだよ」
「面倒くさい母親で、ごめん」
「お気になさらず!」
ああ、完全にうっとおしがられてる!
でもきちんと返事してくれるだけ感謝しよう。
24年12月17日
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今年も「このマンガがすごい!2025」が出た。
オトコ編オンナ編とも1位は予想通りだったので、ちょっとほっとする。
20位以内のランキングでは両方とも4割ぐらいは買ったり読んだりしている感じ。
でも、男女別の基準がよくわからないし、年々絵柄やストーリーについていけなくなっている。歳かな。
だんだん「ふわっとした絵」「生活や心の動きを細かく描いたマンガ」が増えている気がする。
そういうものが求められてる時代なんだろうか。
女性がこれまで言えずにいたことをお互い同士でしゃべったり夫や恋人に伝えられるようになってきてる展開は非常に嬉しい。
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鍋倉夫の「路傍のフジイ」がオトコ編の5位に入っていた。
今年の半ば頃、息子から「すごいマンガを見つけた」と教えられたのは、ちょうど知人のマンガ評論家がメディアで勧めていたので読み始めた時だった。
あんな地味なマンガに自力でたどり着いたならスゴイ。
データ化したマンガは全部、彼にも読めるようになっているのでいろいろ読んでいるようだが、わりと古いものの再読か、話題の新作をこっちからおススメする場合が多かったから。
30過ぎた妻帯者がそんなにマンガばっかり読んでいるのをとがめる気にならないのは、こちらも家計を圧迫するほど新作旧作を買いまくっている弱みゆえかも。
今日も快調にダブらせてしまった。
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マンガ友達のミセスAから、Xの記事が送られてきた。
大ファンである「よしながふみ」の人気マンガ「きのう何食べた?」で決して絵にはなったことのない主人公カップルの「夜の生活」が同人誌で読めるらしい。
「公式がR指定本を出してくださるとは!」と言われ、「え、公式って、出版社とかじゃないの?ファンが二次創作しても、公式が認定してくれるの?」と無知ゆえの疑問符を投げ返したら、なんと「大沢家政婦紹介協会」というサークルは「家政婦は見た!」の紹介所関係ではなく、よしながふみの個人サークルだったのだ!(よく見たらちゃんとそう書いてあるじゃないか!私のバカ!)
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そうと知る前も「なんか、シロさんとケンちゃんの夜の生活は気が進まないなぁ」と、本来大好物なはずなのに腰が引けていたのだが、ご本人が描いていると知って、「いやセンセイ、そこまではけっこうですから…」とますます腰が後方移動する。
「コミケ行かないからなぁ…」と自分に言い訳している間にも、なんだかノリノリのミセスAは「とらのあな」とかで通販してることまで調べてくれている。
「とらのあなは、昔、『薄い本』買うためにアカウント作ったなぁ…でも、アドレス変えちゃったから再入会かなぁ…」とどこまでも自分の中では歯切れが悪い。
おうちにお子さんがいる関係で、ブツが自宅に届くのも置いておくのも困るらしいミセスAは、折半で買って、こちらで受け取ってちょっと借りられればそれでいい、ってスタンスみたいだ。
それはまた別の意味で申し訳ないので全額もつのはやぶさかでないのだが、と自分の中で何かが何かに負け、基本な2冊らしきものに決めて動き始める。
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今やアヤシイ通販ではなくれっきとした大手であるから間違いはなかろうとは言え、個人情報を記入しての入会や「とらコイン」購入は心が大量の「ヘンな汗」をかく。
またスマホへのスパムメールがどっと増えるのではあるまいか。(物販や美容院、いろんなところでメアド書くたびにずん!ずん!と増える気がするのだ)
