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年中休業うつらうつら日記(2024年9月13日~9月20日)

24年9月13日

出社して会食をすませたせいうちくんが15時ちょっと前に帰ってきて、30分リモート会議をしたところで今日の業務は終了。
Gくんがキャラバンで迎えに来てくれたのが16時半。

うちのマンションは困ったことに来客用の駐車場はなく、また、一時的に使わせてもらってる配送用の駐車場もふさがっていて、さらにそこに入りたかったらしい別の配送車が奥のスペースに停めてあり、そこにタワー式の住人用駐車場から1台出てこようとしている。
狭い駐車場はほぼ空き地がない、かなり詰んだ状態。
スマホの位置共有でGくんの到着はわかっていたので先に荷物を下におろしておいたが、Gくんは急遽トイレを借りたい、って、ますます詰んできた。
せいうちくんが他の車に目配りしながら荷物を積み込んでいる間に私は家でGくんを待ち、最後の私の荷物を持って施錠し、Gくんと駐車場へ急ぐ。

すでに運転席にせいうちくんが座ってスタンバイしてるところに、Gくんが後部座席に乗り、私はディパックを後ろに放り込み、手荷物は足元に置いてナビシートに。
これでやっと出発だ。
車を出してしまってから、冷やしてきた飲み物をせいうちくんが袋ごと後ろに置いただけで車内の冷蔵庫に移していないのが発覚した。
てっきりGくんがトイレを済ませている間にせいうちくんが冷蔵庫に収めてくれているものと思っていたよ。
後部座席のGくんにお願いして入るだけ冷蔵庫に入れてもらい、なんとか事なきを得る。

長老は山の中の別荘地にいるので、できるだけ明るい時間に着いてしまいたいと思い、日頃は高速道路を好まないGくんも納得してくれて中央高速に乗る。
そこで発覚した衝撃の事実は、私の身障者手帳の「有料道路半額」の期限が8月いっぱいで切れていたこと。
しまった、2年に1度の手続きをすっかり忘れていた。
Gくんには普段のように半額の3分の1ではなく、フル料金の6分の1を持ってもらうことで話をつけた。

ディーゼル車ゆえ走行音がうるさく、「前後の座席での会話が難しい問題」を解決すべく、Gくんが用意しておいてくれたのが小型のスピーカーと安いのを買ったというヘッドセットマイク、そして後ろには普通の手持ちマイク。
前の席の間に置いたスピーカーから音声が出て、いちおうナビと後部席の会話はできるようになった。
もっともヘッドセットマイクはほとんど口にくわえる寸前ぐらいまで近づけないと入らないので、途中から頭につけるのをやめて手持ちでやってた。
テレビの中の人がやるように、ほっぺたにテープで止めたらいいかもしれない。
ドライバーの言いたいことはナビの人が代わりに言ってあげなきゃいけないし、それほど話が弾むわけでもないので、結局途中で使うのをやめてしまった。

先発隊としてそろそろ長老の別荘に着いていそうなSくんが双葉のサービスエリアで休憩したとMessengerグループに書いていたが、我々も同じところでトイレ休憩。
中央道を降り、すでにとっぷり暮れた田舎の細道から山の中に入っていくのにはけっこう苦労していたみたい。
せいうちくん、スマホをホルダーにつけてGoogleマップ使ってるのに、なんと音声を切っていたので、「ここで左折です」とか言ってもらえなかったみたい。
ただ、ほぼ同じように私が言っていたんだけど、まるで聞いてやしない。
こうして2回も大きく道を間違いながら、なんとか別荘に到着したのが19時過ぎだったから、まあまあってところか。

