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年中休業うつらうつら日記・北海道17泊18日車中泊・完了編とその後の生活(2024年7月4日~7月12日)

#私の旅行記

24年7月4日・木(13日目)

北海道11日目に突入した。
「道の駅・南ふらの」を出て、さっそく今日のメインイベント、夕張炭鉱跡にできた「夕張市立石炭博物館」を見学しに行く。
石炭を原料として使う鋼業が生業のせいか、せいうちくんはとても興奮していた。
私は金沢行き車中泊で生糸工場を見学した時と同じような気分だった。
外国の技術を学んで、かつては人力で掘っていた石炭を機械で掘れるようになったのはすごい。
軍艦島のように炭鉱の町、夕張は栄えたが、それも次第に陰りを見せ始め、たんだん縮小されていった。
最後の機械掘りは2006年あたりで消えたという。

爆発や火災、崩落など危険がいっぱいあるが、写真パネルの中の昭和を支えた男たちの顔は石炭の粉で黒光りしていてもさわやかな笑顔だった。
炭鉱博物館のあとはたまたま目に入った「吉野家」で昼ごはんを。
私はさっぱりしたものも食べたくて、「麦とろ牛丼セット」にした。

そのあとは少しゆっくりと休もうと、札幌手前の旭川にある岩盤浴つき温泉施設で半日ほど休憩。
(私にとっての旭川は三浦綾子の「氷点」だなぁ。島田陽子が可愛かった)
フリーWi-Fi、食堂、休憩所でマンガ読み放題、大浴場にはサウナ、そして岩盤浴室が4種類もある豪華な施設だった。
タオルか館内着を貸してくれて、全員タオルは自分のを持ってきたので、館内着を借りた。
これがないと岩盤浴コーナーに入れない。
岩盤浴用の大きなバスタオルは150円でレンタル。

13時頃に入ったか、とりあえず18時ぐらいまでいよう、と決まったんだが、あまりの居心地の良さに途中で集合した時に「23時までの延長」が決まる。
午前1時を超えると明日の分の料金が発生するが、逆に昼に入ったなら1時までならいつまでもいられる。
Gくんは深々とリクライニングできるラグジュアリーな椅子が集まった「マンガ読み放題」の休憩室でよく見かけた。
特にマンガには興味なさそうだった。
私は本棚をひとわたり見て歩き、「世の中にはいろんなマンガがあるんだなぁ」とため息をついていた。
全部集められたとしてもお、もう読み切る自身も時間もないよ。
中村明日美子の「ウツボラ」上下巻を置いてるってどういう趣味の人が選んだんだろう?ってちょっと気になる。

とりあえず風呂から上がってせいうちくんを探すけど、きっと岩盤浴だろうと思ってたのに53度、47度、42度、そして17度の「ひんやり部屋」全部探して回ったがどこにもいない。
あとで巡り合えた時に聞いたあら、どうやら42度の部屋にずっといたらしい。
各扉の横に設置された「メガネ置き場」を頼りに探したのが間違ってたようで、彼はメガネをかけたままでないと何にも見えなくなるド近眼なので岩盤浴に入ってもはずさないのだ。
メタルフレームは傷むし、耳のあたりがアチチとなるのに。
私はといえばひと通り捜索したあと「53度」の部屋でしばらく寝転んでせいうちくん来ないかなーと思ってたんだが、どうやら彼には熱すぎるようで温かくて汗をかくのが好きらしく、最低温度の42度のところにずっといて眠っていたそうだ。
一緒にしばらく入っていたが、予約しておいた全身50分+ヘッドマッサージ20分を受ける時間になったので、しばらくお別れだ。

マッサージ屋さんはけっこう立派な造りで、6台ほどのベッドが並んでおり、間を簾のようなもので仕切っている。
メガネのおにーさんが担当してくれたので、東京から来たことや車中泊のことを話していた。
幸いなことに非常にマンガ好きの人なようで、「呪術回戦」の話で盛り上がれた。
彼はジャンプ本誌で読んでるらしく、
「もうじき終わっちゃいますよね。ジャンプ、読むとこなくなっちゃうなぁ。『呪術廻戦』と『ワンピース』しか読んでないから」と言っていた。
もちろんコミックス派の私よりずっと先に行ってるわけだが、こっちも最近はYouTubeで「ゆっくり考察」とかあれこれ観ているので、最新話の話でもついていける。

北海道で美味しいのは「トリトン」という回転寿司屋なのと、名物は「ガラナエールとカツゲン」だとのこと。
「カツゲン」ってどこのカツ丼屋かと思ったら、ヤクルトミルミルみたいな乳酸菌飲料なのだそうだ。
さっそく今夜から探してみよう。
北海道生まれだが旭川より北に行ったことはない、という、マッサージの上手なおにーさんだった。
特に頭部のマッサージを受けたあとは、なんだか視界がクリアになった気がしたよ。