「とらコイン」が残ってもしょうがないからできるだけギリギリのコインを買い、それでももし足りなかった場合の方法(代金引換かキャンセルの2択しかない。キャンセル扱いになると面倒なので、送料は増すが代引きを選ぶ)指定まで終えてやっと購入手続き終了。
レビューなどを書くためのハンドルネーム、愚直に「うさこ」と入れたら「すでに使われています。他のネームを指定してください」でひとマス戻ったのもヘンな汗かいた。
「明日美子」なら通るのが1周回ってヘン過ぎる。
ミセスAに「購入手続きしました。代金は全額こちら持ちでかまいません」と長いオフラインのあとで知らせたら、「仕事が早い!」と感心されたが、何事も手早いのが自慢の自分としては異常に時間がかかったことをどう説明したらいいのか。(ヘンな汗のこととか)
「何なら全額お支払いします!」と支払方法まで考えてくれる彼女に、「いやいや折半で」と言いつつ、「うちで預かるなら『主婦協会共同本棚』ができるな。薄い本なら場所を取らないからどんどん増やそうか。いやいっそ、共同でKindle持てばamaseのうす消し版だって怖くないんだが」とか妄想している。
なぜか腐女子に憧れる。
どうしても沼にハマれるほどのサムシングが自分側に欠けているのがよくわかるだけに、いっそう「腐女子」たちの清々しいハマりっぷりに胸を打たれるのだ。
「推し」を持つのも、時間・金銭・気力のどれかもしくはすべてに吝嗇で、すべてを投げうつ推し活はできそうにない。
「アルフィーは好きだが、アルフィーファンばかりのコンサートには行きたくない」というひねくれた気持ちを5年ぐらい前に友人Nくんに打ち明けたら、
「それは同担嫌悪だね」とあっさり言われ、ああ、今の世にはこのわけのわからない複雑な気持ちをひと言で表す用語があるのか…と、目からウロコが落ちたものだ。
そんなわけでずっと予備軍というか修行中の看板を出して中途半端に腐女子沼のほとりをさまよっている。
これはこれで本当に難しい世界のようで、中村明日美子の「同級生」シリーズは「イイ!」と言ってくれた同じ人が「薫りの継承」になると、「これはNG。兄弟はアカンです」と倫理委員会に抵触したり、美学的にはOKらしい人が「あんまり生々しいのは…」となったり、沼の周辺でさえこれほど深い別々のタコ壺にみんな入っているのだから、本当の沼の中はさぞやであろう。
それこそ、カップリングの違いで大喧嘩になったりするそうだし、そもそも山田マリエ先生言うところの「塩と胡椒の瓶があったら、それだけでカップリングを考え始める」ほどの沼は想像できない。
「世間が狭い&一般人の友達がほぼいない」状態で、よしながふみR指定の情報をくれる貴重な友人を大切にしなければ。
マンガをたくさん読んでいる時点ですでにもう一般人ワクにいないミセスAだが、彼女は「エッセイマンガが好き」なところがちと趣味が違うし、まんがくらぶの人でも短編志向で「うさちゃんは喉ごしで長編を流し込むんだね」と分類してくれたKちゃんとも波津彬子で何とか折り合ってる状態だ。
昔「絶対に桐山くんがうさちゃんのどストライクだから!」と苦手で読んでなかった羽海野チカの「3月のライオン」を勧めてくれたお礼に「葬送のフリーレン」を当て返すことができたMちゃんも「もう、今持ってる大好きなマンガを読み返して生きていきたい。置き場所もないし」と宣言しており、自炊で無限大の可能性を持っているためフィールドを広げたい、と言ったとたんに「あ、本を裁断する話は、食事中はやめておいて」と言われてしまった。
よしながふみ好きな友達に「執事の分際」を勧めたら「ただのポルノ」という反応が返ってきたこともある。
あとはせいぜい長老に「宗像教授世界編の新巻が出ましたよ!」と宣伝するぐらいしか楽しみがない。
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ともかく、虎穴に手を突っ込んでしまった以上、虎児が届くのを待つだけだ。
アフターケア万全のミセスAからは「このコメントを見る限り、皆さんうさこさんと同じような葛藤をしているようです笑」とXのスクショが送られてきた。
そう!まさにそういう気持ち!!!