別荘地はほぼ真っ暗で、「こういうとこで鹿を轢いたりして」と言い合っていたら、本当に目の前を5、6頭の鹿の群れがトロットで横断していった。
鹿の学校は夜に始まるので「遅刻、遅刻。遅刻しちゃう」って感じで、大慌ての中学生の男の子の集団が一緒に駆け抜けるみたいだった。
「轢いたら警察に届けなきゃいけないんだっけね」と驚いていたら、道のわきにサボり組が2頭いたりする。
北海道並みに鹿が住んでるみたいだ。
全体が鹿よけの柵で囲まれているはずだが、すでにその中が生活圏になっている。

長老とSくんはさっそく飲み始めており、Sくんは「賞味期限が月単位で切れているので捨てようと思ってラベルをはがしておいた」缶詰をたくさん、持ってきていた。
長老が「缶詰はもともと保存用なんだから、少々の期限切れは気にしない。缶が膨らんでいなければ大丈夫!」と言い切ったかららしい。
「賞味期限切れ&中身が不明」なロシアン・ルーレット缶詰を次々開けての飲み会が本格的に始まった。

Sくんに先日、「サシでゆっくり話しましょう。そのためには私は飲めない酒を飲むことも辞しません」と伝えておいたので、わざわざアルコール度数の低い、しかし美味しいビールを3缶も持ってきてくれていた。
とりあえずは持参の梅酒をロックで飲んでさっさと酔っ払ってしまおうとビールは後回しにしてしまったよ。
しばらくしていただいてみたら、確かに変わった味がする。

しかし、アルコールが苦手な人間というのは度数の低いものをたくさん飲むより、濃いアルコールを一気に飲んだ方がつらくない。
少なくとも私はそうだ。
おまけに炭酸が苦手と来ているので、度数の低いビールを3缶も飲める気がしなくて、Sくんのご厚意に感謝しつつ、あとは遠慮しておいた。

その晩はロシアン・ルーレットおつまみとうちが作って来たおにぎりと唐揚げで酒盛りし、みんなかなり深酒をした。
私は「量が多すぎるから」と誰もが開けるのをためらっていたオイルサーディンが丸いガラス瓶にぐるっと立て回してある瓶を開け、全部食べてしまった。(もちろん許可は得た)
オイルサーディンは大好物だ。


Gくんが古道具屋で買ったという「ホットサンドメーカー」が大活躍し、お惣菜として買った餃子を焼くとカリカリしてて美味しかった。
長老はぜひひとつ欲しいと言っていたよ。
うちのおにぎりの余りも平べったく焼かれて「お焼き」のようになっていた。

長老が言うには「ヤスデ」が大発生しており、Sくんに勧められて買ったブラックライトで照らすと玄関前の真っ暗な草地などを照らすと、何も見えなかったところに白く光るうねうねとしたヤスデの大群が浮かび上がるそうだ。
他の皆は面白がって見に行っていたが、虫が好きでなく、特にうにょうにょしたものは大変苦手な私はせいうちくんから「見ない方がいい。絶対夜、うなされる」ときつく言われて見ないことにした。
Sくんも、「あれは昆虫ではなく節足類だが、うさちゃんが見ない方がいいのは確か」と太鼓判を押す。

しかし長老は、まるで小学生の男の子が好きな女の子の目の前にミミズをぶら下げて喜ぶように、執拗に「綺麗だぞ~。地上の星だぞ~。かぜのなか~のすばる~」と良い機嫌で、「うさこも見るべきだ。ちょっと他では見られないぞ」とそそのかす。
あんまり何度も何度もブラックライトを手に見に行く彼とSくんを見てたら、見ないのは見ないで後悔しそうな気がして、思い切って「それほどはいない」という裏庭のバルコニーの方を見に行ってみた。

闇の中に10センチぐらいの白い筋が20本ぐらい、夜の海の波がしらのように見えた。
「指の隙間からちらっと見る」という感じで見て、「なるほど」と思い、玄関前の「うねるような」とか「絡まってのたうち回ってる」方は見ないですませた。