「とても気持ちいいので今日、また来てみてもいいですか?」と聞くと、
「いえ、長いマッサージを1日に2回受けるのはお勧めしません。もみ返しとかも来ますから。エステの方でやってる『あかすり』なんてどうですか?気持ちいいですよ。血行が良くなり新陳代謝も良くなります」と言うので、次は「あかすり」だ。
韓国式とかあるのは知ってたが、受けるのは初めてだなぁ。

いったん岩盤浴に戻り、岩盤浴でずっと頑張っているせいうちくんに会って、「今から2、30分『あかすり』をしてもらうかも」と言うと、寛大で鷹揚なせいうちくんは「やりなさい、なんでもやってもらいなさい」って態度だったので、ありがたく受けさせてもらおう。
Gくんとも時々あちこちですれ違ったが、彼は主にマンガコーナーの休憩室にいたようだ。

エステのカウンターに行ってみると、今からすぐできるとのこと。
どこでどうやってやるんだろう、と考えていたら、「まず大浴場に行って15分ぐらい温まってください」。
「いま、岩盤浴してきたところですけど」
「それとは別に、皮膚をふやかしていただかないといけませんから」と、大浴場の中に暖簾で隠れたコーナーがあり、そこの人が15分後に声をかけてくれるそうなので、ぬるい風呂と熱い風呂を行ったり来たりして過ごした。

果たして15分後にTシャツと短パンのおねーさんが入ってきたので、あかすりコーナーににじり寄って待つ。
ベッドを洗い流したりの作業をしたあと、すぐ近くに立っていた全裸の私を笑顔で呼んでくれた。
言われたとおりにベッドの上に仰臥すると、おねーさんがざっとシャワーをかけてくれて、あかすりの始まり。

「あかすりってものは、初めてなんです」と自己申請したら、驚かれた。
「まったく初めて?今まで温泉施設とかで受けませんでした?韓国とか」
「韓国は行ったことがなくて『韓国式あかすり』が有名なのだけ知ってます」
「どちらから来たんですか?札幌?」
「東京です。車中泊してきました」
「東京だったらいくらでもやってくれるとこあるでしょう」
「探したことがないからわかりませんでした。ここで、マッサージのおにーさんに勧められたので、いっぺん経験してみたいな、と」
「じゃあ、ソフトなグローブで始めますね」

上半身にローションかあまり泡立たないボディーシャンプーのようなものをかけて、手にはめたあかすりミトンらしきものでごしごしこすってくれる。
気持ちいいなぁ。
よもやま話で聞いたところでは、ぎりぎり未成年の息子がいて、外国へ行きたがってるけれども二十歳前だからまず沖縄でも行きな、と諭し、今は沖縄でビーチボーイをやってるそうだ。
「私、独身だからさぁ、息子のいる沖縄でもこの仕事できるかどうか、こないだリサーチに行ったんですよ。なんとかやれそうですね」
「手に技術のある人はどこでも働けますね。でも、沖縄暑かったでしょう?」
「そりゃもう、ものすごく暑かったですよ。北海道で生まれて育った道産子だからね。でも、いいところでしたよ。お金がかからなそう」
「息子夫婦も東京あたりの生まれ育ちなんですけど、結婚式は沖縄でやりましたよ」
「え、那覇ですか?」
「うーんと、名前忘れちゃったけど、那覇の少し上の海辺」
「名護?」
「そう、それそれ。沖縄、いいとこでしたねー」
「そうですよねー」といった会話を交わし、オホーツク海で同行者がツブ貝を買い、唾液腺を取って食べたかどうか怪しい、という話をしたら豪放磊落に、
「私、取らないで食べますよ。ちょっと酔ったみたいになって気持ちいいし、酒飲んでたら中毒はしませんよ。お連れさんもお酒強い人なら大丈夫!」と安心させてくれた。

股間にたたんだタオルを置き、顔は冷たいタオルでぐるぐるっと巻いてやってくれる。
うつぶせになってからも話は続く。
「背中は堅めのグローブで試してみてくれませんか?」
「大丈夫ですか?じゃあ、やってみましょう」
「うわー、馬になってブラシ掛けられてる感じですねー。でも、気持ちいいです!」
「男性はたいてい堅いブラシを使うんです」
「え?男女ともおねーさんがやるんですか?」
「そりゃもう、男も女も私がやりますよ!
「男の人だと、口説かれちゃったりしません?」
「やーだ、私みたいなおばちゃんに。もう、みんなジジイですよ」
「ジジイならなおさら年のころとしては合うじゃないですか」
「金持ってりゃいいけどねー(がははっと笑う)」
いや、なんとなく、行ったことはないけどこういう造りってソープみたいだなぁと思ったのよ。
全然違ってたら、無知ゆえの発言お許しください。

「あんまり垢が出ない方だけど、それでもちょっと出ましたよ」とうながされて自分のおなかを触ると、本当だ、少しザリザリと垢が出ている。
裏表やってもらって、リンパマッサージちょっとやって30分コースおしまい。
「つるっつるになりましたよ!」と言われてお礼を言って料金は腕につけたロッカーキーで登録し、出る時いっぺんに払えるみたい。
ああ、たまには身体を可愛がってあげるとすっきりするね!