Xにも、丹念に情報を送ってくれるミセスAにも感謝。
世界は実は広いのだ。
ただ、人と人が触れ合う瞬間が希少で、また完全な一致などはほぼあり得ないからこそ、わずかな触れ合いを大事にしていかなければならない。
風呂上がりにせいうちくんが出しておいてくれたブラが、通販で買ったばかりのものだったので、軽く抗議した。
「あなたは本当に新しいものをすぐ使っちゃう人だねぇ」
「せっかく買ったんだから、使うでしょう、普通」
「新品を用意してはおきたいけど、何かの時のためにとっとく派なんだよ、私は」
「ものがものだけに、聞き捨てならないね。どういう『何かの時』があるってえの?」
「園遊会に呼ばれる時とか」
しばし笑い転げていたせいうちくんが言うには、
「そういう時こそ張り切って新しいのを買うんだよ!」。確かに。
「天皇陛下に招かれて園遊会に行くことがあるかもしれない」と自然に考えていること自体は、私に関してはよく理解できるそうだ。
普通はそこにこそ驚いてもらいたいものだが。
「キミの自意識が、そういう高みに自然にあるのはよくわかってるよ」
何の仕事もしてないで、しかもすでに65歳にもなっていて、「園遊会に呼ばれたら素敵だなぁ」ではなく「園遊会に呼ばれる自分」をあっさり精神世界に飼っている、これはもう、妄想狂って呼ぶんじゃないかと思うんだが。
「書いてもいないエッセイでベストセラーの賞をもらってお母さんにほめられたいんですか」とドクターに看破された40年前と、自分は1ミリも変わってないな。
大学入学したての頃、2段ベッドの上で寮の天井板を見上げていると、「世界は私に何を期待しているのだろうか」とひとり興奮して眠れなくなっていた。
今でも「自分が世界のためにできることは何だろう?」と1ミリも身体を動かすことなく考えてしまう。
そういうことはマザー・テレサとかグレタ・トゥーンべリさんが言うことで、40年近くただただ夫に寄生して生きている人間にはまったく資格も権利もない。
自分の、おそらくは存在が無価値だと刷り込まれた反動の、この自意識ばかりがそびえたっている状態をどうにかしたい。
発信が自由な今の世の中なら、こういう人間が何かを書く隙間もあろうとありがたく思っているが、きっと何割かの人たち同様、ちょっとおかしい人だ。
この件についてはせいうちくんの名言が聞けた。
「自意識がありすぎるのは本人が困るが、自意識がなさすぎるとまわりが困る」
なるほど、自意識のなさすぎるせいうちくんはそう考えるんだな、と納得しつつも、
「他人が困るからこそ自意識過剰と相手を呼ぶ言葉が存在するのでは?」と聞いたら、
「多少困らせるかもしれないが、迷惑はかけない。自分が迷惑をかけてばかりいる、というのも、また別の自意識過剰」とさらなる名言をいただいた。肝に銘じよう。
24年12月18日
せいうちくんは帰りに特養に入所しているお父さんの面会に行くと言う。
どんな様子か知りたくていつも会話の録音をもらっているのだが、今回、もうつらくなってきたのでざっくり話だけ聞くことにした。
「つらいの?」と驚いた顔になるせいうちくんは、すぐに理解したようで、
「ああ、そうか。キミが将来見ることになる姿だもんね」と納得していた。
「自分がそうなる、ってほぼ予見しているあなたにとっては別のつらさだろうけど」
「いやー、そうなったらもう自分じゃわかんなくなるってことまでわかってるからね。普通に横で見てる方がつらかろと思うよ」
「でも今は薬も進歩してるし、あなたは早くから受診してるから、きっと大丈夫だよ。人生120年時代に大量の認知症患者が出たら、大変な社会の負の資産だよ。国が必死に研究しないわけないよ。コロナの時だって、すごい勢いでワクチン作ったわけだし」
そんな会話で送り出して考えても、「私を私と認識しなくなったせいうちくん」と話すのはどんな気持ちか想像がつかない。
せいうちくんのお父さんはまだ話題がループする程度で、息子がわからなくなってるほどではないが、それでもあの大騒ぎの結婚の顛末をすっかり忘れていて「お宅は見合い結婚だっけ?」と聞いてきた時はのけぞって驚いた。
もしかしたらお父さんにとってはそれほど大きな問題ではなかったのかもしれないが。
将来、少なくとも2人で同じ施設に入所して、別棟に時々会いに行き、
「毎日『はじめまして。ちょっとお話しませんか』って話しかけて、毎日恋に落ちてもらうよ」なんてロマンチック路線で考えてはいるが、そううまくはいくまい。
「同じ空間で暮らし続ける、ってことだけはないように準備しておくつもりだよ」と言ってくれるせいうちくんだが、それってけっこうお金かかりそうだし、気がついた時には準備する力が残っていないものなんじゃないかな。