そのあたりで定例ZOOM会が始まる時刻となり、主要メンバーはほとんどここにいるので誰も来ないんじゃないか、と言いながら長老がノートPCを持ってきた。
先日、格安SIMに替えたせいうちくんと私のスマホは「圏外」。
「おまえら、楽天なんか山で使ってたら死ぬぞ」「夫婦で同じ回線を契約するなんて、リスク分散がなってない」と長老とSくんから叱られながら、とりあえずSくんのWi-Fiでテザリングさせてもらう。
でも、5人がそれぞれのギアでZOOMに入ると音声が間延びしながらごちゃごちゃになるばかりなので、長老のPCで全体を映して待っていたら、いつもはけっこう遅くにやってくるHくんが来た。

その後Uくんも来て、3画面で7人。
盛り上がったと言えば盛り上がったが、それは山荘グループが勝手におしゃべりしてるのを東京と北海道から静かに眺めているだけで、退屈だったかもしれない。
何時ごろまでやっていたかよく覚えていないが、0時過ぎたのでGくんが「ギガ使い放題」を始め、テザリングもそっちに移った。
下世話な話が始まったのでZOOMの切れ目でUくんは落ちるかと思ったが、その後もまだ付き合ってくれていたなぁ。

やっと階段と梯子を上って屋根裏のような、寝袋で詰めて寝れば6人ぐらい寝られそうな「マグロ漁船」とか「蚕棚」とか呼ばれているスペースで寝たのが3時頃。
Sくんは電動エアポンプで膨らませるマットレスに高級寝袋というゴージャスな装備で奥に寝て、我々は2つの寝袋をファスナーでダブルの寝袋にして寝るタイプの奴にもぐりこむ。
Gくんは1階のラグの上で、長老は自室でそれぞれおやすみなさい。

24年9月14日

めいめい勝手に起きてきて、昼からすでにビールが空き始める。
2週間ぐらい前に来ていた料理の達人Nさんが余ったひき肉と野菜でミートソースを作って冷凍して行ってくれたので、昼ごはんはミートソース・スパゲッティ。

長老から「山の上は気圧が低くて沸点が95度ぐらい。普通のスパゲッティだと芯が生煮えになるので、細めを」と言われていたので、せいうちくんは細い「カッペリーニ」という種類のパスタを1キロ買ってきていた。
事前にMessengerグループに上げた時から「カッペリーニは通常、冷製パスタに使う」「細すぎて熱いミートソースに絡めてるうちにのびてしまう」と不評を買っていたのだが、「パスタとミートソース。何の問題もない」と言い張る私と「細めのパスタ、念のために持っていきます」と言うSくんの発言で、「カッペリーニ vs. 細めスパゲッティ」両者をミートソースで食べてみる実験に。

ところがシェフのせいうちくんが何を思ったか、カッペリーニ500g、スパゲッティも500g、合わせて1キロのパスタを茹で上げてしまった。
5人で1キロって、1人頭200gってことで、それは多すぎる!
おまけにミートソースの総量も見誤っていたので、実にミートソース成分の少ない、薄味のミートスパになってしまった。
確かにうちなら息子が1人で300gの袋を茹でてしまうが、彼は「2~3人分」のミートソース缶の中身を全部温めてかけているわけで、量はともかく味は普通だと思う。
のびてくっついたカッペリーニにほんの少しのミートソースが絡んだものは、名シェフNさんに申し訳ないぐらい美味しくなかった。

そのNさんだが、我々が帰る晩に到着の予定だったので得意の中華料理をいただけるかどうかビミョー、という状態だったのが、ご家族の具合が悪く、連絡の取れない場所に行くのは避けたいとのことで、急遽不参加。
我々、親の介護が始まる年齢なんだなぁとしみじみしつつ、Nさんの料理を惜しんでいた。

せいうちくんを含む他のみんなは巡回バスで丘の上の方まで行って、下り坂を歩きで散歩するツアーに出かけて行った。
私は歩ける気がしなかったので山荘に残り、森に面した大きな窓から外が見渡せるお風呂に入っていた。
涼しい風が入ってきて、いい気分だった。