Gくん、せいうちくんと合流したのがまだ20時半ごろ。
「ここに泊まるとまでは言わないが、1時に出れば追加料金はかからないから、23時頃に出ようか」と相談がまとまり、私は最後の30分でまた風呂に入って髪の毛を洗う、と言ったらGくんが不思議そうに問うてきた。
「なんでそこで30分なんだ?先に風呂はいってから岩盤浴でも休憩室で休んでてもいいじゃないか」
君は女心がわかってない。
髪は最後に洗いたいんだ。
洗ってからまた汗かいたり岩盤浴に行くのは論外にイヤだ。
汗をかきやすい私だけの行動かもしれないが、一応髪を乾かしてあまりしけってない状態で出たいものなのよ。


3人で軽食を食べ、(Gくんはホッケ定食、せいうちくんは海鮮ラーメンだが、魚でだしを取ってるのとモズクみたいなのが入ってる以外、海鮮の要素は見当たらなかった。ホタテかと思ったら「麩」だったりするし。私はタコ焼き)また解散して好きなとこに行く。
私はもう最後の風呂に入ってしまって髪を洗って乾かし、フリーWi-Fiスペースで日記を書く作業に専念することにした。
23時にみな車に集合して、なぜか旭川市内の街中にある珍しい「道の駅・あさひかわ」で1泊。

24年7月5日・金(14日目)

北海道12日目の今日は、いよいよ札幌。
もうあまり回るところもないということで、午前中からカラオケに入り、3時間ぐらい歌いまくってきた。
ここまでの道中、ずっとiPodで中島みゆきをシャッフルして聴いてきたせいか、全員中島みゆき率が非常に高かった。


Gくんが回りたいと言ったのが開拓村。
広くて歩き回らねばならなそうだったので、入り口の辺で私は離脱し、車で待っていた。
ゴールデンカムイをあらためて読んでいるので退屈はまったくしない。
開拓民の方々のご苦労はよくわかるが、「耕したら土地をあげよう」って言われたって元々他の人のもの、いや、誰のものでもないからこそ平和に暮らしてこられたんだと思うと、土地の所有がすべての元凶か、と思うね。


19時からサッポロビール園ポプラ館で、Gくんの大学時代の後輩で今でもつきあいのあるTさんとジンギスカンを食べる予定になっている。
少し先に行って、ビール博物館をじっくり見ていた男性軍。
正直、下戸にはまだしもよつ葉牛乳の方が面白いかなぁ。
しかし、人が集まれば酒を造り始める人類の業の深さにはほとほと感心する。

雨がしとしと降る中を本館で予約してある人の列に並び、受付を済ませる。
Tさんは仕事が終わって出るけれども、少し手間取って30分遅れになりそうとのこと。
ポプラ館に私の名前で4人の食べ放題飲み放題の予約が入ってますから、とお伝えする。
2時間制で、しかも営業終わりが21時なので、19時ぴったりに入ってもう飲み食いを勝手に始めている我々。
タブレット注文の追加肉を持ってきてくれるのはロボットだが、皿下げはさせないでくださいスタッフが参りますので、と言ってたから、ロボットくん、皿下げは苦手かな?
飲み放題の人は首から「飲み放題証」を下げて空になったグラスを持って行かないとお代わりがもらえないシステム。
Gくんとせいうちくんがやおらジャンケンを始めたと思ったら、どっちがビールを取りに行くかを決めていた。
負けたせいうちくんはGくんの分の札も首から下げて、グラスを2つ持ってドリンクバーに行っていた。

4人だが6人テーブルを用意してもらえて、炭コンロを置く場所も2つ。
コンロはGくんとせいうちくんの間にひとつ、おそらくTさんが座るであろう私の対面との間にひとつあったので、私は1人で思う存分肉と野菜を食べまくった。
なくなったらまたオーダーすればいいんだし、食べ放題に何の遠慮もあるものか。
あいかわらず美味しい、謎のサッポロビール園特製焼肉タレ。

19時半に、ずっと会ってみたかったTさんが現れた。
ご挨拶もそこそこに、まずはビールで乾杯!(私はウーロン茶だけどね)
元々は胃の外科医だったそうだが、今は訪問看護をしてターミナルケアの仕事をしてるらしい。
とても興味があるのは、老人は、どのようにすると自然に次第に衰弱し、生物としての穏やかな死を迎えられるかという点だったが、私のこういう趣味はかなり人に誤解を与えそうで、初対面の人には聞けなかった。
自分が過剰な医療を受けずに食が細くなってゆるやかに弱って行って死にたいと思ってるからって、老人がみんなそう思うわけでもないだろうから。