私の早死にの家系の力に期待するしかないかも。
せいうちくん帰宅後、話を聞いたら、お父さん今日はなんだか元気がなかったそうだ。
「具合悪いなら帰ろうか?」と聞くと、
「いや、全然なんともない。まだ帰らなくていい」と言い張る。
予定通り1時間いたそうで、ただあまり話が弾まなかったって。
同じ話をループされる「認知症の哀しさ」を感じなくてすんだものの、「老いるとだんだん衰える。特に病気にかかっていなくても、元気がなくなっていく」としみじみ感じだとつらそうだった。
そういう状態の父母に会ったことがないのでわからないのが申し訳ない。
父は亡くなるひと月前ぐらいに会ったのが最後で、ホスピスで車椅子を押してもらって外に出て、美味しそうに「1日1本」のタバコを吸っていた。肺がんなのに。
母は入院している病院に見舞いに行った時も歩き回っていて元気で、よくしゃべっていた。
実際に亡くなったのは3カ月ぐらいあとの自宅でのことだったので、元気でないところを私は見ていない。
2人とも70代の話だからなぁ。
24年12月19日
今週はせいうちくんが毎日出社という師走ならではの多忙さらしいので、逆にウィークディに病院の予約さえ1件も入っていない珍しい週の私は、少しまとまったら読んでみようと思っていたマンガを何種類も読めた。
どれもしみじみ良くて感動する。
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林史也の「煙たい話」既刊5巻は、「何にも分類しなくていいものもある」という友人Kちゃんの思想を理解する助けになった。
「分類しようと、いつもギラギラしている」私が彼女から苦手とされる理由も腑に落ちた。
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それでもやはり「何かと一致したい」願望が尽きないためか、山田金鉄の「かさねと昴」全5巻がきゅんきゅんした。
「終わらないでくれ」と久々に心から思ったマンガだった。
これまで読んできたマンガの「好き」や「嫉妬」を、「そういうもの」という前提抜きに個人それぞれの気持ちとして丁寧に描いている。
「女装男子」も、性格や彼らを取り巻く現状のディテールが細かく伝わってくるし、「戦隊ものオタク女子」にはっきりと「セックスはよくわからない。こっ恥ずかしいし、どう反応していいかわからんし」と言わせるのも気持ちいい。
コスプレの一環としてなら、彼氏が女性とキスしてもかなり大丈夫、ってすごすぎる。(あくまで「かなり」なのを自覚してるとこまで含めて)
こういう話とか丹波庭の「トクサツガガガ」全20巻とかを読むと、「推し」精神ってのはものすごく純粋で神聖なものなんだろうなぁと思う。
とっくに言われてるんだろうけど、ほとんど宗教。いい意味で。
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あみだむく「ラプソディ―・イン・レッド」既刊3巻は、絵柄や勢いに好感を持った。
しかし「ピアノにさわったこともない男子高校生が2か月で『ラ・ポロネーズ』を粗いタッチながらも弾いて、プロの心を動かす」のはアリなのか。
ピアノを弾ける友達がミセスAしか思い当たらず(どんだけ他に友達がいないのか、私よ)、ストーリーをざっくり説明したうえで「そんな、『いきなり特級呪術師』みたいなことってあるんでしょうか?弾ける人からするとどう思います?」と質問したら、
「あらすじだけでもう面白そうな香りプンプンですね!まさに特級呪物的展開です。うらやましいですが、まず無理かな、と。宿儺の指でも喰わないと」って答えが返ってきた。
「呪術廻戦」にはついて行けてない、と言いつつ、このツーと言えばカーな反応。嬉しすぎる。
「キミは音大行かなくていいから、1年で世界コンクール行きなさい」と現役トップピアニストに師事することになった主人公。
恩田陸の「蜜蜂と遠雷」読んでもクラシックピアノが全然わからないので、これは弾ける人からするとどういう理解ができるものなんだろう?とずっと疑問符なんだが、同じ種類の疑問はあるものの素人の悲しさで「あるとしたらスゴイ」的に無視して入れる程度には惹きつけられてしまった。
石塚真一の「BLUE GIANT」シリーズのダイくんぐらい猛烈に練習してきてたら別だが、と思う間もなく猛練習の日々に入った主人公。
「普通のピアニストの数万時間を取り返す」ことは可能なのか?