40分ほどで散歩組が帰ってきて、てんでに休んだあとはさらなる宴会が待っていた。
せいうちくんが野菜炒めと昨日の残りのパスタをケチャップで炒めて(賞味期限切れのハムを入れていた)ナポリタンにしたのと、ワタリガニの缶詰を開けてマヨネーズで和えたドレッシングを作って野菜サラダにかけるのを作ってくれた。
私が漬けて冷凍して持ってきたタンドリーチキン4枚もオーブンレンジでじゃんじゃん焼いた。

テーブルを囲んでの世間話から、だんだん激しい議論になって来た。
計画分娩と無痛分娩の話から、助産院での出産の是非、そういう「自然にやりたいの」という人たちが反ワクさんになっていってけっこううるさい集団になって困るというSくんの主張がスピリチュアルな人につながり、さらには原発の話にまでなった。
せいうちくんは鉄を作る会社の一員として、いかに「ゼロカーボン」を目指しているかを熱く語っていた。
仕事の話をしている時の彼はなかなかカッコいい。

学生時代、やたらに青臭い議論好きでまわりの人たちに「めんどくさいヤツ」と思われていたせいうちくんが私は大好きだったのだが、やはり30余年のサラリーマン生活を経てかなり「社畜」化し、話題も少なくあまり先鋭的なことを言わなくなってしまった。
そこを物足りなく思っていたのだが、今回、やや受け身とは言え大真面目に議論を楽しんでいるところを見てちょっと惚れ直したよ。

「この歳になってもこういう書生談義ができるとは」と大喜びの長老は、学生運動時代の最後の世代の生き残りとして「娘たちがいなかったらわしはテロに走る」と口走り、「テロより、デモに行きなさい」と言われていた。
あの人の話はテロかSFを行ったり来たりして、どうも現在の日本を変える力にはならなそうだ。
気がついたら夜が白々と明けるどころか完全に朝になっていて、7時頃、みんなそれぞれの寝床で寝た。
ああ、くたびれたけど、いい時間だった。

24年9月15日

朝になってから寝たので、少なくとも我々は昼過ぎまで寝ていたし、私は夕方までうつらうつらしていたかもしれない。
下ではまた酒盛りが始まっており、誰かが「酔っ払わないと面白くない」と言うのに長老が「うさこは普段素面だが、面白いぞ」と言ってくれたので、嬉しくて目が覚めた。

またお風呂に入って、最後に入ったせいうちくんは三宿四飯ぐらいの恩義を返すべく猛烈な勢いで風呂場を掃除していた。
晩ごはんは長老が野菜炒めを作ってくれて、Sくんの持ってきた缶詰の中に「卵かけごはん用コンビーフ」があったので、ごはんを炊いて、どういうものかみんな卵かけごはんをそれぞれ作って食べていた。
普段お米を炊かない我々には「卵かけごはん=TKG」は憧れの的で、美味しくいただいた。
コンビーフは少し柔らかめなだけで特に卵かけごはんに向いた味付けなわけではなさそうで、「なくてもいい」というのが全体的な結論。

初日以外ずっと雨模様で、星を観たり散策したりはほぼなく、ゴジラシリーズをBGMにやたらに酒を飲み、駄弁り、ゴロゴロしていた日々だった。
これはこれでたいそう楽しい。

24年9月16日

Gくんは初日に飲み過ぎたのか、わりと元気なくずっと横になってうつらうつらしているようだった。
彼が飲み始める前にキャラバン組は帰ることにし、明け方5時においとました。
うっすら明るくなってきた別荘地を抜け、帰りはGくんの希望で一般道路をずっと通って行く。
軽井沢方面に北上し、碓氷峠ほどではないが結構なワインディングロードを抜けて東京を目指す。
あちこち立ち寄りたがるGくんをもってしても停めるところが全然ない、という状態で都内入りしてしまった。
13時過ぎにはうちに帰り着いた。
3連休の最終日にしては上手に渋滞前に帰れたもんだと思う。
山荘の涼しさですっかり夏を忘れていたが、東京はやっぱり暑い!