Gくんは、Tさんが駒場寮に住んでた頃に向かいの部屋にいた先輩なのだそうだ。
それだけで今でもつきあってくれるんだから、彼もGくんの特異な性格や頭脳の鋭さをわかってるんだろうな。
「Gさんは、とてもまっすぐで繊細な人です。それが社会に合わないので今の生き方になったんでしょうね。歪んでいるのは社会の方ですから」と言っていた。
もちろん社会に参加しないで人付き合いの方法がわからなくなって「わかりたくもない」となってるところはあると思うが、私がもし人の好意や愛情に飢えていなければそうなっていたかもしれないのと、社会経験のないことでは人後に落ちない「専業主婦」というくくりの陰に隠れてなんとなく社会に居場所を持たせてもらってるだけの、何も生産・還元してない人生だったのは確かだ。

Tさんの若い頃の海外冒険譚を聞いたり、楽しかった。
一番驚いたのは、「胃をはじめとした内視鏡手術」にTさんは肯定的でなかったこと。
「クレーンゲームの中身が欲しいんだったら、お金払って扉を開けて、欲しいものをすっとつかむのが一番簡単じゃないですか。それをクレーンで崩したりかき分けたりして取るんですから、ぬいぐるみは傷みます。人間の場合もそうで、狭いとこに管突っ込んであれこれかき回すわけですから、身体に与える影響も大きいです」
「え、普通、内視鏡手術だと侵襲も少なくダメージが少ないと聞きますが」と聞き返すと、
「それは医者の側の嘘です。僕なら開腹手術をお勧めします」

私の心臓の手術時間がとても手早かった話をしたら、
「早い手術が上手いとは限りません」。
そうねぇ、実際にそのあと心タンポナーデを起こして、結局緊急入院してドレーン入れたから、余分な傷跡が残っちゃったりしたねぇ。
医者の本音はなかなか聞けないので、貴重な機会だった。

TさんはGくんの良き理解者であり、貴重な友人なんだと思った。
だからこそ、Tさんもちょっと変わった人かもしれない。
しかし十分に社会生活の送れている人なわけだから、これからもGくんを気にかけてあげてほしい。大きなお世話だけどね。

食べ放題の終わりが来たので、デザートのアイスクリームを取りに行く。
元々ずっと長蛇の列だったが、21時近くはすごい行列ができていた。
私が1人で行って全員分のアイスを持ってこようと思い、ケースの前にたどり着いた頃にはもうチョコレートとオレンジとバニラ、どの箱もほとんど中身がなく、隅の方にへばりついているだけだった。
なんとか掻き取り掻き取りしても小さなカタマリ3つしか取れなかった。
せいうちくんの好きなバニラは本当にすっからかんだったから、オレンジ2つとチョコレートひとつ。
後ろにいたひと組をのぞいて全員あきらめて散会してしまった。
そんなサッポロビール園のお話。

Tさんは方向も違うので電車で帰ると言い、私の未熟な運転に命を預けないで帰った。
2人の酔っぱらいを乗せて札幌を離れること45分ほどで「道の駅・とうべつ」に着いた。
Gくんは車中後部座席でですでにがあがあいびきを立て始めており、たどり着いたらそのままベッドキットで2段ベッド的に組んだ下のスペースにもぐりこんで寝てしまった。
せいうちくんと私もけっこう食べくたびれていたので、かなり早く寝たと思う。

あさってがフェリーの出発日なのでどう時間をつぶそうか、男性陣が考えてくれてたらしいが、今夜はもう何の相談もできまい。
今夜と明日はお風呂のない道の駅の予定なので、フェリーの大浴場を楽しみにするしかないかも。
蛙の鳴き声がうるさいほどの場所だった。風情と言えば風情?

24年7月6日・土(15日目)

北海道13日目。
せいうちくんは大倉山ジャンプヒルを見に行きたいらしい。
お金のかかることが嫌いなGくん、リフトは前に乗ったことがあるらしく、今回はパス。
ジャンプ台に沿ってずーっと空中をリフトが動いていく。
上はさらに展望台になっていて、私は登る自信がなかったからせいうちくんに行ってもらって写真をお願いする。
なかなかの眺めだったそうだ。
帰りでは「この長い急斜面を滑り降りて端っこでジャンプして滞空するのか!」と驚いた。
ジャンプ競技ってのも恐ろしいもんだ。

Gくんはお金のかからない冬季オリンピック記念館を見て時間をつぶしていた。
もちろん我々も見る。
さまざまなウィンター競技の発祥、コーチに来てくれた有名なレルヒさん、転んだ時のジャネット・リンの大きな写真など、いろんな展示があった。
カーリングのストーンが台から少しだけ浮かせられるようにしてあって、持ち上げにトライする人が大勢。
もちろん私も持ち上げてみた。
重い。5秒と持ってられない。
せいうちくんも「重いねー!」と驚いていたが、表示を見ると20キロ。
30代の頃に比べて、私は今、この重りを持って歩いたり活動したりなのか。
そりゃ重いし、よく転ぶわけだ。
心臓の医者からも整形外科からも強く勧められているダイエットを、本気でやるべきかもしれない。