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地球のお魚ポンちゃん「霧尾ファンクラブ」、6巻で完結した!
実は女の子の友情ものだったのか。
霧尾くんの辛い過去が気になっていたのも女子2人の関係がどうなるかも、全部ビミョーな、いや、ハッキリしたすっとんきょうさに持っていかれた。
こういう「ちょっと外してくるコメディー路線」は佐々木倫子の「動物のお医者さん」の頃からやや苦手なんだが、その時同様押し切られてしまった。
やり過ぎは力、なのか、やり過ぎてないからこそのバランスがあるのか。
その区別すらつかないんだけど、いいマンガだった。
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ヨシノサツキの「ばらかもん」全19巻を読んだことがないままに、スピンオフの「はんだくん」全7巻を突然買ってしまい、あまりに面白いと驚くと同時に、先に「ばらかもん」を読むべきなのか!と驚いた。
あわててそちらを読み始め、あずまきよひこの「よつばと!」味を感じて感動。
幼女なるちゃんの「困った語彙」が「おじさんがドロンした」とか「本気汁」とか面白すぎて吹いた。
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奥嶋ひろまさ「ババンババンバンバンパイア」既刊9巻、新巻が出たのをきっかけに初めて通しで読んだ。(最新巻入りなんだから当然と言えば当然なんだが、なぜか6巻あたりで止まっていて、漫然と新巻を買っていた)
登場人物がどんどん増えるのと、関係がややこしくこじれていくのが楽しい。
新登場の「ヴァンピール」については、はまぐり「TRUMP」全5巻でお耽美な予習ができていたのが幸いしたが、このマンガでの能力はまだまだ不明。
しかしこのペースで李仁くんが童貞を保ったまま18歳になるまで続くんだろうか。あと2年もあるのに。
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山本和音の「生き残った6人によると」全7巻で終了。
ハルタにしては生きのよさが目立ちすぎるほどで、また全然色っぽくなかった。(もちろん女体萌えじゃない作家さんは他にもたくさんいるよ)
絵と世界観がとても好きだったので、終わって寂しい。
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はるな檸檬の「ファッション!」既刊5巻、なかなか6巻が出なくてもどかしい。
何度か読んでやっとこの絵柄に慣れ、ストーリーもわかってきた。
そしたら実はモンスターの話で、ファッション界の暗さ深さ怖さにキャラクターがきちんと乗って10倍ぐらい怖い話になっていた。
早く続き読みたい。
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さとうはるみ「ドルおじ」既刊3巻。
ますます「萌え」や「推し」の世界に憧れがつのる。
「何でも買ってあげたい」ほどの電卓無き愛情、娘や息子にさえ持ったことないぞ。
ストーリーも少しずつ進んでいる。
スターレットちゃんのオリジナル・パーツはそろうのか?!
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ねむようこ「三代目薬屋九兵衛」全5巻。
やっぱりねむようこの独特の絵柄と雰囲気には惹かれるものがある。
信じられないほどの人見知り&口下手男子、ホントに信じられない!
今までどうやって生きてきたの?
森の魔女がいなかったら君に楽しい人生は訪れなかったぞ!
ねむようこ作品もっと読みたくなった。「午前3時の危険地帯」とか。
あっ、そう言えば「こっち向いてよ向井くん」既刊7巻をほとんど読まずに機械的に買ってほっといてる!読もう。
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松岡圭祐×神江ちず「万能鑑定士Qの事件簿」全10巻。
コミカライズだし、絵がたいそう上手なだけじゃないか、とちょっと内心けなしながら読んでたが、ついにはその魅力に屈服した。
いや、ご都合主義というかあり得ないでしょ、とは思う。
そこを越えて、単純に絵が美しい。邪心がない。
凛々しい正義がきちんと描ける真っ直ぐな絵だ。
そう言えばドラマも面白かったような…イカン、記憶がない。
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稚野(ちや)鳥子「箱庭モンスター」既刊4巻。
いわゆる業界ギャグマンガなのか、新米少女マンガ編集者がわたわたしている間にストーリーが進む。
ついに紙袋を脱いだまんだ先生の素顔にびっくり!