Gくんにお礼を言ってキャラバンを見送り、大荷物を運び上げて家へ。
息子が寝泊まりしているはずだが、さほど散らかってもおらず本人は仕事に出かけたようで留守。
とにかく寝袋を広げて干し、小物を片づけまくり、洗うものを洗濯機に突っ込んで干す。
その後ぐったりと寝ていたら夜遅くなっていた。

先日も会ったばかりの息子が帰ってきて、京都での仕事の話や今の演劇のADとしての仕事について少し話を聞き、こちらの話もして、お互いにおやすみなさい。
でももう夜の2時頃だなぁ。
生活は完全に荒れている。

24年9月17日

せいうちくんは休みを取っていたので、私の障碍者手帳の有料道路料金減免のための手続きと買い物に出かけ、息子は仕事に出かけた。
私は1人で黙々と寝ていた。

帰って来たせいうちくんとエアコンかけた涼しい部屋で昼寝をし、それぞれのマンガや本を読んで過ごす。
せいうちくんはずっと山田芳裕の「へうげもの」を読んでしきりに感心しており、私は先日「あさきゆめみし」を読んだ関係で大和和紀の「イシュタルの娘~小野於通伝~」全16巻を読み始めた。
ちょうど同時代の話ではあるので面白い。
「そっちの利休は切腹した?」
「今からするとこ」
「こっちもするみたい」
とか情報共有しながら読む。
どちらも江戸時代に入る頃の文化の話であるのが興味深い。

「小野於通」という人を私は全然知らなかったのだが、戦国時代から江戸時代にかけて書家・文人として名を上げた教養女性らしい。
女流書家はそれまでもいたが、一流派を立ち上げた女性は彼女が初めてのようだ。
公家の男性と内縁関係のまま一子を設け、娘も書家として立ったとのこと。
男性に頼らず教養で身を立てた女性であるところは、現在大河ドラマでやっている紫式部と同じであろう。
「イシュタル」とは美と芸術の女神のこと。
のちに三代将軍家光の乳母となり、大奥を作り、江戸幕府の裏を仕切っていた春日局ことおふくに教養を授けたのも小野於通であったのは、史実だろうか、フィクションだろうか。

24年9月18日

せいうちくんは出社、私は常に変わらずゴロゴロ。
彼の帰宅後は、最近テレビで「三谷幸喜×クリスティ」の特集をやっているのを録画した、野村萬斎がポアロを演じる「須黒シリーズ」を「オリエント急行殺人事件」から観始める。
再放送だが、今回は録画をちゃんと保存しておこう。
このあと「黒井戸殺し」「死との約束」が続く。

息子は自転車で出かけ、夜遅く帰って来たのでどこまで行ったのかと聞いたら「恵比寿」だった。
そりゃ遠いね。
終電がなくなるまで稽古してるから仕方ないんだが、ハードだ。
昼に出る時、せいうちくんの自転車のバッテリーが充電中なので私の自転車のカギを取りに来て、
「電力30%しか残ってないよ」と言ったらすでに充電済みらしいせいうちくんのと交換しに行った。
「面倒だろうけど母さんのバッテリー、戻しておいてよ」と頼んだので、もう一度駐輪場から戻ってきて充電器に刺してくれたようだ。

ああ、住人が1人増え、しかも自身の持ち物が少ないので借りて生活していると面倒だ。

24年9月19日

寝坊したらしい息子が「遅れる、遅れる」と大慌てでせいうちくんの自転車のカギを持って出かけた。
私が午前の診療時間終わりごろに整形外科に行こうと自分の自転車のカギを持って駐輪場に行ってみると、自転車がない。
せいうちくんの自転車はあるのでいったん戻ってカギを探したが、ない。
息子に連絡を取ったら、「間に合わないのでカギを持ったまま電車で出かけた。お母さんの自転車は、昨日帰って来た時に間違った場所に置いたように思う」と言うので出口近くを探したら、あった。
やっと出かけられる。
サドルが高くなっていたので戻すのにもひと手間。
幸い病院の受付時間には間に合ったが。