これはせいうちくんの希望だったかGくんだったか、「旧郵便局」というものをちらっとなめて、その後は主にドライブで湖巡り。
支笏湖と洞爺湖を見た。
Gくんが興味を持っていたのは昭和新山のようだ。
山ができちゃったんだもんなぁ。
スーパーで買い物をする時牛乳やヨーグルトの売り場あたりで「カツゲン、ないねー」とせいうちくんと話していたら、地元の人なのだろうか、親切な女性が「カツゲン、そこにありますよ」と指さして教えてくれた。
お礼を言って、そののち「でも、1リットル紙パックは冷蔵庫に縦に入らないからね。飲みかけでフタもできないし」と相談していたら、再びさっきの女性が「そっちに小さいのありますよ!」。
確かに500mlのがあった。
またお礼を言って、ありがたく買わせていただく。
ヤクルトの牛乳割りのような、さわやかな風味と甘みの飲み物だった。
セコマに小さいの売ってたらまた買いたいな。

最後はせいうちくんの強い強い希望で室蘭製鐵所。
海辺にあり、しかも巨大なのが製鐵所の特徴だ。
せいうちくんは嬉しそうに写真をたくさん撮っていた。
出張で1回来たことぐらいしかないそうだ。
全国どこに行っても製鐵所を見たがる男。

ちょっとだけ寄り道して「地球岬」。
これも私には無理筋だったので、車でおとなしく待っていた。
地球が丸く見えるのかな。
そうでもなくて、ただただ景色がいいらしい。
「名勝・ピリカノカ」なんだって。


宿泊地に行くのに白鳥大橋を往復してみる。
さすがの「同じ道を通るのは嫌いだ」のGくんも、橋の行き帰りはしょうがない。
ループ状の入り口道路をなぜ作ったのかは、謎。
泊地は「道の駅・みたら室蘭」
徒歩2分で温泉に入れるようだが、明日のフェリーで風呂に入れるので面倒くさくてパス
ウミネコの鳴き声がすごい。

24年7月7日・日(16日目)

北海道14日目。ちょうど2週間だ。
夜の19時にフェリーに乗ると知って、もっと早いか遅い時間だと思っていたGくんに「苫小牧発仙台行きフェリー」で夕日を見る夢がちょっとだけふくらんだものの、雨模様で「落陽もへちまもない」状態。
思わず「茄子もへちまもない」をググってしまった。
「前者に比べて後者がもうどうしようもないぐらい値打ちがない」ことを言うらしい。

国立のアイヌ資料館である「ウポポイ」を見に行った。
大変立派な施設で、これまで見たどこのアイヌ資料館よりも充実していた。
触ってやってみることができる展示が多く、大人から子供までアイヌ文化に親しめたと思う。


港に向かうまでの間にスーパーに寄ったので、夕張メロンはガマンしたのに函館メロンを買ってしまった。
せいうちくんはガラナをもっと買い込むかと思ったんだが、東京でもたまに見るので、けっこう強気。

「ちょうどいい時間つぶしを見つけた」とGくんが言うのは「苫小牧市科学センター」。
「わしは科学少年だから、こういうのは行くんだ」と喜び勇んで入って行った。
我々もわりと好き。
特に地方の少し古い科学館は最新の研究成果が並んでいなくて、日常の不思議(歪んで映る鏡とか、真空中ではコルクと鉄が同時に落ちるとか)がきちんと説明してあるのに好感が持てる。
おまけに、ここは三部けいの「僕だけがいない街」の聖地であった!
三部けい先生のマンガも飾ってあり、描き下ろしかもしれない2ページも展示してあった。
ちょっとるんるんしながら、プラネタリウムの開演前に大急ぎでソ連の宇宙船、ミールの展示を見る。(当然、「ミールを見―る」とつぶやくのがお約束)
Gくんは「わしはこれを見に来たんだ」とずうっと眺めたりまわりを歩き回ったりしていた。



 


「夏の星座」ということで、天の川を挟んだアルタイルとベガ、さそり座のアンタレスを紹介しながら、さそり座のしっぽのSの字を描いた部分がハワイでは「マウイの魔法の釣り針」と呼ばれている、とその民話を手足がどこか手塚治虫風、または石森章太郎風な絵柄で紹介してくれた。
やっぱプラネタリウムはいいなぁ。
私以外の2人は暗くなるやいなや寝てしまったらしく、寝息が盛大に聞こえてきていた。
港へ向かう時間になったので、車を走らせる。
すぐ手前にセコマがあるのをGくんがちゃんと確認しておいてくれたのか、最後のセコマショッピングができた。
しかしやはり私が買うのは夕食用のHOT SHEFのカツ丼。
この旅で10回は食べただろうか。
後半追い上げてきたラズベリージャムパンとプリンも合わせて、北海道での私の肉体はほぼそれらで構成されている。