「編集者は作家の心の恋人」と鳥飼茜が「サターンリターン」の中で女性小説家に言わせていたような気がするが、マンガ界でもそうなのか。
少なくとも一緒に「箱庭」を作り上げる存在として、頑張れ編集者。
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amase「蛍火艶夜」上下巻。
雨瀬シオリとしての「ここは今から倫理です。」も大好きなんだが、こっちの方もいける人なのか!と驚くぐらいのBL。
発生場所が特攻隊なので、怒る人は怒るだろうな。
でも、切羽詰まる理由があり過ぎて、ただでさえ切羽詰まることの多いBLなので、二乗で切羽詰まっていた。
Kindleで「うす消し版」を買ったら、「隠すべきところ」に2ミリ幅ほどの黒線が2本引いてあるので、「これで消したことになるのか?」と首をかしげていたんだが、少なくとも紙の本屋で扱う以上、ちんこと玉の部分はまとめて白抜き、が制限のようだ。
どうせぐちゃぐちゃしていて何が何だかわからないので、白抜きの形が面白すぎて、効果はあるのないのか。
少なくともせいうちくんは「普通の男女のエロ雑誌とかではどうなっていただろう…」と悩んでおり、遠すぎてさすがの彼の映像記憶力をもってしても届かなかったようだ。
あー、いっぱい読んだ!
気持ちいい!やっぱりマンガはサイコーだ。
24年12月20日
5日後に最終29巻と30巻が同時発売される「呪術廻戦」終了に備えて、そろそろ一気読みを始める頃合いだろう。
と思ったら昨日の夜だけで0巻から6巻まで読めてしまったので、ちょっと計算上早すぎたか。
それとも途中からどんどん考え込む時間が増える難しい世界だから、これぐらいでちょうどいいのか。
mixi2デビューしてみました、つってもmixiの時にほとんど使い方がわからず星屑になってしまったヘタレなので、今回もどこまでやれるかわからない。
とりあえず友達がほとんどいないので、サークルに入ってみよう。
マンガのやつ2つと「ネットの老人会」みたいなとこに籍を置いてみた。
しかし「老人会」多すぎ!mixi2始めるのは老人、って大前提なのか?
まあ還暦過ぎれば立派(?)な老人だからな。
老人でいる期間が長すぎて、まわりに老人がいすぎて、つらくなってくるのはいつ頃からだろう。
「60代は老人とは呼べないし、扱えない」という世の中がもうすぐそこまで来てる気がする。
大収穫だったのは、マンガのサークルで「最新巻を買った時、1巻から読み返してしまうが、時間が足りない。どうするべきか」という疑問を聞けたこと。
みんな、やっぱりそこで悩むのか。
この問題を直接解決するものではないんだが、「読みかけで放置する期間はほっといて、読みたくなったらその間を一気に買う」のも私が困ってる事象のひとつの解決法になると思った。
Amazonで買うなりブックオフで買うなり、読みたい時にそろえればいいんだよね。
読んでないのに新巻だけ積もっていきがちなので、どうしたらいいかと困っていたんだ。
でも、最新巻が届く時の嬉しさはまた別にあるしね。
わりと博打打ちなのか、10冊ぐらいまでならいきなりの全巻買いは今でもある。
せいうちくんから時々、
「1巻だけ買ってみるとか、試し読みをするとか、いろいろ方法はあるでしょう」と言われるんだけど、目をつぶって「当たりを引いた」時の感動が気持ち良すぎて。
「全然知らない黒田硫黄をいきなり引いた」過去の実績で妙な信用があるせいか、それほどうるさくは言われないんだけどね。
でも、1巻買って、読まずに2巻3巻と買っていく悪癖は直した方がいいな、きっと。
「このマンガがすごい!」を買ったせいで気になるものを買いたくなり、今朝は仕事するせいうちくんの横ですごい勢いでAmazonぽちぽちしまくってた。
「ごめんね」と謝ったら、
「僕ももうじきキミが驚くぐらい買うから」と笑っていて、それはお互い幸せだけど、家計簿つける時に気絶するのは私だけなんだよ。