待合室で落ち着いてから、「困ったよ」と告げると、息子は神妙に「あわただしくさせちゃったね。ごめんね」と謝ってきた。
「ゆとりを持って動こうね」と言うと「そうしようね」って、そりゃあ私も間に合うかの寸前だったが、ごく近くの病院にいつもの方法で行こうとするのとは安全度が違う。
「お互いにね」のニュアンスで返されたので少々ムッとした。

両手の腱鞘炎が治らず、前にレントゲンを撮ったのが9か月前なので、今回また撮りましょう、となって、でもやはり目立った変化はないので、もうしばらく消炎鎮痛ジェルで様子を見ようと。
腰と膝用のシップももらって、図書館に予約した本を取りに行って、今日のミッションはおしまい。
汗だくになったので水風呂に入ってエアコン効いた寝室で休む。

夜はカレーの残りでカレーうどん(私風のはゆでたうどんをネギと炒めて、皿に盛ってカレーを掛けるというパスタ的なもの)を食べながら、昨夜息子に勧められたアニメ「犬王」をアマプラでプロジェクター使って観る。
かなりすごいアニメで、日本でジブリ以外のアニメも頑張ってるんだなーと感心した。
それにしても息子はこういうのをどこで仕入れてくるんだろう。
昔から、彼のおススメ映画は当たりが多い。
小中学校の頃から「ディア・ハンター」や「カッコーの巣の上で」を親の横で観ていたのがはからずも英才教育になったのだろうか。

観終わって、お風呂入って2人とも全裸で上がってきたらリビングのソファに息子が寝そべっていて驚いた。
まだ22時じゃないか。
今さら「きゃっ」と言って寝室に行くのも変なので、堂々とリビングの扇風機の前で寝そべって、血圧や血中酸素濃度を測り、いつものようにサプリ類をのむ。
両親の風呂上がりの裸体を、息子は特に何とも思わないようで、見るでも見ないでもなく気まずそうでも全然なく、淡々とタブレットでマンガを読んでいた。
「賭博堕天録カイジ」のシリーズを買ってスキャンしたのはあらためて感謝されたが。

生活時間帯が違うのであまり会話もなく過ごしているが、それが自然な家族というものなのだろうか。
毎日演劇の熱を帯びて帰ってくる彼は少し昂っていて、それはそれで頼もしい。
妻のMちゃんは今も懸命に尾瀬で働いている。
10月末に元気に帰って来てほしい。

24年9月20日

今週末の三連休は長老が東京のマンションで宴会を開きたいようだ。
名シェフNさんの中華リベンジマッチが行われるらしく、料理のリクエストやら長老んちの食材や調味料の点検・連絡がじゃんじゃん回ってくる。
うちは今回は欠席の旨伝えておく。
旅の疲れが抜けてないんだ。
ずっと体調の悪そうなGくんは果敢にも参加表明していた。
「でもずっとゴロゴロしてるのは治らんかも」だそうだが。


図書館で借りた本が面白かった。
短編集だが、「毒親」の概念はもはや当たり前になってるんだなぁと感じる。
毒親育ちの2人が依存しあって暮らしている我々だが、息子に「毒」は伝えないですんだと思いたい。


「チ。-地球の運動について-」全8巻が面白かった魚豊の「ようこそ!FACT(東京S区第2支部)へ」が4巻で完結した。
「小学館で4巻で終了というと岩明均の『七夕の国』を思い出して、打ち切りか、と思う」とせいうちくんは言うが、「七夕の国」と違って長くはなりようのない話で、順当かと。
あいかわらず「個人の幸福と現実」について考え続けているマンガ家のようだ。

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