帰りのフェリーは行きのよりずいぶん大きい。ちょっとしたクルーズ船のようだ。
チケットが埋まってしまったので「シャワー、トイレ付の和室」しか取れなかったが、狭い車の中で窮屈に座ったり寝たりし続けていたので、大の字になって転げまわれるのはちょっと嬉しい。
運転手として車を積み込んできたGくんが大部屋の写真を送ってきたが、来る時にツインを1人で使えたのに比べるとかなり漫喫臭が漂う。
やがてビールと夕食を持って現れたGくんと、3人で打ち上げ会。
残念だが、やはりこの3人での旅は無理だと言われた。
そうねー、趣味が違いすぎるもんね。
4か所ばかりアイヌの博物館に行ったぐらいで「またアイヌか。どれもおんなじじゃないか」と言われたが、私から見ると規模も展示品も視点も見せ方も全部違っていて面白い。
逆にGくんがこだわる道の駅コンプリートや始終そこここに停めてみたいという気持ちは全然わからない。
お見合いで結婚した人とかって、こういう事態に直面するのかしら、と思うほどの合わなさであった。
我々は趣味の違いだと思っているが、Gくんは「普通、ちょこちょこ停めるだろう!」と譲らない。
まあ、お互いスケジュールを調整し合って使える旅用の車を手に入れたということで、良しとしよう。


交互に大浴場に行ったり、それこそクルーズ船のように「20時から船内中央ホールにてエレクトーン演奏のショーが始まります」と放送が入り、Gくんが「何でも見てみたい」と出かけていったり、ビールも途中でせいうちくんが自販機で買い足してきたので、2人ともずいぶん飲んだと思う。
そもそもなぜか部屋に布団が3組積んであり、押し入れにはさらにあったので、酔っ払ったGくんに「この部屋で寝ていきなよ」と勧めたが、「いや、ああいうところで寝るのもやってみなきゃいかんのだ」と言って去って行った。
我々は久々に2人きりになり、「いい旅だったねぇ。Gくんと意見が合わないのはつまらないけどしょうがないね」と慰めあってビミョーに揺れる船の1室に敷いた布団で寝たのであった。

24年7月7日・日(16日目)

北海道15日目。これでもうお別れ。
Gくんがこの3人で遠くへあてのない旅をするのはもう無理、と言うので、北海道に来ることはないかもしれない。
電気系統とか全部Gくんに仕立ててもらってるので、圏外の山奥でいきなりヒューズが飛んだら困る。
せいうちくんが言うところでは「スマホの充電とか冷蔵庫が使えなくなるだけ。車は動く」そうなので、少し安心した。


仙台港に着いたとたん、「暑い!!!!」とひっくり返りそうになった。
昨夜はエアコンの中で寝られたし、それまでも北海道のほとんどの道の駅は涼しく、どうかすると寒いぐらいで、「ちょっと暑いね」と窓を開けて網戸の素材を切って磁石で貼りつけた上に扇風機をかける、なんて日は1日しかなかったように思う。
「旅の終わりごろは、もう早く帰りたくなっちゃうんだよな。今回もフェリーの予約がなかったら予定よりもっと早く帰ったかもしれん」と言うGくんの気持ちはよくわかる。
しかし、こう暑いと「ずっと北海道にいればよかった」的な考えも頭をよぎる。
東京が暑くなる前に旅立ったから、この暑さは想定してなかった。
常磐道をぐいぐい走って、エアコン最強にして走り抜けた。

GくんはあとからFBに「走る人と停まる人の違い:せいうちさんは仙台-東京間を2階トイレ休憩をとっただけで走り抜いてしまった」と書き込みをアップし、私にも「わしだったらすべてのパーキングは『通って』みる」と豪語していた。
ま、少し急ぎめになるのは許してくれ。

息子と妻のMちゃん、1年のワーキングホリデーに出かけ、晴れてトロントに降り立ったのが7月1日だったんだが、わずか5日間で「やっぱり帰ることにした」と言ってきたのだ。
旅行から帰ってその事実をFBに上げたら、今、ワーホリの人たちが大変な目に合っている、ってのはニュースで取り上げられるほどらしい。
そりゃね、世界全体で経済が停滞していて、お金を落としてくれる観光客ならともかく、住人たちの仕事を奪う可能性のある外国人が「ホリデー」でやってくるんだから、あんまり優しくもできないよなぁ。
昨日成田に着いた2人は、とりあえずMちゃんはお母さんがよく出入りしているお兄さんの家に、息子は急にいっぺんに2人は無理だろうと友達の家に泊まったようだ。
今日は我々が夕方には帰ると言ったので、夜、泊りに来てくれるはずだ。
荷物も片づけ、晴れている間に大洗濯もしたい。
ごめんよ、Gくん。最後、駆け足になってしまって。


