自分の教室だけで完結しないよう…。
新年度がスタートしている。
単学級のところでなければ、学年で、どこまで足並みを揃えて、どこまでそれぞれのクラスらしさを出すかということを、多くのところで、悩みながら検討しているはずだ。
あるいは、「学校スタンダード」と呼ばれるような、学校全体で足並みを揃えましょう。という動きもあって、これは、批判的な捉え方をされていることが多いのではないだろうか。
だから、「学校の足並みを揃えよう」なんて言うと、カッコ悪い…みたいなに言われたり、思われたりするだろうけれど、本当にそうかな。「足並みなんか揃えたくない」「揃えずにやりましょう」と言う場合にもカッコ悪い場合があるんじゃないかな。
ボク自身は、足並みを揃えるというより、それぞれの学校や先生の強みをいかして、学校や教室をつくることに重きを置いた方がステキだと思ってる。
学校は、教室は、それぞれの先生らしさ、想いを大事にするべきだし、されるべき。それでこそ、教室の子どもたちのらしさも、想いも、きっと大事にされていくはずだ。
そして、足並みを揃えることで、見失うことも多い。形が先行してしまうと、その中でどんなことが起きているのか。どんな思いがあるのかを見失いがちになると思う。
でも、一方で足並みを揃えることで助かる先生たちもいると思う。
若い先生たちには、まだ「やりたい」ことが見つからず、日々の仕事をこなすことで精一杯かもしれない。そんな中で、それぞれがやりたいことをやりましょうとなれば、どんなことが起きるかな。
若い先生と言ったけれど、これは若い先生だけに限らずだとも思う。
もちろんその若い先生が「それぞれのクラスでやりたいことをやっていきましょう」という考えに納得していたり、それがチャンスだと思えたりしているなら、全く問題はないのだけれど…。
単に自分のやりたいことをやりたいがために、足並みを揃えることへの違和感を表明している場合もあるんじゃないかな。
もちろん自分のやりたいことをやれる環境は、とてもステキだとは思うし、やりたいことをやれるということはやりがいにつながる。
けれど、ボクらは、1人で働いているのではない。組織として働いていることも考えなくちゃならないと思う。職場には、いろんな先生たちがいることは意識できているのかな。
様々な事情を抱えて、自分が思うように働けていないベテランの先生が足並みを揃えてもらうことで、ありがたいと思っている場合はないだろうか。そんな中で、自分のやりたいことをやりたいから、足並みなんか揃えずに、やりたいことをやりましょう!は、本当にカッコいいことなんだろうか。
足並みを揃えることが良いか悪いかというより、まずは、こうしたところまで意識しているのかを考えたい。そして、同じように、揃えようとしている中身を問うことも必要なはずだ。
そうした中でこそ、先生たちの強みをいかす方が、子どもたちに胸を張って「自分の強みを生かそう」と言えるのではないかな。
ボクは、学年主任として、毎回学年資料をつくっている。
打ち合わせ項目の中に、「今学級でやってみたいこと」「これから学級でやってみたいこと」を起こしている。
やりたいことは、どんどんやってもらって、でも、学級だけで完結しないようにやっていることは共有して、同じように取り組みたいものがあれば、取り組んだりしている。
もちろん足並みを揃えることもある。学年団の先生方の背景や経験を踏まえた上で、そして、子どもたち、保護者、地域の状況をボクが判断して(あるいは、同じ学年団の先生方に提案してもらって)、揃えている。
ただ、こうした意識や環境を作るよりも、もっと大事なことがあると思っている。それは、やっぱり対話だ。学年団の中で、自分を伝えられる関係性を大事にし、対話を欠かさないこと。
足並みを揃えることがしんどくないか。
同じように取り組んでみたけれど、しんどくないか。
やりたいと思っているのに、言い出せないことはないか。
足並みを揃えてほしいことはないか。
日常的に声をかけて、対話をするようにしている。
そして、ボク自身がまずこういうことを積極的に伝えるようにしている。
自分の教室で完結しないように…。
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