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未熟であるということ

ある年の今頃のこと。

「先生、先生って、どうやって決めるの?」と、ある子が突然聞いてきた。何のことが分からなかったので、「ん?どういうこと?」を聞き返すと、「担任の先生はどうやって決めるの?っていうことだよ」と答えてくれた。そこで、「最終的には校長先生が決めるんだよ」と伝えた。

すると、その子は、「そっか。わかった。じゃ6年生も、先生を担任にしてほしいと、校長先生に頼めばいいんだね」と言ってくれた。その場では、ふざけながら泣きまねをしたけれど、そうでもしないと、その場で本当に泣いてしまいそうだった。うれしかった。いろいろあった年だったから。

こんなことを言われるのは良くない。とか、そういうことで喜ぶのはどうかな。とか、いろいろな見方があるだろうけれど、たった1人でも、クラスを受け持って、1年たった後に、こんな風に思ってくれて、こう言ってくれることは、なんてうれしいことなんだろうと思う。感謝の気持ちでいっぱいだった。

でも、その日の放課後、ボクは、重大な配慮のなさがあって、おそらくクラスの子を傷つけてしまったことに気づく。もちろん自分のかかわりがいつも完璧にできているなんて思っていない。だとしても、あんな風にうれしいことを言ってもらえても、傷つけてしまうような配慮が足りないかかわりをしてしまっている。

そして、それは、この日に気づいたたった1人ではないのだ。ボクの知らないところで、気づかないところで、きっと同じようなことをしているということ。それは、ボクは、まだまだ人間として未熟で、まだまだ勉強不足で、まだまだ目標とする仕事はできていないということ。後悔の気持ちでいっぱいになる。

でも、やり直すしかない。何回だって。

何回だってやり直す
悲しみなんて川に捨てる
本当は内ポケットに仕舞ったままだ
仕様が無いから連れて歩く


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