というわけで、無事片付いたところに息子夫妻が来て、「何もないから」と出したカレーを食べ、フェリー船に閉じ込められて程よく熟れた函館メロンを食べた。
帰ってきた最大の理由は「お金が尽きる前に帰った方がいいと思いました」とのこと。
仕事が見つかっても給料の支払いはしばらく先かもしれないし、とにかく物価が高く手持ちのお金がどんどん減っていったらしい。
野垂れ死にする前に決断して帰って来てくれてよかった。
今は2人とも基本的にホームレスなので、Mちゃんは前に出稼ぎに行った尾瀬の山小屋に、息子は結婚式を挙げた沖縄は名護のイベント飲み屋で働くべくアプライ中らしい。
1年間はこちらから訪ねない限り急に来ることはないと安心してたら、そう来たか。
1年のはずが1週間で終わったワーホリ。
しかし、お金があるうちに帰るっていうのは正しい決断だったと思う。
無事に帰って来てくれてありがとう。
(安寧な老後はなかなか遠い…)

Gくんが旅の間中「わしの元ネタは全部『水曜どうでしょう』だ。見てないのか?あんな面白い番組を」とチームNACSの大泉を誉め始めたので、安田顕推しのせいうちくんは「それは聞き捨てにできないぁ」と推し争い。
結論は出ず、都内に帰って来てから地名の「大泉」を見るたびに思い出し起し怒りをしていたせいうちくん、とにかく「水曜どうでしょう」を見てみようよ。
息子に聞いたら、彼もMちゃんも大好きな番組だそうだ。
リモコン録画で車内から予約しておいたのがさっそく1話あったので、4人で見る。
くやしいけど、なかなか面白いじゃないか。
でも、「原付100キロおかもちチャレンジ」とか、全然どこにも停まらずノンストップじゃないか、とGくんにツッコんでみたい。

24年7月9日

せいうちくんが今日まで休みを取っていたので、全員ゆっくり寝た。
焼肉屋ランチで若い2人をねぎらいながら、これからのことを少し聞かせてもらう。
「ずっといてくれてもいいよ。むしろ息子を1人で置いていかないでほしい。Mちゃんがいなくなると実家感が増すのか、だんだん態度が悪くなる」と訴えたものの、Mちゃんだって自分の実家に帰りたいだろう。
「また今度、ゆっくり来ます」と息子に駅まで送られて帰って行った。
姑の立場は難しい。そもそも家が狭いんだ。
息子はそのままどこかで作業をしてくると言っていた。
カナダに渡るにあたって、ラストライブで過分なカンパをもらってしまったおかげで、謝って回る先が多いのでメールやLINEを書きまくっているらしい。
幸いMちゃんは尾瀬の話がすぐ決まり、今週の日曜早朝に新宿発のバスで山小屋へ向かうそうで、その前日にまた泊まりに来てくれるって。新宿なら近いもんね。
息子の方も今週中にお店とZOOM面接をしてもらえるようで、ただ、それが上手くいくとMちゃんの仕事が終わる10月半ばまではまた遠距離婚だね。
息子は短くても今週いっぱいぐらいは実家にいそうで、Mちゃんとのお別れも充分にできるかわからない状態だ。
土曜は早く寝なくっちゃ。

旅行中に五月雨式にマンガの新巻予約の発売日が来るので、7月4日にセブンで買った「呪術廻戦」第27巻以外は、リストアップしておいて昨日まとめて注文した。
前の10日ほどの旅行の間、マンションの宅配ボックスを8つも占領していたのを繰り返したくない。
おかげで今日、どさどさやってきて、「満州アヘンスクワッド」「アンダーニンジャ」「BLUE GIANT MOMENTUM」など息子の喜ぶ新巻が目白押し。
「明後日、人に貸し出す分は読んじゃってね」と言ったら夜寝る前に楽しんでいたようだ。

晩ごはんは息子のリクエスト「ステーキ」を「昼が肉だったから」と却下。
さっぱりと「ぶっかけそうめん」で済ませた。
なかなか疲れが抜けない。
せいうちくんは仕事復帰大丈夫なんだろうか。

24年7月10日

せいうちくんテレワークで仕事に復帰。
私は9時頃、息子は11時頃起きた。
昨日の残りのカレーでお昼を済ませ、夜は今日こそ「ステーキ」。
「OKストア」の牛肉が安いので、一人あたま400円ぐらいで済んだ。
それ以外のナスとかピーマンとかえのきとかは計算に入れてないけど。
息子はなんだかんだ昼間は出かけている。
引きこもりにだけはならなそうで、ありがたい。

