メタルギアソリッドと聖書の関係について思いついたこと
これから書くことは決して昨日今日思いついたことではなく、何年か前にふと“繋がった”ことがありました。そして最近小説版を読んで思い出し、書き込むなら今かなーと思い、せっかくなのでこのタイミングで新たに整理しつつ文字に起こすことにします。
とか大袈裟に前振りしたところで既にどこかでは出回っているであろう(特に調べたりはしていません)とも思うのですが…。その辺は気にせずいきます。
今回書きたいこととしては“メタルギアソリッド(以下MGS)と聖書の関係”についてです。
そもそもMGS3でコードネーム“アダム”と“エヴァ”が出てくるのでそこは何かしら“始まり”を意識したネーミングなのかなと思っていたのですがそもそも“スネーク(つまり蛇)”自体とても関わりが深いワードなんですよね。
その辺は一旦後にして、最初に“繋がった”のはソリッド・スネークの本名がデイヴィッドだと言うところです。デイヴィッドはつまり“ダビデ”ではないかと。そしてMGSシリーズはスネークが“単独で”メタルギアなどの“強大な敵”と対峙し、倒すことが目的となります。それはまるで“ダビデ”が“強大な敵=ゴリアテ”を倒すストーリーの現代版のようだと。
じゃあリキッドは?彼の本名はシリーズの(現状)最新作で明かされました。“イーライ”です。イーライを調べてみるとヘブライ語で“神”を意味する言葉でした。これは偶然じゃないと思い、さらに深掘りしてみました。
オセロットは“アダムスカ”で“エヴァ”は実は偽物です。ではビッグボスは?“ジョン”と名乗っていました。調べたところ“ジョン”は“ジョセフ”が語源となっています。ここまで来て思いました。じゃあ“マリア”が必ず居るはずだと。そしてジョセフとマリアの間にできる子供こそ“救世主=キリスト”です。さらに言うとマリアは“処女で出産”をします。それはつまり、ジョセフとマリアの間の子であって、そうではないとも言えます。
ここまで来たら自分が何を考えているのかわかってもらえるのではないかと思います。エヴァの本名は“マリア”だったのではないでしょうか?そしてエヴァは二人の子を産みます。その一人は“デイヴィッド=ダビデ(救世主の象徴)”であり、もう一人は“イーライ=イエス(神の象徴)”という立ち位置なのではないでしょうか?あるいはダビデは救世主というよりは人間の象徴か?
デイビッド(人間)はイーライ(神)を知らなかったが、イーライはデイヴィッドを知っていた。というのも興味深いですね。自身の出生に関してもイーライは知っていたがデイヴィッドは知らなかった。
まだ触れていない重要人物がいます。ザ・ボスです。彼女の本名は作中で出てきません。ただもう一つのコードネームがあります。“ザ・ジョイ”です。そして彼女はオセロット──つまりアダムの母親です。調べたところ、ジョイと意味を同じくする(或いは似通った)言葉に“エデン”がありました。最終的にはエヴァもザ・ボスに守られていましたね。
しかし彼女の人生に“蛇”が関わってしまう。コブラ部隊、そしてスネーク。オセロットもエヴァもスネーク──ビッグボスに魅せられ、ある意味で人生を狂わされたと言ってもいい人物のように思えます。同じくザ・ボスもスネークに魅せられた人物の一人でした。そして最終的にスネークの手で殺される結末となりました。それはオセロットとエヴァが知恵の実を食べてしまったためにエデンを追放されたようにも──今は──そう見えます。
ではその知恵の実とは?ザ・ボスにも関わりがあるであろうことを考えても“賢者の遺産”でしょう。
えーここまでゼロ少佐のことを忘れていました。ほんと、すみません…。書きながら「そういえばゼロ少佐って何にも絡みがないってことあるか?」と思って調べました。本名“デイヴィッド・オゥ”。
…今まさに書きながら、色々覆りました。
つまり真に“ダビデ”の立ち位置に居たのはゼロ少佐だった…?たった一人で強大な敵に立ち向かっていたのは彼だった?“オゥ”もしかして“オリジナル”の意味を持たせてたりしないだろうか?
だとするとソリッドとリキッドは明確に“作り物”と位置付けていることになる。ゼロ少佐は彼らを“作り物”だとした上で“デイヴィッド”、“イーライ”と名付けていた…?誰か、何かの作品で言ってなかったか?──ゼロはもしかしたらスネークになりたかったのかもしれない──というようなことを。作られた蛇の片方に自分の名前を付け、もう片方に神と名前を付ける。もしかしたらゼロはその“もう一人の自分(或いは理想の自分)”と“作られた神”とを名付けて自笑していたんじゃないだろうか。そしてこれなら対立するほどビッグボスが嫌悪した感覚が腑に落ちる。どんな親友だとしても自分のクローンを勝手に作った上にその親友自身の名前を付けるなんて流石に気持ち悪い。
ただ確かにゼロは賢者の遺産を手にした後、ずっと独りで“戦って”いた。ザ・ボスの意志を持って何か“強大な敵”と。
そう考えるとゼロのケツを拭いたのはもう一人の“そうありたかった理想のデイヴィッド自身”という見方もできるような気がする。ゼロはいつしか自身がゴリアテになってしまったダビデと言えるような気もする。
とまあ現状思いついているのはこの辺ですかね。どうでしょうか?だいぶ妄想が入っているような気もしますが、それにしても小島監督がどこまで考えて作っていたのかとても気になりますね。偶然にしては“繋がりすぎている”気がしますし。もしかしたらもっと探っていけばさらに聖書を思わせる部分があるのかもしれないですしね。
最近はダークタワーにハマってしまって今のところ読む予定はありませんが、そのうちPW、Vや1、2の小説版も読みたいですね。
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