24年7月11日

昼間、息子は沖縄のお店とZOOM面接するはずだったが、向こうの機器のトラブルでできなかったようだ。
明日に繰り越し。
早く仕事が決まるといいな。
夜、せいうちくんが帰って来てから、今日はピザで済ませることにした。
ドミノの持ち帰り半額で、ニューヨークサイズのウルトラチーズとペパロニ&ソーセージの2枚を息子が取りに行ってくれる。
3人で食べてもさすがに余ったので残りは冷蔵庫に入れて、明日の私の昼ごはんにしよう。
ピザ食べてる間は気軽に観られる「水曜どうでしょう」の録画を観て、そののち入会したばかりのディズニー+で岩明均原作の「七夕の国」ドラマ化を2話観る。
あまりに面白いので、全員ただちに原作マンガを読み始めた。
データ化されていればこそできる技だ。
「読んだことなかった。すごく面白い」と息子は夢中。
せいうちくんと私も、これまで「打ち切りではないか」と疑っていた4巻という短さに対し、それなりにあっさりまとめて描き切っているという再発見があった。
今は、息子は同じ岩明均の「ヒストリエ」、私は幸村誠の「ヴィンランド・サガ」を読み返して、それぞれに「歴史物は深い。調べるだけで大変だろう」と意見が一致した。
野田サトルの「ゴールデンカムイ」で、第七師団最後の師団長は「鯉登音之進」となっているが、これは実在の師団長「鯉登行一」がモデルらしい。
旭川の北陳記念会館でやってた「第七師団展」で、「鯉登」という姓の人がいたので気になって写真撮ってきたのが大当たりだった。
「宇佐美師団長」もいたが、ホクロの精子探偵、宇佐美くんの親戚かしらん。

24年7月12日

息子は朝からお出かけ。人に会ったり沖縄のお店のZOOM面接を受けたりしてそのあと下北沢のお店に行くので、帰りは夜遅くなるそう。
応援してくれた人たちに「1週間でカナダから帰ってきちゃいました」といつ、どういうタイミングで発表するか、コントグループの人たちと相談していたようで、個人的に伝えて「申し訳ありません」と言いたい人にメールやLINEを書く作業に追われていたが、もうXで発表しちゃったみたい。
ラストライブでのカンパが35万円にも達したと知って、「そりゃあ気まずいだろうなぁ」と思いつつも、そんなに大勢の人たちが息子を応援してくれたんだと思い、嬉しかった。
何かの形でお返しをすべく、とりあえず沖縄でインプロコントを広めるのがいいのではないかと、お店との面接が上手くいくのを祈っている。

朝の5時頃まで「ヴィンランド・サガ」を読んでいたうえ、昼間に追い薬をのんだので、しゃっきり目覚めたのが16時。
やっと車中泊の疲れも少し取れてきたかなと思う。
昨日の晩から今日にかけて涼しいのもありがたい。
息子が夜遅くなるなら、それまでのんびりしよう。
「しばらく実家に泊まり、そのうえコントの仕事をするなら、生活時間帯が合わないからお互いに不可侵で行くからね」と息子には通達しておいた。

北海道旅行の総括

・気候は非常に涼しくて爽やか。しかし、天気が悪い時が多かったのが悲しかった。
・北海道の美味しいものを食べてきたかと言えば、食事はほとんどセコマのカツ丼とサンドイッチ、ラズベリージャムパンとプリンで済ませたので、オホーツク海沿いのスーパーででサーモンの握り寿司が安かったのでびっくりして買って食べたぐらいが「北の味」体験。
・3人旅はスペース的にもつらいし、趣味が違いすぎるので、今後の長い旅行は無理と互いに合意した。
・広いところは広い。十勝平野の豊かさや宗谷丘陵の広さに驚いた。
・「アイヌから土地や文化、習慣、宗教を奪った罪は重いと真剣に考えた。
・遠くに樺太や国後を見ることができ、「北海道が日本である」のは本当にたまたまなんだと腑に落ちた。
・野生動物と人間が非常に近い。旅の終わり頃には鹿やキツネぐらいでは驚かなくなってしまった。
・ヒグマには遭遇しないで済んだ。
・ハイシーズンの観光客はものすごいんだろうな、と予想のつく、既に混むところは混んでる印象。
・道の駅同士も遠いし、山の中に入るとそうそうコンビニがあるわけでもなし、トイレは済ませられるときにしっかりと。
・全部森だったのを拓いて小麦や米を作れるようにした開拓団の働きは大したものだった。行為の良し悪しは別として。
・「自然を救おう」なんて傲慢な話で、我々は「自然に殺されずにいるだけ」と心から思った。
・観光客のゴミを一切受け付けない。セコマは、セコマで買ったもののゴミであれば引き取ってくれる。観光客専用にゴミ捨て袋を売っているところもある。
・とにかくロシアは怖いので、自衛隊を非常に頼りにしている印象。無理もない。

やっぱり素晴らしい場所だった北海道。
飛行機やカシオペアで5度遠征し、今回初めてフェリーに乗っての6度目の訪問となった。
中身が濃かった。
いつかまた行きたい。


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